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初めてのマイカーはホンダ「1300 クーペ」…ドライサンプが自慢の「ナイセストカー」でナイスな青春を謳歌!【クルマ昔噺】

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)

家族会議で決まったクルマはホンダ 1300 クーペ!

仕方なく2年間はバイクの免許を取ってバイクを乗り回した。そして晴れて18歳。自慢じゃないが、最短のわずか25時間で免許を取得できた。そして家族会議でクルマを買うことになった。父親は強硬にマツダ「ロータリークーペ」を押したのだが、私を含めた他の家族全員がホンダ「1300 クーペ」となり、あえなく父が撃沈して我が家の初めてのクルマはホンダ「1300 クーペ9 カスタム」になった。

ホンダ 1300は、ホンダが初めて小型乗用車市場に打って出るために作った自慢の1台である。DDACと名付けられた2重構造の空冷エンジンは重い。一方でその2重構造のおかげもあって静粛性は高く、実際高速道路(当時は出来立ての東名高速が厚木まで開通していた)でも、少なくとも直線を走る限りは非常に速いし、静粛性も高かった。ただ、もう誰もが御存知のことだが、とてつもなくアンダーステアが強い。箱根の下りで何度かハンドルを切ったまま直進し、ぶつかりそうになって冷や汗をかいた。

ホンダの謳い文句は「ナイセストカー」である。そんな英語はないのだが、ナイスの最上級である。フライトコックピットと称した、全体がドライバー側に傾けてレイアウトされたインパネデザインもナイスであった。何よりも軽々と8000rpmまで回るエンジンや、当時量産車ではあり得なかったドライサンプの潤滑方式を持ち、フィンを切ったオイルタンクがボンネットを開けるとその左端に鎮座していたのだった。

当時はボンネットを開けてオイルタンクを指し、「ドライサンプなんだぜ!」と自慢をしてみたものの、ほとんどの反応は「なんのこっちゃ?」であった。

リアボディを押してみると足まわりが「ぶにゃぶにゃ」

足まわりはアンダーステアを助長する、異様に柔らかなリアサスペンションのおかげもあって、乗り心地は良かったように感じた(他を知らなかったので)。そのリアサスペンションは、クロスビーム式と言って、リーフを釣るアームの支持がほとんど反対側にタイヤ近くに付く珍しい構造。リーチが長くキャンバー変化が少ないというのが採用の理由らしいが、とにかくリアを押してみると「ぶにゃぶにゃ」であった。

大いに惚れたのはそのスタイルで、ノーズのデザインは当時のポンティアックなどに似たデザイン。ところがセダンが登場した東京モーターショーに出た時のグリルデザインは、全然違っていた。どうも最初の「77」というセダンのグリルは違っていたようである。当時の写真があるから見比べて欲しい。

いずれにせよ、空冷にこだわりを持っていた当時のホンダは、F1も空冷で作り上げたがそれも失敗に終わり、とりわけ排ガスへの対応が難しかったのか、その後は水冷に軌道修正した。ホンダ 1300はその後「145」という名前に変わり(ボディスタイルは同じで)、当時の「シビック」と同じ水冷直4ユニットに変わった。排気量は1433ccとなり、145の車名はそのあたりから来ているのだと思われる。まあ、これも失敗作になってしまったが……。

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  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 幼いころからクルマに興味を持ち、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾る。 大学在学中からレースに携わり、ノバエンジニアリングの見習いメカニックとして働き、現在はレジェンドドライバーとなった桑島正美選手を担当。同時にスーパーカーブーム前夜の並行輸入業者でフェラーリ、ランボルギーニなどのスーパーカーに触れる。新車のディーノ246GTやフェラーリ365GTC4、あるいはマセラティ・ギブリなどの試乗体験は大きな財産。その後渡独。ジャーナリスト活動はドイツ在留時代の1977年に、フランクフルトモーターショーの取材をしたのが始まり。1978年帰国。当初よりフリーランスのモータージャーナリストとして活動し、すでに45年の活動歴を持つ。著書に三栄書房、カースタイリング編集室刊「世界の自動車博物館」シリーズがある。 現在AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)及び自動車技術会のメンバーとして、雑誌、ネットメディアなどで執筆する傍ら、東京モーターショーガイドツアーなどで、一般向けの講習活動に従事する。このほか、テレビ東京の番組「開運なんでも鑑定団」で自動車関連出品の鑑定士としても活躍中である。また、ジャーナリスト活動の経験を活かし、安全運転マナーの向上を促進するため、株式会社ショーファーデプトを設立。主として事業者や特にマナーを重視する運転者に対する講習も行っている。
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