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1000万円以下で買えるV12搭載ランボルギーニ!…世界に4台しかない「ハラマ 400GTS」のAT仕様の出来は当時どうだった?

1000万円以下で買えるV12搭載ランボルギーニ!…世界に4台しかない「ハラマ 400GTS」のAT仕様の出来は当時どうだった?

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: Bonhams

生産台数は極めて少ない

伝統的にエスパーダを除けば、ランボルギーニの2+2モデルはどちらかと言えば地味なスタイリングのモデルが多い。そしてハラマもその例に洩れず、地味な仕上がりと言ってよいだろう。シャシーは基本的にエスパーダのそれと同じで、前後のトレッドなどは共通しているが、ホイールベースは270mm短かった。ボディはベルトーネの工場でプレスされ、ボディの組み立てはカロッツェリア・マラッツィで行われた。そしてクルマはサンタアガタに運ばれ、そこで最終アッセンブリングされた各市場に出て行ったのである。

「400GT」と呼ばれた初期モデルは177台。その後、より高性能を求めてアップデートされた「400GTS」が150台作られたことになっているが、この150台のうち5台は生産終了後にキャブレターをオリジナルのウェーバー40DCOEから45DCOEに載せ替えたカスタムとされたそうだ。

4台しかないオートマモデルの1台。もう1台は日本にあった?

ボナムズのロットナンバー118としてオークションにかけられたのは、1976年式のハラマ 400GTSで、エンジン出力を高めて370psとされたものである。エンジンフードに新たなエアスクープが開けられ、ボディにもサイドベントが設けられるなど、熱対策が施されたモデルである。シャシーナンバー10650のこのクルマは、1976年初頭に完成し、カナダ、マニトバ州ウィニペグにデリバリーされたモデル。そして最初のオーナーは、ルービン・ダイヤモンド氏であった。少なくとも1980年まではダイヤモンド氏の元にあったが、その後の所有車履歴は記録されていないという。

シャシーナンバーとエンジンナンバーはマッチしている。ボナムズのコメントではこのクルマにはエアコンとクライスラー製のトルクフライト3速オートマチックが組み合わされているとあるが、ランボルギーニ・ヒストリアンであるオリヴィエ・ナメッシュ氏の調べによれば、シャシーナンバー10650は、わずか4台しか作られなかったオートマチックトランスミッションの搭載車の1台であると記されている。

じつは残る3台のオートマチック車のうちの1台は、日本にあった。1977年のことと記憶するが、私がいたスーパーカーショップでフェラーリを購入した方が、そのフェラーリを見事にクラッシュさせ、新たなクルマの購入を希望してお店にやってきた。その時はミウラに試乗して帰られたが、値段が合わなかったのか、別のモデルを探して欲しいと言われて会社を後にした。そして後日見つけたクルマがハラマであり、そのクルマの回送を筆者が行った。

紛れもないオートマチックのハラマで、当時のオートマチックの出来の悪さからか、フリクションが非常に大きく(整備不足も手伝って)、およそV12のパワーと加速力ではなかったことを覚えている。結局走りが悪かったのは、トルコンスリップが非常に大きかったためで、納車後そのオーナー氏は大阪在住のため、大阪に乗って帰ったのだが、途中でストップしてレスキューを頼んだというから、よほどひどい状態だったのだろう。

オークションに話を戻すと、ボナムズが掲げたエスティメート(推定落札価格)は、4万ドル〜6万ドル(邦貨換算約592万円〜888万円)だった。実際には、6万3840ドル。現在のレートで計算すると約944万8320円で落札された。

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  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 幼いころからクルマに興味を持ち、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾る。 大学在学中からレースに携わり、ノバエンジニアリングの見習いメカニックとして働き、現在はレジェンドドライバーとなった桑島正美選手を担当。同時にスーパーカーブーム前夜の並行輸入業者でフェラーリ、ランボルギーニなどのスーパーカーに触れる。新車のディーノ246GTやフェラーリ365GTC4、あるいはマセラティ・ギブリなどの試乗体験は大きな財産。その後渡独。ジャーナリスト活動はドイツ在留時代の1977年に、フランクフルトモーターショーの取材をしたのが始まり。1978年帰国。当初よりフリーランスのモータージャーナリストとして活動し、すでに45年の活動歴を持つ。著書に三栄書房、カースタイリング編集室刊「世界の自動車博物館」シリーズがある。 現在AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)及び自動車技術会のメンバーとして、雑誌、ネットメディアなどで執筆する傍ら、東京モーターショーガイドツアーなどで、一般向けの講習活動に従事する。このほか、テレビ東京の番組「開運なんでも鑑定団」で自動車関連出品の鑑定士としても活躍中である。また、ジャーナリスト活動の経験を活かし、安全運転マナーの向上を促進するため、株式会社ショーファーデプトを設立。主として事業者や特にマナーを重視する運転者に対する講習も行っている。
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