21世紀につくられた? ブガッティT35T
ブガッティ「T35」に端を発する、いわゆる「グランプリ・ブガッティ」は自動車史に輝く名作であり、その圧倒的な美しさから、幾たびものレストアを受けつつ大切に継承されてきています。ただし、製作から丸1世紀が経過しているレースカーゆえに、オリジナル性がかなり失われているのは当たり前のこと。また、シンプルな構造ゆえに部品の再生も比較的容易なことから、価値(時には真贋も)を見極めることが非常に難しいモデルとしても知られています。そんな国際的市況のもと、ボナムズ社が2024年9月に英国で開催したオークションでは、昨今流行りの「レクリエーション」レベルで製作されたブガッティ「T35T」が出品されていました。
レースにおける圧倒的な戦果と美しさを兼ね備えた名作、ブガッティT35とは?
1930年代初頭までに、エットレ・ブガッティは、公道でもサーキットでも卓越した性能を発揮する伝説的なクルマたちを製造することによって、無類の権威を確立していた。世界の偉大なレーシングドライバーたちは、モルスハイム工場の製品に乗って数え切れないほどの成功を収め、日常的な移動手段としてもブガッティを選ぶことが多かった。
その名声を決定的なものとしたのが「タイプ35(T35)」。1924年8月、リヨン・ジヴォールで開催された「ACFグランプリ」でデビューを飾った。最初期「T35リヨン」の1991cc直列8気筒エンジンは、ブガッティ初の8気筒車「T30」のそれを受け継いだものだったが、メインベアリングが3つのプレーン式から5つのローラー/ボールベアリングに変更され、潤滑システムも大幅に改良されていた。
美的観点から細身で直方体のカムカバーを好むエットレ・ブガッティの嗜好に従い、各シリンダーの3つのバルブは1本のオーバーヘッドカムシャフトによって作動するSOHC。そして当時としては最新鋭だったこのエンジンは、フロントに半楕円リーフスプリング、リアに1/4楕円式リーフスプリングを備えた新世代シャシーに搭載され、画期的かつ美しい合金ホイールが組み合わされる。
当初、ローラーベアリング+自然吸気2.0Lの「T35(リヨン)」として登場したT35シリーズは、その後2.3L+スーパーチャージャーの最高性能版「T35B」や、その2.0L版の「T35C」、ロードユーズに供する愛好家用にエンジンをプレーンベアリングの自然吸気2.0Lとした廉価版「T35Aテクラ(模造真珠のこと)」、そして過給機の使用を禁じていた伊「タルガ・フローリオ」に参戦すべく、ローラーベアリング+自然吸気2.3Lとした「T35T」など、数多くの派出モデルも登場することになる。
数えきれないほどの勝利を獲得
T35とそのファミリーは、1926年の第1回「マニュファクチャラーズ世界選手権(同年のタルガ・フローリオを含む)」を制したのを皮切りに、ワークスおよびプライベーターとともに数えきれないほどの勝利を獲得し、間違いなく史上もっとも成功したレーシングカーとなった。くわえて、自動車に「機能美」という観念を発生させた開祖ともいうべき美しさもあって、T35に代表されるグランプリ・ブガッティは、100年後の現在にあっても自動車愛好家の最終目標のごとく崇拝されている。
そして、この名作を後世に残すべく高度なリプロダクションパーツが、英国やアルゼンチンの専門業者によって潤沢に製作・流通しており、新たに「新車」を製作することも困難ではないといわれているのだ。
実際、アルゼンチンに本拠を置く最大手のブガッティ用パーツ供給会社では、「Le Pur Sang」と命名されたヴィンテージ・ブガッティ各モデルの高度なレクリエーション車両を製作・販売していた時期さえあったものの、現在では道義的な理由から、少なくとも表向きにはコンプリート状態での販売はしないことになっているそうだ。
レストア、それともレクリエーション?
2024年9月7日、ボナムズ社の「Goodwood Revival Collectors’ Motor Cars and Automobilia 2024」オークションに出品されたブガッティ T35Tは、2018年〜2019年にかけて「ジェントリー・レストレーションズ」社によって、1926年にタルガ・フローリオで優勝したT35Tのオリジナル仕様にフルリビルトされた1台である。
ジェントリー社は、同じ英国の「アイヴァン・ダットン」社と並び、ブガッティの修復やメンテナンスの分野では世界の最高峰と称される工房。彼らはレストア用の「プロジェクト」としてこのT35Tを購入し、2009年に関連部品とともにドイツから輸入したが、その時点では走行不能なローリングシャシーだった。
ジェントリー社の長、スティーヴン・ジェントリー氏は、既存のオリジナル部品が摩耗していたり、品質が怪しかったり、安全性や信頼性に問題があると判断した場合には、英国内(ないしはアルゼンチン製も?)で再生産されたリプロ部品や交換部品へと換装しながら、このT35Tを再構築したとのこと。
ジェントリー・レストレーションズ社による、約18カ月にも及ぶレストア期間中には、かつて仏モルスハイムでつくられた純正T35Tスペックに忠実であることを保証するために細心の注意が払われたそうだが、走行性を向上させるために若干の現代的な改造が加えられたとのこと。このリビルド工程については、完全な写真記録が入手可能という。
シャシー(No. R4264)はモルスハイム製のオリジナルではないものの、T35の専用治具で測定した結果、完璧にオリジナルを「再現」していることが判明している。いっぽう「019A」と刻印された直8エンジンは、T35Tスペックのマグネトー点火の5ローラーベアリングとされている。つまり、本来のシャシーナンバーのないフレームを使用していることから、レクリエーションに近い内容のレストア車両とみるべきだろう。
レストア後はほとんど走行していない
この個体は、2009年に英国内での登録のため「DVLA(Driver and Vehicle Licensing Agency:運転免許庁)」による検査と写真撮影を受け、登録番号「BF 5305」が与えられた。ただし2009年以前の履歴は不明であり、車両は2019年に「ビルドアップ(新規製作)」されたものとして認知されている。
このブガッティ T35Tはレストアのあと、ほとんど走行しておらず、ジェントリー社による販売前の点検と整備ののち、さらなる公道や競技会への出走の準備ができていると主張されていた。
ボナムズ社は「ブガッティ T35の100周年を祝うのに、これ以上の方法があるだろうか?」という煽情的なPRフレーズとともに、25万ポンド~30万ポンド(当時のレートで約4900万円〜約5900万円)という、完全オリジナルとして認められたブガッティT35の相場価格の1/10以下にも相当するエスティメート(推定落札価格)を設定していた。
ところが実際の競売では出品サイドの規定した「リザーヴ(最低落札価格)」には到達せず、残念ながら「流札」に終わってしまったようである。
ただし、現オーナーおよびボナムズ社の見立ては決して過大評価などではなく、たとえばアルゼンチン「Le Pur Sang」が今世紀に自社製パーツで製作したT35であっても、もし現在の国際マーケットに売りに出されれば、5000万円を下回ることなどほとんどないのが実情。
したがって、今回のオークションについていえば、決して多くはない顧客候補との折り合いがつかなかったということなのであろう。