アルフレード・フェラーリの足跡を追って見えてきた人のぬくもり
あまりにもモヤモヤしてたこともあって、僕は2005年の秋、イタリアに飛んだ。エンツォは本当に冷酷な男だったのか。アルフレードはいったいどんな青年だったのか。昔を知る関係者にお話をうかがえるタイムリミットは、いずれ必ずやってくる。ふんぎりをつけて、今、行こう、と。
そこで聞かせていただいたお話の数々は、僕が編集長をしていた『ティーポ』の2006年3月号に余すことなく書かせてもらったし、その後も必要だったり求められたりしたらそのたびに記してきたので、ここで詳細を述べることはしない。
ほんのさわりだけ触れるなら、エンツォは極めて自己演出が巧みな人物で、冷酷な経営者を演じていたが、自分の周りの人たちやフェラーリの従業員、そればかりか出逢った子どもたちにも、とても優しい人物だったようだ。そしてアルフレードに関して言うなら、彼は自分が長く生きられないことを知っていて、それでも懸命に生きたし、だからこそ周りに優しかったし、クルマが好きで運転は仲間内でいちばん巧みで、無理とわかりながらも自分の父のファクトリーで作られたマシンでレースを走ることを夢見てた、という。エンツォやアルフレードについて語るとき、話を聞かせてくれたすべての人の眼差しがとても優しい温もりに満ちていたことは忘れられない。それに勝る真実はないな、と思う。そんなこともあって、僕にとってディーノ206/246は常に特別な存在だ。きっと、これからも……。
昔のスーパーカーには大なり小なり、その姿の向こう側に何らかの物語があったものだ。そういえばブームの頃、僕たちはそうした物語に関心を持ち、心を動かされ、語り合って、意味もなく歓びを感じたものだった。豊かな気持ちにさせてもらった。スーパーカーは、ロマンだったのだ。
最近のスーパーカーたちは、いったいどうなのだろう──?