NASAが開発に関与した? 伝説のスーパーバード
2024年10月9日〜10日、米国ペンシルヴェニア州のテーマパーク「ハーシーズ・チョコレートワールド」で開催されたクラシックカーミーティングは、いかにもアメリカならではと思わせる、とてもローカル色の強いイベント。そこでRMサザビーズが開催したオークションから、今回はアメリカの象徴である「NASCAR」選手権のために開発され、時代のあだ花となったプリマス「ロードランナー スーパーバード」をピックアップ。そのストーリーと現在のマーケットにおける情勢について、お伝えします。
わずか3シーズンだけNASCARを席巻したエアロカーとは?
クライスラー系の純正部品、とくにモータースポーツ用純正パーツのブランド名から転じ、ダッジ/プリマス/クライスラーの高性能モデルの総称としても使用される「MOPAR(モパー)」。その代表格ともいうべきプリマス「スーパーバード」は、そびえ立つリアスポイラーや流線形のノーズコーン、そして大柄なグラフィックが特徴的な「マッスルカー」時代の頂点を極めたモデルであり、今でもアメリカを代表する自動車形状のひとつである。
1960年代末、当時のNASCAR最上クラス「グランドナショナル・シリーズ」では、GMを除くビッグ3の両雄、フォード・グループとクライスラー・グループがそれぞれ「フォード」&「マーキュリー」、そして「ダッジ」&「プリマス」の4ブランドでワークスチームを大々的に投入していた。
そして、すでにヨーロッパのモータースポーツ界では常識となりつつあったエアロダイナミクスを積極的に利用する考え方が北米にも上陸したのも、ちょうどこの時期だった。1969年にフォードは、「フェアレーン トリノ」をベースとして初めて空力対策を盛り込んだ「エアロカー」、フォード「トリノ GT タラデガ」およびマーキュリー「サイクロン スポイラーII」を投入し、デビュー直後からクライスラー陣営を慄然とさせる戦果を挙げてゆく。
1969年に500台ちょうどが製作された
しかし、クライスラー側もタラデガ&スポイラーIIの活躍を、ただ黙って見過ごしていたわけではなく、NASCAR史に残るエアロカー「チャージャー デイトナ」を、まずはダッジ・ブランドでデビューさせる。
なんと、あのNASAから風洞とエンジニアを借り受けて設計されたダッジ チャージャー デイトナは、同時代のクーペ「チャージャー 500」のノーズ先端に長さ18インチ(約46cm)もの巨大なFRP製ノーズコーンと、左右リアフェンダーから高々とそびえ立ち、トランクをまたぐリアウイングを装着したホモロゲーションスペシャル。1969年シーズンにNASCARが指定した最低生産台数の500台ちょうどが製作された。
このハリボテのごときノーズコーンの装着で、全長はリムジン並みの5.6mにも達していたのだが、やはり効果はてきめん。オーバルサーキットでは時速200マイル(320km/h)のスピードを獲得したダッジ チャージャー デイトナは、1969年シーズンのNASCAR選手権を席巻したのだ。
伝説の怪鳥! プリマス スーパーバードとは?
1970年シーズンに向けて、クライスラーは大成功したダッジ チャージャー デイトナの次期モデルとして、プリマス「ロードランナー」のエアロカー「スーパーバード」をデビューさせる。スーパーバードは、1年前にフォードに移籍したNASCARの帝王、リチャード“キング”ペティを、プリマス・ファミリーに呼び戻すことだけを目的としていた。
ベースとなるロードランナーは、ワーナーブラザーズ/ルーニートゥーンズのTVアニメキャラクター、路上を猛スピードで走る小さな鳥の名前から付けられたもの。いつも失敗の連続でショボくれたコヨーテと、彼をからかうような「Beep, Beep!」という鳴き声とともにアメリカ荒野の道を逃げ回る鳥を覚えている向きも多いだろう。
そのロードランナーのスーパーバージョンだからスーパーバード。これが伝説の怪鳥の由来である。
この追加生産はNASCARのレギュレーション一部改定に伴い、1970年1月までに計1500台を生産しなければならなかったため。そこでスーパーバード市販モデルは、チャージャー デイトナとほぼ共通のデザインとされたが、1000台を超える生産性を考慮して、ノーズコーンがスチールとされるなどの改良も行なわれていた。
スーパーバードのパワーユニットは、いずれもビッグブロックV8の3種。シングル4バレル式キャブレターを搭載し375psを発生する「440スーパーコマンド」が標準指定とされ、3基の2バレル式キャブで390psを発生する「440スーパーコマンド シックスバレル(通称シックスパック)」、そして排気量を当時のNASCARレギュレーションに対応して縮小させるかたわら、より効率の高い半球形燃焼室で431psをマークする「426 ヘミV8」エンジンが、ホモロゲート用にごく少数のみ用意された。
