ロータリーエンジンの実験試作車からレコードブレイカーへ
1969年9月のフランクフルトモーターショー(IAA)でデビューしたメルセデス・ベンツ「C111」は、伝説の「300SL」を彷彿させるガルウイングドアを持つミッドシップ2シーターで、心臓部には当時「夢のパワーユニット」だった3ローター型のロータリーエンジンを搭載していました。市販車では全くなく、あくまでもメルセデス・ベンツの実験試作車として、ロータリーエンジンやターボディーゼルエンジンなどを搭載してC111シリーズ(I、II、IID、III、IV)が数々の記録を打ち立てていったプロセスを紹介します。
コンピューター上で設計された世界初の車両だった
メルセデス・ベンツは、1960年代初頭からすでにドイツ人のフェリクス・ハインリッヒ・ヴァンケルが開発したロータリーエンジンの開発に取り組んでいた。これと並行して、かの有名なブルーノ・サッコが考案し、1964年にメルセデス・ベンツのデザイナー、ジョルジオ・バティステラがデザインしたミッドシップエンジン「SLX」スーパースポーツカーなど車両のデザインも製作された。1966年4月には、このSLXスーパースポーツカーの1/1デザインモデルはウンタートルクハイムの大型風洞で測定が行われた。このプロジェクトはこれ以上進められなかったが、C111のルーツのひとつを形成した。しかもいまではメルセデス・ベンツ・クラシックの車両コレクションにもなっている。
メルセデス・ベンツのエンジニアたちは大きな困難にもかかわらず、勇気とパイオニア精神でロータリーエンジンをさらに開発し続けた。1967年、開発責任者のハンス・シェレンベルク博士は、ロータリーエンジンの燃料消費量が同じ容積のレシプロV型エンジンよりも約50%高いと報告した。そこで1968年11月、「C101」のプロジェクトの名のもとにロータリーエンジンを搭載した次世代車両を本格的に開発した。
この本格開発陣は乗用車開発責任者であるルドルフ・ウーレンハウトが担当し、プロジェクトマネージャーはプレ開発の責任者であるハンス・リーボルト博士が務めた。魅力的なデザインはヨーゼフ・ガッツェンデルファー率いるチームによって生み出され、開発前からスタイリング部門に移行したばかりのブルーノ・サッコはこの壮大な次世代車両のボディ開発をコーディネートした。
特筆すべきは、単に未来的な形状にデザインするのではなく、コンピューター上で設計された世界初の車両であった。つまり、エンジニアたちはメルセデス・ベンツで開発した有限要素法(FEM)の変形であるESEM法(弾力静的要素法)を使用した。デジタル技術により、動的荷重の計算も可能になった。メルセデス・ベンツは、この手法により開発期間が約4カ月短縮可能になったとしている。
ウンタートルクハイムの風洞空力テストで完成した最初の実験試作車の初テスト走行は、1969年7月15日にホッケンハイムリンクで実施された(ボディは白)。その後ダイムラー・ベンツ社の取締役会は、この実験試作車を1969年9月のフランクフルトモーターショー(IAA)で「C111(シー・ワンイレブン)」の名称で一般公開することを決定した。なぜなら、プジョーが商標登録した中央の数字に0を付けるモデル名との競合を回避したからであった。
C111-I:600ccの3ローターで280馬力、260キロを誇った
1969年9月11日~21日まで開催されたフランクフルトモーターショー(IAA)で発表された最初のC111-Iは、600ccの3ロータリーエンジンを搭載した楔型の2ドアクーペでドアが伝説の300SLのガルウイングタイプ。ロータリーエンジンと並行して、このC111-Iはガラス繊維強化プラスチック(GFRP)のボディ、接着剤の接着やリベット留めの接合技術など、量産車では限られた範囲でしか実現されていなかった技術がテストされた。C111-Iの象徴なキャラクターは、メタリックオレンジの珍しい塗装仕上げによって強調されていた。ワイン造りに由来する「ヴァイス ヘルプスト(ドイツ語Weissherbst=白い秋)」という名称は、人気のあるワインの輝くオレンジ/ロゼのカラーを意味していた。
なお、このフランクフルトモーターショーのデモンストレーション車両として使用された最初の車両は、まだ白い塗装であったが、後に同様の「ヴァイス ヘルプスト」のメタリックオレンジに塗り直された。
エンジンはインジェクション式の600ccの3ローターでMRレイアウト。最高出力は280ps、最高速度は260km/hであった。フロントサスペンションはダブルウィッシュボーン式独立懸架のノンパラレルピボット、アンチダイブデバイス。リアサスペンションはレーシングカータイプ独立懸架の左右各3トランスバースリンク、2トレーリングリンクであった。
このようにセンセーショナルなデビューを飾ったC111-Iは、パリモーターショー、ロンドンモーターショー、トリノオートショーなど、数多くのモーターショーや見本市に出展された。裕福なスポーツカー愛好家の間では、C111-Iに対してかなりの金額を支払う準備ができていた。例えば、1969年のロンドンでは、自動車愛好家がすでに最大50万ドイツマルクの支払いを申し出た。さらに空白の小切手は、その後数カ月にわたってシュトゥットガルトに配達された。しかし、メルセデス・ベンツはC111-Iが実験試作車で決して販売しないことを明確にした。