さまざまなボディ形状を開発
デザイナーたちは、シルバーシャドウのよりスポーティなバージョンの需要がまだあることを理解していた。しかし、ボディシェルの強度と構造的完全性を実現するモノコック構造から逸脱することはできなかったため、独立系コーチビルダーに任せることはできなかった。
彼らの解決策は、自社のコーチビルダーであるマリナー・パークウォード社が、サプライヤーのプレスド・スチール・カンパニー社製のボディシェルを組み立て仕上げることだった。こうして完成したフィックスドヘッドの2ドアサルーンとドロップヘッド・クーペモデルは、1966年に一般導入された。
1968年にはさらなる技術的変更が行われ、4速ハイドラマチック・ギアボックスがトルクコンバーター付きの3速GM400型に置き換えられた。アメリカの道路に見事に適合することが証明されたサスペンションは、ヨーロッパのコンディションを反映させるためにわずかに硬く設定し、世界中のオーナーが満足のいく仕上がりとなった。
1969年、ロールス・ロイスはロングホイールベース仕様のシルバーシャドウの生産を開始した。これはマリナー・パークウォード社が手がけたもので、標準のボディシェルを半分にカットし、後席の足元スペースを広げるために4.5インチ(11.43cm)長くした。
後継モデルを含めて30年以上にわたって生産
1977年までにシルバーシャドウは進化を続け、「シルバーシャドウII」と正式名称が変更された。サスペンションのセッティングやラック&ピニオン・ステアリング、よりクリーンで効率的なエキゾーストシステムが採用され、ドライバーズカーとしての性格を強めていた。これらのシリーズは、米国の規制当局が要求する大型の黒いポリカーボネート製バンパーが装備されたことで見分けることができる。
米国以外では高速走行時の直進安定性を高めるために、ロールス・ロイスが「アンチ・リフト・パネル」と呼ぶフルワイドのフロントスポイラーを備えていた。ロングホイールベースのマリナー・パークウォード製モデルは「シルバーレイスII」と呼ばれた。
シルバーシャドウは1980年に「シルバースピリット」(基本的に同じシルバーシャドウのフロアパンとメカニックを受け継ぎ、ボディワークがリデザインされた)に置き換えられ、1997年まで生産された。こうしてシルバーシャドウのデザインは永続的な成功を収め、当初も目標であった10年のライフサイクルの3倍以上、ロールス・ロイスに貢献した。
正確な数字を知ることはできないが、3万7000台ものシルバーシャドウと「コーニッシュ」が製造されたといわれており、グッドウッド時代以前のロールス・ロイスの歴史の中で最も成功したデザインであった。60年近く経った今日でも、シルバーシャドウは世界の大都市にある一流の隠れ家で漂っているのを目にすることができる。
AMWノミカタ
ベルギーの作家でル・マン24時間レースで優勝したこともあるモータージャーナリストのポール・フレール氏は、
「ブリュッセルからモナコまで1日で行ったんだ。時速110マイル(約177km/h)で高速道路を疾走するのは不思議な気分で、エンジン音も道路からの騒音もなく、エアコンが車内の温度を完璧に保っていた。モンテカルロに到着すると、シルバーシャドウの印象がさらに際立った。私はさわやかで、リラックスしていて、少しも疲れていなかったからだ」
とコメントしたという。700マイル(約1126km)を走った後のクルマに対する驚くべき賛辞である。それほどまでにシルバーシャドウの完成度が他のモデルに比べ群を抜いていた証拠であろう。30年以上にもわたりコーニッシュ含め3万7000台もの車両が販売され続けた実績もこのモデルの自動車としての価値を証明するとともに、ロールス・ロイスを支えた大成功モデルでもある。