総生産台数は1920台がリリースされた
こうして誕生したロードランナー スーパーバードは、前年のチャージャー デイトナの活躍もあって、正式発売前からマーケットでの評判は上々、結局1920台ものスーパーバードがラインオフされるに至った。
そしてプリマス・ワークスの目論みどおりNASCAR「グランドナショナル・シリーズ」の1970年シーズンはスーパーバードの一群によって文字通り制圧されてしまったのである。
ところが、この華々しい戦果が逆に仇となって、スーパーバードの落日は意外なほど早く訪れることになる。1971年シーズン開幕からNASCARの最上級カテゴリーが「ウィンストン・カップ」へとシリーズ名を変える(2003年まで継続)のと時を同じくして、泥沼的な空力モディファイ合戦の発生を危惧した主催者側の判断によって大規模なレギュレーションの改定が行なわれたのだ。
この新レギュレーションでは「エアロカー(フォード トリノ GT タラデガ、マーキュリー サイクロン スポイラーII、ダッジ チャージャー500&チャージャー デイトナ、プリマス ロードランナー スーパーバードの5機種)」は、エンジン排気量を従来の最大430cu.in.(約7.4L)から305cu.in.(約5.0L)まで制限されることになっていた。
これはパワーがモノをいうオーバル・レースにおいて、実質的にはサーキットから締め出されたにも等しい過酷な裁定だったのだ。
フルレストアされて間もない個体が出品
2024年10月初旬、「Hershey 2024」オークションに出品されたプリマス ロードランナー スーパーバードは、フルレストアされて間もない個体。
新車時以来のフェンダータグには「トーアレッド」(EV2)のボディカラーに、「ホワイト」(P6XW)のバケットシートが装備されたインテリア。「ダナ」の9 3/4インチ・リアアクスル、ファイナルギヤ比3.54:1の「シュアグリップ」ディファレンシャル。そして、この時代のMOPARを象徴する「ピストルグリップ」シフターつき4速マニュアルトランスミッションが装着されていたことが記されている。
いっぽうキャビンには、これもMOPARの象徴的な「チック・タック・タコ(Tic-Toc-Tach)」コンビネーションメーターと、ロードランナーの特徴である「Beep, Beep!」というルーニートゥーンズにインスパイアされたホーンが装備されている。
しかしこの個体でもっとも重要なトピックは、ナンバーズマッチのオリジナル440cu.in.(約7.5L)「シックスパック」V型8気筒エンジンが現在でも保持され、標準指定とされた3基の「ホーリー」社製2バレル・キャブレターの搭載が確認されていることである。
この440「シックスパック」のスーパーバードは、パワーでは「426ヘミ」には及ばないものの、オプションでATも選択できたほどに乗りやすさでは上回っていたことから、一般公道で伝説のエアロカーを楽しみたいエンスージアストたちに長く愛されてきた。
「ヘミ」なら5倍以上に跳ね上がる可能性も?
そしてこのオークション出品車は、ナンバーマッチのエンジン、ハンサムなファクトリーカラーリング、ピストルグリップ型シフターなど、国民的英雄「キング・ペティ」のモータースポーツ・マジックを感じたいMOPAR愛好家にはたまらないディテールも備えている。
そんなスーパーバードに、RMサザビーズ北米本社は12万5000ドル~17万5000ドル(当時のレートで約1850万円〜約2590万円)というエスティメート(推定落札価格)を設定。また、このロットについては「Offered Without Reserve(最低落札価格なし)」で行うこととした。
この「リザーヴなし」という出品スタイルは、たとえ出品者の意にそぐわない安値であっても落札されてしまう危険なリスクもあるいっぽうで、確実に落札されることから会場の購買意欲が盛り上がり、エスティメートを超える勢いでビッド(入札)が進むこともあるのがメリット。
そして迎えたオークション当日、競売は予想以上に盛り上がったようで、入札締め切りの段階ではエスティメートの上限突破とまでは行かないものの、24万2000ドル。つまり、最新のレートで日本円に換算すれば約3720万円で、競売人の掌中のハンマーが鳴らされることになったのだ。
この落札価格は、円安の為替レートも相まってかなり高価なものであることは間違いない。しかし、生産台数わずか135台という426ヘミを搭載したスーパーバードであれば100万ドル超えも珍しくはない現在の市況を思えば、やはり希少性やストーリーがマーケットの趨勢を左右することを認めざるを得ないだろう。