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懐かしの「ヨタハチ」の60周年を祝うイベントツアーが九州からスタート!「トヨタスポーツ800還暦祭」で阿蘇神社に旧車が勢揃い

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TEXT: 酒寄俊幸(SAKAYORI Toshiyuki/gasgraphix)  PHOTO: 酒寄俊幸(ガスグラフィックス)

  • 参加車はトヨタ スポーツ800とその兄弟車とも言えるパブリカ700/800を中心に、1960年代の国産スポーツカーが集まった
  • トヨタスポーツ800還暦祭 九州大会は好天に恵まれ、会場には18台のトヨタ スポーツ800が集合
  • イベントに華を添えたのは、トヨタ スポーツ800と同様に現代まで生き抜いた1960年代の名車、トヨタ 2000GT、トヨタ コロナたち
  • トヨタ スポーツ800以外の参加者の皆さんも祈祷
  • 地元の阿蘇中央高校総合ビジネス科の皆さんが、阿蘇神社でお出迎え
  • ドライブ出発前に、瀬の本レストハウスに集合した皆さんと記念撮影
  • 瀬の本レストハウスから阿蘇神社までは、県道11号線=やまなみハイウェイをドライブ。日本百名道にも選ばれており、雄大な草原を楽しむことができる
  • 阿蘇神社前の参道、鳥居の前で祈祷を待つ皆さん
  • 1850年(寛永3年)に建立。重要文化財に指定され日本三大楼門のひとつとされる楼門は、熊本地震で全倒壊。解体しながら設計図面を描き、修復部材を組み上げ、さらに内側を鋼材で耐震補強するという難工事を経て、2023年に復活
  • 拝殿も地震により倒壊したが、新築復興により、倒壊を免れた社殿と結合され美しい姿で復活。この奥に、同様に被災し部分解体修理を経て復活した3つの神殿がある
  • 瀬の本レストハウスを出発し、プチドライブを堪能した後の目的地が阿蘇神社。参道に並ぶトヨタ スポーツ800と参加車
  • 宮司によるご祈祷は、1849年(寛永2年)に建立された神幸門前にて行なわれた。阿蘇神社に祀られている健磐龍命(たけいわたたつのみこと)をはじめとする12柱に、参加者の皆さんそれぞれが心に込めた思いを伝えた
  • 阿蘇一の宮門前町商店街内の駐車場が特設会場に18台のトヨタ スポーツ800が整列
  • 歩行者天国となった阿蘇一の宮門前町商店街の参道にクラシックカーが並んだ
  • トヨタ カローラレビンやクラウンも参道に並んだ
  • ダッジ ダートワゴンやフェラーリ 308GTSも参加
  • 貴重なヒトケタナンバー登録の日産 スカイライン
  • こちらはスズキ カプチーノにヨタハチ顔のボディキットを装着した、通称「ヨタチーノ」
  • 同じ趣味を持つ友人知人が集まったことで、会場では出発前からヨタハチとその時代の旧車談義で盛り上がっていた
  • トヨタスポーツ800オーナーズ協議会の会長を務める杉山泰成さん
  • トヨタスポーツ800還暦祭 九州大会の世話役を務めた山口さん
  • 阿蘇中央高校総合ビジネス科の生徒さんは、特設会場でも参加者の皆さんをおもてなし
  • 阿蘇神社の門前町として栄えた一の宮は、良質な地下水が豊富に湧く清泉の町としても知られる。商店街内のいたるところに、水基(みずき)と呼ばれる水飲み場が点在していた
  • 阿蘇一の宮門前町商店街の特設会場にて、ヨタハチオーナーの皆さんやイベント開催に協力してくれた地元の皆さん。阿蘇中央高校総合ビジネス科の生徒さんたちと記念撮影
  • トヨタスポーツ800還暦祭 九州大会は、熊本県阿蘇郡南小国町にある瀬の本レストハウスからスタート
  • 1960年代のクラシックカーは車格がコンパクトなため、狭い参道内でも邪魔にならない!?
  • 阿蘇神社前の参道に整列したヨタハチたち。ヨタハチは60年、阿蘇神社は2300年と歴史の長さに違いはあるが、文化の継承という意味ではどちらも守り続けなければいけない大切な日本の遺産なのだ

2000GTよりも2年前に生まれたトヨタ初の小型スポーツカー

現代の軽自動車とほぼ同じサイズながら、特徴的な流線型デザインと車両重量580kgのボディに水平対向2気筒の790ccエンジンを搭載したトヨタ「スポーツ800」は、1965年に登場しました。「ヨタハチ」の愛称で親しまれ早60年。現在も生き残る名車の還暦を祝おうと、トヨタスポーツ800オーナーズ協議会の皆さんが、「トヨタスポーツ800還暦祭」を計画。全国6カ所での開催が決定しました。今回はその皮切りとなった、2024年10月27日(日)に熊本県阿蘇市で開催された九州地区の模様を紹介します。

ヨタハチが生まれた1960年代は高度経済成長期

1960年代の日本経済と言えば、高度経済成長を迎え、国民の生活が安定し始めた時期だ。エネルギー資源は、石油需要の急増により太平洋ベルト地帯に石油化学コンビナートが建設。東京の首都高速道路をはじめ名神高速、東名高速道路が開通。1964年には東海道新幹線が東京~大阪間で開業した。同年には東京オリンピックが開催。エンターテイメントの世界では、「ザ・ヒットパレード」や「シャボン玉ホリデー」への出演により、日本初の女性デュオ「ザ・ピーナッツ」が活躍を開始した時期でもある。

その頃の日本の自動車産業は、各社の事業基盤が確立されていった時代でもある。モータリゼーションの急激な発展とともに、自動車保有台数も急増。その結果、都市部の交通渋滞や事故も比例して増加するなど、便利で豊かな生活を手にする一方で、深刻な社会問題が取り上げられるようになった時代なのだ。

60年前に登場したトヨタ初のスポーツカー

トヨタ「スポーツ800」(通称ヨタハチ)は、そんな高度成長期の真っただ中、1965年4月1日に誕生した。この時期のトヨタといえば、1955年に発売開始した「クラウン」、1957年発売の「コロナ」を筆頭に、1961年に初の大衆車となる「パブリカ」を発売。一般市民に向けて、乗用車の普及に勤しんでいたタイミングだ。

そして、日本で初めてのグランプリレースが開催されたのが、1963年。前年に開業した鈴鹿サーキットで、「第1回日本グランプリ自動車レース大会」が実施された。排気量ごとにカテゴリーが区別される各ツーリングカークラスにおいて、トヨタ車は上記のクラウン、コロナ、パブリカの3車種がエントリー。それぞれがクラス優勝を収めている。

しかし、これらは全てセダンタイプ。一般市民にとっては、これらの乗用車はまだまだ高嶺の花の時代だった。しかし、欧米の自動車メーカー各社からはスポーツモデルが登場していたこともあり、それに対抗する車両を生み出したい。その夢を実現させるべく、販売中だったパブリカの既存の部品やユニットを使って、製造コストを抑えて生み出されたのがスポーツ800だったのだ。

元航空技術者が開発に関わっていたため、当時の技術では最高レベルの空力性能を発揮。エンジンは非力でも軽量だったため、当時のモータースポーツシーンでも活躍。大ヒットしたわけではないものの、日本初のライトウェイトスポーツとして、日本のクルマの歴史に名を残す名車となった。

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