希少なオートマモデルが出品された!
2024年8月16日、ボナムズがアメリカで開催した「The Quail 2024」オークションにおいてランボルギーニ「ハラマ 400GTS」が出品されました。同車は、高性能を求めてアップデートされた400GTS。生産台数は150台作られたことになっていますが、これはわずか4台しか作られなかったオートマチックトランスミッションの搭載車の1台であると記されていました。
フェルッチオも普段の足として使用していた
最後のランボルギーニV12フロントエンジン搭載車。それがランボルギーニ「ハラマ」である。ベルトーネのチーフデザイナーだったマルチェロ・ガンディーニによってデザインされたハラマのスタイリングは、1968年に誕生したフィアット「128クーペ」に端を発したもので、そのモチーフを使ってイソ・リヴォルタ「レーレ」が生まれ、そしてその翌年1970年にランボルギーニ ハラマが誕生した。
フェルッチオ・ランボルギーニは、あるインタビューで下記のように答えている。
「私はハラマを他のどのクルマよりも好んだ。なぜなら、ハラマはミウラとエスパーダの完璧な妥協点だからだ。ミウラは、猛スピードで走り、人目を引くのが好きな、心が若い人のためのスポーツカーだ。私自身は、しばらくするとミウラは外向的すぎると思った。一方、エスパーダは私にとってロールス・ロイスだった。ミウラには劣るが十分速い。それに大きくて快適だ。ハラマは、クルマを1台だけ持っていたいなら完璧なクルマだ」
そして自身も、ハラマを日常の足としてチョイスしていたようだ。
ハラマは1970年のジュネーブショーでそのベールを脱いだ。ランボルギーニの伝統に従って、その名であるハラマは、闘牛の飼育で有名なスペイン、マドリッド北部ハラマ川流域からその名をつけた。特徴あるフロントエンドの造形は、フードに2つのNACAエアダクトが取り付けられ、ボンネットのラインをできるだけ低く保ち、前作「イスレロ」(リトラクタブルヘッドライトを持っていた)では夜間走行中はヘッドライトを露出させて空力によるパフォーマンス低下があったのだが、それを避けるため、ヘッドライトは小さなフリップするカバーで覆われていた。フリッパーはスイッチを入れると、ライトの下に下向きに格納されるようになっていて、ヘッドライトが上方にせり出すことはない。
生産台数は極めて少ない
伝統的にエスパーダを除けば、ランボルギーニの2+2モデルはどちらかと言えば地味なスタイリングのモデルが多い。そしてハラマもその例に洩れず、地味な仕上がりと言ってよいだろう。シャシーは基本的にエスパーダのそれと同じで、前後のトレッドなどは共通しているが、ホイールベースは270mm短かった。ボディはベルトーネの工場でプレスされ、ボディの組み立てはカロッツェリア・マラッツィで行われた。そしてクルマはサンタアガタに運ばれ、そこで最終アッセンブリングされた各市場に出て行ったのである。
「400GT」と呼ばれた初期モデルは177台。その後、より高性能を求めてアップデートされた「400GTS」が150台作られたことになっているが、この150台のうち5台は生産終了後にキャブレターをオリジナルのウェーバー40DCOEから45DCOEに載せ替えたカスタムとされたそうだ。
4台しかないオートマモデルの1台。もう1台は日本にあった?
ボナムズのロットナンバー118としてオークションにかけられたのは、1976年式のハラマ 400GTSで、エンジン出力を高めて370psとされたものである。エンジンフードに新たなエアスクープが開けられ、ボディにもサイドベントが設けられるなど、熱対策が施されたモデルである。シャシーナンバー10650のこのクルマは、1976年初頭に完成し、カナダ、マニトバ州ウィニペグにデリバリーされたモデル。そして最初のオーナーは、ルービン・ダイヤモンド氏であった。少なくとも1980年まではダイヤモンド氏の元にあったが、その後の所有車履歴は記録されていないという。
シャシーナンバーとエンジンナンバーはマッチしている。ボナムズのコメントではこのクルマにはエアコンとクライスラー製のトルクフライト3速オートマチックが組み合わされているとあるが、ランボルギーニ・ヒストリアンであるオリヴィエ・ナメッシュ氏の調べによれば、シャシーナンバー10650は、わずか4台しか作られなかったオートマチックトランスミッションの搭載車の1台であると記されている。
じつは残る3台のオートマチック車のうちの1台は、日本にあった。1977年のことと記憶するが、私がいたスーパーカーショップでフェラーリを購入した方が、そのフェラーリを見事にクラッシュさせ、新たなクルマの購入を希望してお店にやってきた。その時はミウラに試乗して帰られたが、値段が合わなかったのか、別のモデルを探して欲しいと言われて会社を後にした。そして後日見つけたクルマがハラマであり、そのクルマの回送を筆者が行った。
紛れもないオートマチックのハラマで、当時のオートマチックの出来の悪さからか、フリクションが非常に大きく(整備不足も手伝って)、およそV12のパワーと加速力ではなかったことを覚えている。結局走りが悪かったのは、トルコンスリップが非常に大きかったためで、納車後そのオーナー氏は大阪在住のため、大阪に乗って帰ったのだが、途中でストップしてレスキューを頼んだというから、よほどひどい状態だったのだろう。
オークションに話を戻すと、ボナムズが掲げたエスティメート(推定落札価格)は、4万ドル〜6万ドル(邦貨換算約592万円〜888万円)だった。実際には、6万3840ドル。現在のレートで計算すると約944万8320円で落札された。