重いクラッチとハンドルでドライブするのはまさに大冒険
ベントレーは1924年と1927年に3 Litreというモデルでル・マンを制覇している。その後登場した4 1/2 Litreはさらに剛性を確保するために追加のフレームサポートバーが装備されている。サスペンションは当然リーフスプリングのみなので上下の振動の納まりが悪く、決して乗り心地は良いとは言えないが、実際のところそれほど不快ではない。それよりも助手席の前にあるオイル注入口が左足を邪魔し正しいポジションを座ることができないことが予想外だった。レースでは2人乗りは想定されていなかったので正しいポジションで座れないのは仕方がないが、逆にドライバーが走行しながら室内からオイルを注ぎ足すという考えに驚く。周回ごとに運転席の右側にあるラップカウンターをクリックし、エアーやオイルも継ぎ足さなくてはいけない…….なんと忙しいレースであっただろうか。
神田明神で交通安全のお祓いを受け、観光客の多い雷門と築地はとりわけ多く写真を撮られることになる。なかでも外国人には受けが良い。興味を持ってくれた人ひとりひとりにこのクルマの素晴らしさを解説したいところだが、先を急ぐこととする。
しばらくルートマップに沿って東京を巡り、赤羽橋から三田に下り、綱島三井倶楽部の坂道を登ったところで残りのコースはキャンセルしスタート地点に戻ることにした。理由はドライバーである涌井氏のクラッチを踏む力がなくなってしまったからだった。今回のコースはじつに微妙な勾配や信号によるストップ・アンド・ゴーが多く、半クラッチを多用したことによる疲労だった。かつて自動車評論家の小林彰太郎さんもこのクルマのクラッチの重さに辟易し運転を諦めたことがあったと聞く。
クラッチだけではない。パワステのないハンドルはつねに両手と全身を使って回し、倍力装置の付いていないブレーキもかなり体力を消耗させるものだろう。数日前に涌井氏の運転するマニュアル車でコースの試走をしたが、全コースまったくもって普通にドライブすることができた。そんな様子を見るとこの100年のクルマの進歩は目覚ましいものがあると改めて感じる。そして24時間このクルマを振り回していたバーナートとルービンのタフさに驚く。モータースポーツという言葉よりは命をかけた大冒険と言ったほうがふさわしいのかもしない。
歴史的なクルマを次の世代に引き継いでいくために
97年前に製造されたこのオールド・マザー・ガンでの公道初走行はかくして終了したが、クルマ自体はじつに堅牢でまったく問題なく走れることがわかったことが何よりの収穫だった。涌井氏もこれまで自身で所有していながらもこのモデルは「恐れ多くて」公道を運転したことはなかったという。このような機会に多くの人にこの歴史的なクルマの動いている姿を見ていただけたことも大きな収穫であろう。
「W.O.ベントレーの考えを理解するためには実際にクルマに乗ることが大事」
と涌井氏はいつも語るが、今回の同乗体験で感じた音、振動、匂いを通じてW.O.ベントレーの目指していた「良いクルマ、速いクルマ、クラス最高のクルマを作る」という想いを体感できた気がする。そして、このクルマを操る涌井氏の一挙手一投足にバーナートとルービンの姿を重ね合わせ、彼らの挑戦もほんの一部を追体験できた。
クラシックカーを持つということは、そのプロダクトそのものに愛情を注ぐとともに、そのクルマの歩んだ道のりや、前オーナーの想いへの敬意、そして当時の空気感までも次の世代に正しく引き継ごうとする情熱が必要なのだろうと、このラリーの参加者たちの姿を見て感じた。
オールド・マザー・ガンは今回公道初走行として注目を集めたが、これから本格的に継承プロジェクトを進めてゆく。4年後の2028年はこのクルマがル・マンで優勝してからちょうど100年を迎える節目の年となる。この100周年をこのクルマが新しい家族のもとで幸せに祝われることを心から願っている。
■オールド・マザー・ガンに関する情報
https://www.instagram.com/1928_winner/