本場アメリカほどの価格には至らない……?
2010年代後半あたりから、とくに北米のクラシックカー界で急速に再評価されているのが、1960年代〜1970年代に北米を中心に大流行した「デューンバギー」。主にフォルクスワーゲン「タイプ1」(ビートル)をベースとし、砂丘やビーチで豪快に走ることのできるバギーたちは、コロナ禍あけでレジャー志向の高まったクラシックカー市場でも注目株となっているようです。2024年9月に英国チチェスター近郊でボナムズ社が開催したオークションでは、デューンバギーの開祖ともいわれるメイヤーズ「マンクス」が出品されていました。
1970年代ポップカルチャーを飾ったデューンバギーのアイコン
日本でも「ウェストコースト(アメリカ西海岸)」への憧れがピークに達するとともに、サイケなポップカルチャーも花開いた1970年代初頭に、自動車界では「デューンバギー」と呼ばれるジャンルのクルマが隆盛を極めていた。
そのムーヴメントの中核にあったメイヤーズ「マンクス デューンバギー」は、カリフォルニア出身のエンジニア兼アーティスト、ボートビルダーやサーファーでもあるブルース・F・メイヤーズが、砂漠のレース用にデザインした小型レクリエーショナル・ビークルである。
メイヤーズの最初の作品は自身のために製作したもので、のちに「オールド・レッド」と呼ばれた。そしてメイヤーズの量産型バギーは、1964年から1971年までカリフォルニア州ファウンテン・バレーにある彼の会社「B.F.メイヤーズ」社で生産。最初のデザインは、ホイールベースを短縮したVWビートルに取り付けるFRP製ボディキットとして商品化され、アメリカ西海岸を中心に広く販売されてゆく。サーフボードの名匠として知られたメイヤーズにとって、FRPの造形はまさしくお手のものだったのだ。
そして彼のブランドネームとロゴデザインは、ショートホイールベースのバギーのずんぐり・ポッチャリした可愛らしいルックスにちなんで、生まれつきしっぽのない「マンクス」猫種からアイデアを得たものだった。
一夜で約350台の注文が舞い込んだ
メイヤーズは1967年、マンクスを駆ってメキシコで開催された世界最高峰のオフロードレース、「バハ1000」において、それまで最速だったモーターサイクルの記録を更新し、大きな評判を獲得する。そして、バハ記録を樹立して1週間も経たないうちに、メイヤーズのマンクスは『カー・アンド・ドライバー』誌1967年4月号の表紙を飾り、ほぼ一夜にして同社には約350台の注文が舞い込むことになった。
さらに1968年、ハリウッドの世界的スーパースター、スティーヴ・マックイーンが映画『華麗なる賭け』で使用するために、マックイーン自身のデザインで改造されたカスタムメイドのメイヤーズ マンクスをフルオーダーしたことにより、メイヤーズ マンクスの歴史におけるもうひとつの重要なマイルストーンが訪れることになった。
VW空冷フラット4に代えて、シボレー「コルべア」用の空冷フラット6を搭載したマックイーンのメイヤーズ マンクスに、フェイ・ダナウェイを乗せてビーチを疾走するシーンは、この映画の数ある忘れがたいシーンのひとつとなったのだ。