一番怖かったのはやはり1コーナーへの進入
そういえば、同乗走行というのもやった。それはチューニング・ポルシェとして名高いルーフの開発ドライバーだったシュテファン・ローザの隣に乗った時だ。富士のすべてのコーナーをドリフトで抜けるという神業テクニックを横で見せてもらった。ホントにすごかった。多少ドイツ語ができたので、ローザが次のように話す。
「前を見ないでサイドウインドウを見てろ」
一番怖かったのはやはり1コーナーへの進入。本来のルーフの実力よりもだいぶ低いトップスピード230km/hほどでブレーキングの後、ドリフトで入っていく。ストレートエンドでクルマを左右に振りながらきっかけをつかむのだが、その時が一番怖かった。
1974年に縁あって当時のノバエンジニアリングに丁稚メカニックとして潜り込み、冒頭のグラチャンのメカニックとして1年半ほどアルバイトをした。私のドライバーはLRDCのメンバーである桑島正美氏。メカニックとしてはまあ、「なんちゃって」の域を出なかったが、今の仕事に大いに役立つ3年間であった。
ロータリーマシンが来ると地鳴りがした!?
当時の思い出は沢山あるのだが、いかんせん中の人になってしまったものだから、当時の写真が1枚も無いのが残念である。当時の思い出としては、ジャン=ピエール・ジャブイーユ選手が持ち込んだアルピーヌがやたらと速く良い音がしたことや、BMWの4気筒とはまるで違うエンジンのかけ方だったこと。
従野選手のロータリーマシンが来ると、地鳴りがして鼓膜が揺れるのがわかるほどうるさかったこと。ルマン商会のレンタカーでグラチャンを走ったジャック・ラフィット選手が実にひょうきんだったこと等々。とにかくツナギを着てパドックを堂々と歩けることが、とても誇らしかった記憶がある。
富士スピードウェイには今、立派なホテルとミュージアムが併設され、コースのみならず周辺地域も大改修され、サーキットを中心とした一大リゾート施設に変貌しようとしている。新東名が開通すると小山のサービスエリア(?)から直接富士スピードウェイにアクセスできるようになるらしい。2025年は「GC Returns」を見に行こうと思う。
■「クルマ昔噺」連載記事一覧はこちら