クーペモデルはフロントドアを大型化
W100が誕生したのは1963年のこと。そのサイズ感から言っても、ライバルとなるのがロールス・ロイスやベントレーであることは明白であった。ただ、1981年までの18年間にわたり生産されたものの、その総数は3000台にも満たず、おおよそ2700台前後のようである(調べによって台数が異なる)。その当時ロールス・ロイスなどは年間で3000台ほどを生産していたそうだから、要は10%にも満たず、商業的には失敗と言われても仕方がなかった。ただ、各国の国家元首もオーナーに名を連ね、また有名な俳優やミュージシャンなどもこぞって購入していたから、ブランド価値の向上には貢献していたと言えよう。
さて、2台生産されたと言われるクーペモデルである。基本的にAピラーまではショートホイールベース版のモデルと共通で、後席へのアクセスを容易にするために、フロントドアを大型化。さらにクーペ用としてサイドウインドウを新規に作り出した。リアウインドウおよび他のボディパネル(リア部分)は、再びオリジナルの600と共有していた。ホイールベースはショート版の600に対して220mm短縮されていた。
メルセデスに貢献した2人にプレゼントした
エンジンを含むメカニカルトレインも共通で、「M100」というコードを持つ6.3L V8でボッシュ製のメカニカルインジェクションを備えたものである。パワーは大したことはなく250ps。それでも、トップスピードは2.5tもある車重をものともせず、204km/hを記録したそうだ。
ではこの2台、いったい何のために作られたのか? 2台のうち1台は長年メルセデスに貢献をし、1965年に退任したエンジニア、フリッツ・ナリンガーにプレゼントとして贈られたものだという。ナリンガーは600の開発でも主要な働きをした人物である。
そしてもう1台だが、同じくメルセデスに多大な貢献をしたルドルフ・ウーレンハウトにプレゼントされたという話もあるが、一方で彼は生涯自分のクルマを所有したことがないという話もあって、あまりにも有名な「300 SLR ウーレンハウトクーペ」も彼本人のクルマではなく、いわゆるメルセデスの社用車。彼はそのクルマを操って、シュトゥットガルト〜ミュンヘン間をわずか1時間で駆け抜けたという逸話がある。
というわけで、もう1台のW100クーペはもっぱら社内のテスト用に供されたというのが正しいようだ。ちなみにこのクルマは、ミニカーとしては存在し、それらの多くは「ナリンガー・クーペ」と呼ばれている。残念ながら今に至るまで、現物は見たことがない。そもそも現存するのかどうかもわからないクルマであるが、スクラップにされたという記述もどこにもないのである。
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