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フェラーリじゃなくとも「ディーノ」の億超えはもはや当然!? 150台しか生産されなかった「206GT」は「跳ね馬」がつかなくても立派なコレクターズアイテムです

フェラーリじゃなくとも「ディーノ」の億超えはもはや当然!? 150台しか生産されなかった「206GT」は「跳ね馬」がつかなくても立派なコレクターズアイテムです

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TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: 2024 Courtesy of RM Sotheby's

またしても1億円オーバー! 206GTのプライスは高止まりの様相

2024年11月の「Munich 2024」オークションに出品されたディーノ 206GTは、シャシーナンバー「00388」の個体。フェラーリS.p.A.発行の生産記録によると1968年の2月20日に完成し、イタリア・トスカーナ州プラートにある「ノチェンティーニ・アウトモビリ」を介して新車販売された。

当時「アルジェント・メタリッツァート(シルバーメタリック)」の洗練されたボディカラーに、「ブル(青)」のファブリック/「ネラ」(黒)のコンビ・ビニールレザーでトリミングされたキャビンの組み合わせで製作されたこの個体は、翌月に地元に住むロレンツォ・テンペスティの名義で登録されている。同氏はディーノを大いに楽しみ、1971年3月に自動車ディーラーのジョヴァンニ・トロニックに売却するまでの走行距離は、3万2400kmを超えたと伝えられている。

そののち、このディーノ 206GTは新しい所有者のもとでミラノへと移り、その1年後に譲渡されたサヴェリオ・カタネーゼ氏が1974年9月まで所有。さらにイタリア国内で別のオーナーを見つけ、10年間はそこで過ごすことになる。

そして1984年、この個体は南カリフォルニアに輸出。そしてサンノゼ、サンタバーバラ、ノバト、そしてサウサリートと西海岸で住処を替えたのち、2005年3月にイギリス国内で登録される。さらにその後は、ドイツ・フランクフルト近郊ディートツェルツタールのミュージアム「国立自動車博物館(Nationales Automuseum)」の創設者でもあるミリオネア、フリードヘルム・ロー氏のコレクションに加入することになった。

この間、シャシーナンバー「00388」はロッソ(赤)のペイントに塗り替えられ、2007年9月には「フェラーリ・クラシケ」の認定を受けている。

2014年にはファクトリーカラーに戻された

2010年から2014年にかけて、ディーノは別の著名なドイツ人コレクターによって手入れされた後、ミュンヘン在住の人物に売却され、彼はクラシックカーとレーシングカーのスペシャリストであるトム・フィッシャー氏に206GTのメンテナンスと保管を任せた。

フィッシャー氏は「ネラ」のビニールシートにアルジェントというファクトリーカラーの組み合わせに戻し、クロモドラのマグネシウム製ノックオフホイールが装着されたシャシーナンバー「00388」は、マッチングナンバーのエンジンと総アロイ製ボディを維持している。

さらにこのクルマには、フェラーリの世界的エキスパートであるマルセル・マッシーニ氏による包括的なヒストリーレポートが添付されているのも、この業界では重要なトピックといえよう。

そしてRMサザビーズ欧州本社は「初期型で希少なアルミニウム製206GTのハンサムな個体であるこのディーノは、マルクのエンスージアストにとって魅力的な1台となるに違いない。」という謳い口上とともに、自信をうかがわせるように45万ユーロ〜55万ユーロ(当時のレートで約7245万円〜約8855万円)のエスティメート(推定落札価格)を提示する。

そして、2024年11月23日に行われたオークションでは、エスティメート上限を大きく上回る68万ユーロ。日本円に換算すれば、約1億1150万円というビッグプライスで落札。ディーノのなかでも格別に価値を高めてしまった感のある206GTは、またしても「億超え」を達成したのである。

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  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 1967年生まれ。かつてロールス・ロイス/ベントレー、フェラーリの日本総代理店だったコーンズ&カンパニー・リミテッド(現コーンズ・モーターズ)で営業・広報を務めたのちイタリアに渡る。帰国後は旧ブガッティ社日本事務所、都内のクラシックカー専門店などでの勤務を経て、2001年以降は自動車ライターおよび翻訳者として活動中。また「東京コンクール・デレガンス」「浅間ヒルクライム」などの自動車イベントでも立ち上げの段階から関与したほか、自動車博物館「ワクイミュージアム(埼玉県加須市)」では2008年の開館からキュレーションを担当している。
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