苦難の連続だったM55発表までの道のり
2024年11月21日、光岡自動車は新型車「M55(エムダブルファイブ)」を発表しました。ホンダ「シビック」をベースとした4ドアセダンで、光岡自動車創業55周年記念モデルとして開発されました。発表会では、3年前に企画が立ち上がってからこの日の発表まで、本当に苦難の連続で企画倒れになる可能性もあったという話も。ミツオカがこの新モデルに込めた渾身の思いとは?
一度登録し未使用中古車としてユーザーに販売
2005年に公開された映画『ALWAYS 三丁目の夕日』をご存じだろうか。1958年の東京下町を舞台とした人々の温かな交流を描くハートウォーミングなドラマだ。その映画に出てくるシーンは、当時の現実的情景の再現以上に、人々の記憶や心に存在しているイメージ的情景を再生し、高い評価を得た。
そんなエッセンスをもつクルマが今日発表された。2024年11月21日、光岡自動車が創業55周年記念モデルとして発表した「M55(ダブルファイブ)ゼロエディション」だ。限定100台で販売されるM55は先ほど紹介した映画『ALWAYS 三丁目の夕日』のように、光岡自動車と同じ世代を生きる人々をターゲットとした、1970年代の人々の記憶や心に存在しているイメージを具現化したモデルに仕立てられている。
発表会の中で、光岡自動車執行役員ミツオカ事業部営業企画本部長の渡部 稔氏は、企画から発売までの苦労と長い道のりを話してくれた。
M55の企画は2021年秋にスタートそうだが、当時はSUVの「バディ」が納車2〜3年待ち。生産現場ではバディの増産対応に追われていて、先のことより今をどう乗りきるのかに注力していた毎日だったそうだ。その状況を目の当たりにして、次の商品をいつ出せるのか? 次は何を出したら良いのか? 正直、ポッカリ心に穴が空いた状況だったと振り返る。
街中を走るクルマを眺めては圧倒的なSUVの多さと国産セダンの絶望的な少なさにあらためて時代の流れを感じ、次もSUVで行くべきなのかと悩んだという。その一方で街中にあふれるSUVを見ると、これは子育てを終えた夫婦2人が使うには持て余すサイズだろうし、子育ても終わり、仕事も家庭も全力投球で歩んできた世代には、これから先もっと気分を上げて楽しめるクルマがあってもいいのではないか? という考えも浮かんだそうだ。そしてバディを超えるものはもう、生み出せないかもしれない。そういった諦めによって肩の荷が下り、数を追う迷いを消してくれたと話す。
SUV全盛だからこそ70年代に街中で輝いていたGTカーを作りたい
これまで販売した「ロックスター」やバディが、遠い国、異文化への憧れだとしたら、M55はあの頃の日常の中の憧れ。そして光岡自動車と同じ55年の時を生きてきた世代は、高度経済成長を感じながら成長していった世代である。
そういった人たちが子どものときに、GTカーが砂利道を駆け抜けていったり、田んぼのあぜ道に何気なく停まっていたり。少年たちにはGTカーを操る近所のお兄さんや親戚のおじさんが輝いて見えた。早く自分も大人になってあんなクルマに乗りたいという、そんな憧れを表現したGTカーを作りたいと思ったと話してくれた。
そんな想いをデザイナーに伝えると、当時発表されたばかりのホンダ シビックならば実現できるのはないかと提案されて制作に取りかかり、2023年に「M55 コンセプト」をお披露目となった。市販化を熱望する1300件あまりの応援メッセージが届き、こちらの思いが伝わった喜びと裏腹に、現実は名前のとおりコンセプトで終わりそうだったという。
その理由のひとつは、ベース車両を安定して調達できるか不透明であったこと。それは光岡自動車にとって、主要部品が手に入らない可能性を意味する。M55のベース車が確保できなければ、ユーザーに迷惑をかけるだけ、ということになるからだ。
企画倒れも覚悟していたそうだが、ベース車を一旦登録するという条件ではあるが、M55 ゼロエディションのベース車100台の調達に目処がついて本日の発表につながったそうだ。名前の「ゼロエディション」には、市販化の道筋すら見えなかったところから、まさにゼロベースで臨んだ、このクルマに注いだ熱い想いが込められている、と結んだ。