2000GTよりも2年前に生まれたトヨタ初の小型スポーツカー
現代の軽自動車とほぼ同じサイズながら、特徴的な流線型デザインと車両重量580kgのボディに水平対向2気筒の790ccエンジンを搭載したトヨタ「スポーツ800」は、1965年に登場しました。「ヨタハチ」の愛称で親しまれ早60年。現在も生き残る名車の還暦を祝おうと、トヨタスポーツ800オーナーズ協議会の皆さんが、「トヨタスポーツ800還暦祭」を計画。全国6カ所での開催が決定しました。今回はその皮切りとなった、2024年10月27日(日)に熊本県阿蘇市で開催された九州地区の模様を紹介します。
ヨタハチが生まれた1960年代は高度経済成長期
1960年代の日本経済と言えば、高度経済成長を迎え、国民の生活が安定し始めた時期だ。エネルギー資源は、石油需要の急増により太平洋ベルト地帯に石油化学コンビナートが建設。東京の首都高速道路をはじめ名神高速、東名高速道路が開通。1964年には東海道新幹線が東京~大阪間で開業した。同年には東京オリンピックが開催。エンターテイメントの世界では、「ザ・ヒットパレード」や「シャボン玉ホリデー」への出演により、日本初の女性デュオ「ザ・ピーナッツ」が活躍を開始した時期でもある。
その頃の日本の自動車産業は、各社の事業基盤が確立されていった時代でもある。モータリゼーションの急激な発展とともに、自動車保有台数も急増。その結果、都市部の交通渋滞や事故も比例して増加するなど、便利で豊かな生活を手にする一方で、深刻な社会問題が取り上げられるようになった時代なのだ。
60年前に登場したトヨタ初のスポーツカー
トヨタ「スポーツ800」(通称ヨタハチ)は、そんな高度成長期の真っただ中、1965年4月1日に誕生した。この時期のトヨタといえば、1955年に発売開始した「クラウン」、1957年発売の「コロナ」を筆頭に、1961年に初の大衆車となる「パブリカ」を発売。一般市民に向けて、乗用車の普及に勤しんでいたタイミングだ。
そして、日本で初めてのグランプリレースが開催されたのが、1963年。前年に開業した鈴鹿サーキットで、「第1回日本グランプリ自動車レース大会」が実施された。排気量ごとにカテゴリーが区別される各ツーリングカークラスにおいて、トヨタ車は上記のクラウン、コロナ、パブリカの3車種がエントリー。それぞれがクラス優勝を収めている。
しかし、これらは全てセダンタイプ。一般市民にとっては、これらの乗用車はまだまだ高嶺の花の時代だった。しかし、欧米の自動車メーカー各社からはスポーツモデルが登場していたこともあり、それに対抗する車両を生み出したい。その夢を実現させるべく、販売中だったパブリカの既存の部品やユニットを使って、製造コストを抑えて生み出されたのがスポーツ800だったのだ。
元航空技術者が開発に関わっていたため、当時の技術では最高レベルの空力性能を発揮。エンジンは非力でも軽量だったため、当時のモータースポーツシーンでも活躍。大ヒットしたわけではないものの、日本初のライトウェイトスポーツとして、日本のクルマの歴史に名を残す名車となった。