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3万7000台も売れたロールス・ロイス! 10年の予定が30年以上も貢献した「シルバーシャドウ」とは一体どんなクルマだった?

ロンドンで撮影されたロールス・ロイス シルバーシャドウI

1965年にデビューしたシルバーシャドウを紹介

ロールス・ロイスは創業120周年を迎える2024年、ブランドを語るうえで重要な人物やモデルにフォーカスを当てて紹介しています。今回紹介するのは1965年に登場した「シルバーシャドウ」です。このモデルはボディ一体のモノコック構造を採用し、ロールス・ロイスでは初めて導入しました。この大成功を収めたモデルの歴史を紐解きましょう。

1958年に2つの実験モデルが作られた

1954年2月、ロールス・ロイスのエンジニアたちは、「シルバークラウド」の後継車について考えていた。その理由は、将来オーナーは全体的にコンパクトで、室内空間を犠牲にしない自動車を望むようになるだろうと予測していたからだ。これは、コーチビルドのボディワークをローリングシャシーに取り付けるという伝統的な手法で実現するのは非常に困難だった。エンジニアたちは、その答えがモノコック構造にあることを知っていた。

新しいモデルのデザイン作業は1958年に本格的に開始し、2つの実験モデルが作られた。1つはホイールベースが126インチ(317.5cm)でわずか3台しか製造されなかったが、もう1台はそれより6.5インチ(16.51cm)短いものだった。彼らはすぐに、より小型のバージョンが進むべき道であることに気づき、「SY」というコードネームで本格的な開発に入った。1965年にデビューした「シルバーシャドウ」と名づけられた新モデルとなったのは、このショートホイールベースバージョンをベースとしている。

最大10年間生産し続けるデザインを目指して製作

シルバーシャドウの大まかなコンセプトと詳細なデザインは、チーフ・スタイリングエンジニアであった、ジョン・ブラッチリー氏の手によるものだった。彼の困難を極める任務のひとつは、モノコック構造に関連する高額な金型費を回収するために、最大10年間生産し続けることができるデザインを生み出すことだった。

シルバーシャドウはエンジンとハイドラマチック4速オートマチックギアボックスは先行する「シルバークラウドIII」から受け継がれたが、シルバーシャドウのほかのほとんどは新しいものだった。最も明らかな革新は3ボックスのボディシェルで、シルバークラウドIIIよりはるかに小さいにもかかわらず、室内の乗客スペースが拡大され、燃料タンクも大きく、荷物容量も大きくなった。

快適性、ハンドリング、静粛性も大幅に向上した。これは、モノコックボディの高いねじり剛性と、サブフレームをボディシェルから分離し、路面から伝わる騒音、振動、ハーシュネスを低減するビブラショックマウントを採用したことによるものだった。その他にも、4輪ディスクブレーキ、油圧作動式セルフレベリング独立リアサスペンション、オートマティックセレクターとフロントシート調整機能などが初装備された。

さまざまなボディ形状を開発

デザイナーたちは、シルバーシャドウのよりスポーティなバージョンの需要がまだあることを理解していた。しかし、ボディシェルの強度と構造的完全性を実現するモノコック構造から逸脱することはできなかったため、独立系コーチビルダーに任せることはできなかった。

彼らの解決策は、自社のコーチビルダーであるマリナー・パークウォード社が、サプライヤーのプレスド・スチール・カンパニー社製のボディシェルを組み立て仕上げることだった。こうして完成したフィックスドヘッドの2ドアサルーンとドロップヘッド・クーペモデルは、1966年に一般導入された。

1968年にはさらなる技術的変更が行われ、4速ハイドラマチック・ギアボックスがトルクコンバーター付きの3速GM400型に置き換えられた。アメリカの道路に見事に適合することが証明されたサスペンションは、ヨーロッパのコンディションを反映させるためにわずかに硬く設定し、世界中のオーナーが満足のいく仕上がりとなった。

1969年、ロールス・ロイスはロングホイールベース仕様のシルバーシャドウの生産を開始した。これはマリナー・パークウォード社が手がけたもので、標準のボディシェルを半分にカットし、後席の足元スペースを広げるために4.5インチ(11.43cm)長くした。

後継モデルを含めて30年以上にわたって生産

1977年までにシルバーシャドウは進化を続け、「シルバーシャドウII」と正式名称が変更された。サスペンションのセッティングやラック&ピニオン・ステアリング、よりクリーンで効率的なエキゾーストシステムが採用され、ドライバーズカーとしての性格を強めていた。これらのシリーズは、米国の規制当局が要求する大型の黒いポリカーボネート製バンパーが装備されたことで見分けることができる。

米国以外では高速走行時の直進安定性を高めるために、ロールス・ロイスが「アンチ・リフト・パネル」と呼ぶフルワイドのフロントスポイラーを備えていた。ロングホイールベースのマリナー・パークウォード製モデルは「シルバーレイスII」と呼ばれた。

シルバーシャドウは1980年に「シルバースピリット」(基本的に同じシルバーシャドウのフロアパンとメカニックを受け継ぎ、ボディワークがリデザインされた)に置き換えられ、1997年まで生産された。こうしてシルバーシャドウのデザインは永続的な成功を収め、当初も目標であった10年のライフサイクルの3倍以上、ロールス・ロイスに貢献した。

正確な数字を知ることはできないが、3万7000台ものシルバーシャドウと「コーニッシュ」が製造されたといわれており、グッドウッド時代以前のロールス・ロイスの歴史の中で最も成功したデザインであった。60年近く経った今日でも、シルバーシャドウは世界の大都市にある一流の隠れ家で漂っているのを目にすることができる。

AMWノミカタ

ベルギーの作家でル・マン24時間レースで優勝したこともあるモータージャーナリストのポール・フレール氏は、

「ブリュッセルからモナコまで1日で行ったんだ。時速110マイル(約177km/h)で高速道路を疾走するのは不思議な気分で、エンジン音も道路からの騒音もなく、エアコンが車内の温度を完璧に保っていた。モンテカルロに到着すると、シルバーシャドウの印象がさらに際立った。私はさわやかで、リラックスしていて、少しも疲れていなかったからだ」

とコメントしたという。700マイル(約1126km)を走った後のクルマに対する驚くべき賛辞である。それほどまでにシルバーシャドウの完成度が他のモデルに比べ群を抜いていた証拠であろう。30年以上にもわたりコーニッシュ含め3万7000台もの車両が販売され続けた実績もこのモデルの自動車としての価値を証明するとともに、ロールス・ロイスを支えた大成功モデルでもある。

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