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ロールス・ロイスの「スピリット・オブ・エクスタシー」は勝利の女神「ニケ」になるはずだった…神秘的で幽玄なマスコットを手掛けた人物とは?

投稿日:

TEXT: AMW  PHOTO: Rolls-Royce Motor Cars

  • チャールズ・サイクスと娘のジョセフィン・サイクス
  • イギリス陸軍元帥であるバーナード・モントゴメリーが所有していたロールス・ロイス ファントムIIIの先端に佇むスピリット・オブ・エクスタシー
  • チャールズ・サイクスの最も有名で不朽の名作となるスピリット・オブ・エクスタシー
  • ロールス・ロイス スペクターの先端に佇むスピリット・オブ・エクスタシー
  • ロールス・ロイスのアイコンであるスピリット・オブ・エクスタシー
  • チャールズ・ロビンソン・サイクスは週刊誌『カー・イラストレイテッド』のイラストを担当した
  • ギリシア彫刻であるサモトラケのニケをイメージして作られたロールス・ロイス ファントム シンティラ
  • チャールズ・サイクスはスピリット・オブ・エクスタシーの製作者に任命され、西ロンドンのブロンプトン・ロードにあったアトリエで製作した

スピリット・オブ・エクスタシーを生み出した人物の物語

ロールス・ロイスは創業120周年を迎える2024年、ブランドを語るうえで重要な人物やモデルにスポットライトを当てて紹介しています。今回紹介するのは有名なマスコット「スピリット・オブ・エクスタシー」の生みの親として後世に知られるチャールズ・サイクスです。サイクスはロールス・ロイスを語るうえで欠かせない人物たちと深いつながりを持ち、マルチな才能を持ったアーティストでした。

週刊誌の挿絵に抜擢されて大成功

チャールズ・サイクスは1875年12月18日、イングランド北東部クリーブランド近郊の鉱山村ブロットンで生まれた。彼の父と叔父は才能あるアマチュア芸術家であり、彼にプロのキャリアを目指すよう勧めた。

サイクスはニューカッスルのラザフォード・アート・カレッジで芸術の勉強をはじめる。1898年には奨学金を得てロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートでデッサン、絵画、彫刻を学び、解剖学者のアーサー・トムソン、芸術家のウォルター・クレイン、彫刻家エドゥアール・ランテリら著名な指導者の下で腕を磨いた。サイクスは卒業後もロンドンに留まり、すぐにマルチな才能を持つ芸術家としての地位を確立した。

1902年、サイクスは雑誌社からスケッチの依頼を受けたことが大きな転機となる。依頼主はボーリューの第2代モンタグ男爵で、自身の雑誌プロジェクト『カー・イラストレイテッド』という週刊誌を立ち上げようとしていた。

サイクスが表紙のイラストからファッション・ドローイングまで緻密なスケッチを提供したことで、雑誌は大成功を収めた。またサイクスはギリシャ神話に特別な関心を持っており、しばしば古典的な引用を作品に取り入れた。その一例として、1907年のクリスマス号の表紙は「夜明けに向かって」と題されたもので、その後繰り返し描かれるテーマとなり、やがて世界的なアイコンとなる軽やかな翼を持つ女神が描かれた。

クロード・ジョンソンの目にとまる

翼を持つ女神のインスピレーションの源となったのは、モンタグのアシスタントだったエレノア・ソーントンという女性である可能性が高い。彼女はサイクスの長年のお気に入りのミューズでもあり、何度も彼のためにモデルとなった。モンタグの週刊誌で一緒に働くようになった2人の物語は、必然的にさらに密接に絡み合うようになった。

1903年にアイルランドでゴードン・ベネット・カップ・アイルランドが開催された。モンタグと彼の友人のチャールズ・ロールズは、以前にもこの長距離ロードレースで活躍していた。その際、モンタグは優勝ドライバーのスポンサー・クラブに新しいトロフィーを贈呈したいと考えた。そこでサイクスは、おそらくエレノアをモデルにしたのであろう銀色の翼のついた自動車を持ち上げる女性の銀の彫刻を用意した。モンタグは大喜びで、「サイクスはデザインの独創性と発想の美しさを兼ね備えている」と絶賛した。

サイクスは、1903年に結婚した幼なじみのジェシカ夫人とともに、モンタグ家と親しくなり、しばしばボーリューに客として滞在していた。こうした訪問によって、サイクスはモンタグのロールス・ロイス「シルバーゴースト」に乗る機会を何度も得た。

このような機会がきっかけで、サイクスはシルバーゴーストを描くこともあった。その作品は、ロールス・ロイスの初代コマーシャル・マネージング・ディレクターだったクロード・ジョンソンの目にとまった。クロード・ジョンソンは、ロールス・ロイスを描いたサイクスによる油彩画を1910年〜1911年にかけて発行された80ページのカタログに6枚掲載した。

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