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20年かけてレトロな「メッサーシュミット」を完調に仕上げた!「飛べない戦闘機」で平和に地元のワインディングロードをのんびり楽しんでます

1961年式メッサーシュミット KR200と、オーナーの伊藤博之さん

タンデム2人乗りの飛行機のようなバブルカー、メッサーシュミット KR200

2024年の4月に初めて開催されたフレッシュなヒストリックカー・イベント「SWAP & MEET in 妙高」。リゾート滞在型というコンセプトで始まった第1回大会が好評につき、同年10月12日~13日には早くも第2回が開催ました。今回はその会場で、愛嬌のある外観でひときわ目立っていた1台、1961年式メッサーシュミット「KR200」を紹介します。

戦闘機で有名なメッサーシュミットが戦後生産したバブルカー

戦前の欧州車から昭和の国産車まで、古今東西のヒストリックカー数十台が展示された「第2回Swap & Meet in 妙高」の会場内で見かけたのがこちら。トビハゼを連想させるユニークな外観でお馴染み、ドイツのメッサーシュミット「KR200」である。

メッサーシュミットといえば、日本海軍の零戦、イギリスのスピットファイアや米軍のP51ムスタングなどと並ぶ有名な戦闘機だが、第二次世界大戦でドイツが敗れると同社は連合軍から軍用機の製造・開発を禁止され、自動車製造にシフト。このあたりの事情は中島飛行機や三菱重工の、戦前・戦中から敗戦後に辿った経緯にも通じる。

第二次世界大戦で国土の多くが戦場となった欧州では、敗戦国となったドイツはもちろん、イギリスやフランスなどの戦勝国であっても大きな損害を被っており、戦後の復興は急務であった。その際、人々の移動の手段として必要とされたのは豪華なサルーンやスポーツカーではなく、ミニマム・トランスポーター。そんな時代の趨勢から、戦後のヨーロッパ(そして日本)では大小を問わず、数多くのメーカーから軽便な超小型車がリリースされた。

敗戦により翼を失ったメッサーシュミットもまた、この分野に参入したメーカーのひとつで、このKR200をリリースしたのは1955年のことである。同社ではこのクルマを「カビネンローラー(屋根付きスクーター)」と呼んだが、この時代の超小型車たちはシャボン玉を連想させるその外観から、「バブルカー」と総称されることも多い。

30年ほど前に憧れて購入するもコンディションはイマイチ

「若い頃、1960年代の日活アクション・コメディ映画の中で見たのが最初だったかなぁ」

と話してくれたのは、この1961年式メッサーシュミット KR200のオーナー、伊藤博之さん。当時からその独特な個性が気になっていたと言う。

「もう30年くらい昔に見た雑誌で“空を飛べなかったクルマたち”みたいなタイトルの特集記事があって、そこにメッサーも紹介されていて、それが直接のきっかけとなって当時東京のショップで売りに出ていたこいつを手に入れたんです」

念願かなって手に入れたメッサーシュミットKR200であったが、しかしその調子は良くなかったそうだ。

「きちんと整備されていなかったようで、現在のコンディションまで仕上げるのには、ずいぶん苦労しました。まずはエンジンのパーツのクリアランスを正規の数値に戻すところから始まり、キャブレターをオリジナルのビング製からケイヒンに変えて、あと、コンロッドやピストンも試行錯誤を繰り返しいろいろ交換してみたり。あ、スプロケットも歯数を変えたものをいくつか用意してトライアンドエラーを繰り返し……」

20年ほどかけてやっと完調に

トラブルシューティングに明け暮れる日々、一時は「このまま捨ててしまおうか」と考えた時期もあったそうだが、やはり積年の憧れから手に入れたクルマだけに、なんとか仕上げる道を選んだ伊藤さん。

「結局完調になるまで20年くらいかかっちゃいましたが、今は地元の岐阜のワインディング・ロードでのんびり遊んでいますよ」

最近ではヒストリックカー・イベントに参加することも多いとのこと。長い長い時間をかけてベストなコンディションとなったメッサーシュミットKR200。戦闘機メッサーシュミットBf109と同じ、片ヒンジのキャノピーを開けてコクピットに乗り込む伊藤さん。しかし伊藤さんのメッサーの向かう先は幸いなるかな、平和なヒストリックカー・イベント会場なのである。

>>>2023年にAMWで紹介されたクルマを1冊にまとめた「AMW car life snap 2023-2024」はこちら(外部サイト)

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