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30年愛用するデイムラー「SP250」になぜ佐藤琢磨やフェリペ・マッサのサインが…? 奇跡的に大火から難を逃れた英国車の半生とは

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TEXT: 長尾 循(NAGAO Jun)  PHOTO: 長尾 循(NAGAO Jun)

  • デイムラー SP250:約30年前にアメリカの前オーナーから購入
  • デイムラー SP250:個性的なデザインのボディはFRP製
  • デイムラー SP250:パワーユニットは同時期のデイムラー2.5L V8サルーンと共通の2548cc V8エンジン
  • デイムラー SP250:リアフェンダー上のテールフィンなど、北米市場を意識していたことをうかがわせる
  • デイムラー SP250:2016年12月に発生した「糸魚川市大規模火災」の難を奇跡的に逃れた
  • デイムラー SP250:デイムラーといえば格式の高いリムジンの印象が強いブランド
  • デイムラー SP250:ボディにエステバン・オコンのサインが入っている
  • デイムラー SP250:糸魚川市でクラシックカー・イベントの実行委員を務めてきた一方で、他のさまざまなイベントにも積極的に参加している
  • デイムラー SP250:デイムラーの長い歴史の中では数少ないオープン2シーター・スポーツカー
  • デイムラー SP250:助手席のダッシュにはフェリペ・マッサとニコ・ヒュルケンベルグのサインが入っている
  • 1962年式デイムラー SP250と、オーナーの大久保峰生さん

第2回Swap & Meet in 妙高に参加していたデイムラー SP250スポーツ

昨今は春と秋のハイシーズンを中心に、日本全国各地で毎週のようにクルマのイベントが開催されています。そのコンセプトや規模はさまざまですが、日本では少数派の「リゾート滞在型イベント」を標榜し、家族連れでも楽しめるように多彩な趣向を凝らして開催されるというユニークなイベントが「Swap & Meet in 妙高」。今回はそこに参加していた英国ヒストリックカー、デイムラー「SP250」のオーナーを紹介します。

デイムラーとしては異色のオープン2シーター・スポーツカー

戦前から、軽井沢と双璧をなす高原リゾート地として知られた新潟の妙高・赤倉温泉エリア。その赤倉スキー場の大駐車場で2024年の10月12日~13日にかけて「第2回Swap & Meet in 妙高」が開催された。これは2024年の4月に第1回が開催されたばかりのフレッシュなイベントだ。その初回がエントラントはもとより、ギャラリーや地元自治体などからも好評につき、早くも半年後の秋に第2回目が開催されたわけだが、そこにエントリーしていた1台がこちら。1962年式のデイムラー「SP250」だ。

ドイツのダイムラーの英国でのエンジン製造権を取得したデイムラーが、独自に自動車製造を始めたのは1896年のこと。自動車黎明期のイギリスで、熱心なモータリストとしても知られていた国王エドワード7世がデイムラー車を愛用したことから、デイムラーは1902年に英国王室御用達のクルマに選定される。このことから、デイムラーといえば格式の高いリムジンの印象が強い。

「デイムラーの中では、ちょっと異質な存在ですよね」

と語るのはオーナーの大久保峰生さん。たしかにデイムラー SP250スポーツは、フォーマルなリムジンやサルーンを作り続けてきたデイムラーの長い歴史の中では数少ないオープン2シーター・スポーツカーだ。そのデビューは1959年のこと。個性的なデザインのボディはFRP製で、パワーユニットは同時期のデイムラー2.5L V8サルーンと共通の2548cc V8エンジン。

「やはりデイムラーも当時の北米市場を強く意識していたのでしょうね」

と大久保さんがおっしゃるように、改めて見ればアクの強いフロントマスクやリアフェンダー上のテールフィンなども、彼の地のユーザーの好みに寄せたものに思える。

憧れのクルマをアメリカから購入

「SP250スポーツを初めて見たのは雑誌でした。その姿が強く印象に残って、いつか乗ってみたいと思っていました」

MGや「バンプラ」など他のヒストリックカーに乗って楽しんでいた大久保さん。でもじつはずっとSP250のことを気にかけていたことを知っていた知人が、ある日アメリカで売り物があるらしいと知らせてくれた。それが今から30年ほど前のことである。

もともとは、オーナーだった夫の形見として手元に残しておきたいと考えていた老未亡人が、クルマを大切にしてくれる熱心な方になら託したいと話がまとまり、こうして長らくアメリカに棲んでいたSP250がはるばる海を渡って日本にやってきたのだった。

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