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はじめて「SRSエアバッグ」を実用化したメルセデス・ベンツはなぜ特許を無償公開した?「技術革新による安全性」の歴史を紐解きます

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TEXT: 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)  PHOTO: Mercedes-Benz AG/妻谷コレクション(TSUMATANI Collection)

開発のモットーは「ネバー・セイ・ネバー」! あらゆる可能性を諦めずに探る

エアバッグの開発でまず壁となったのは「バッグをどのような方法で膨らませるか」という点だった。

メルセデス・ベンツは1969年には、正面衝突テストで最初のエアバッグテストを実施した。厳格な衝突テストの結果、前方からの衝撃を感知してから0.03秒以内に展開しなければ効果がないことが明らかになった。つまり、衝撃の最初から0.03秒以内に完全に膨らみ、そして乗員を受け止める時、衝撃を与えないように速やかに、しぼます必要があった。

最初、ボンベに入った圧縮空気が試され、次いで液体フロンを個体推進剤の発生する熱で膨張させる試みが実施された。作動スピードには問題なかったが、装置が重すぎた。その後、試行錯誤の末にロケットで使用するガス発生器にたどり着くが、火薬を使うことで関係省庁にその安全性を認めさせるため、開発者全員が爆発物取り扱いコースを受講しなければならなかった。バッグ自体も同様で途方もない数のテストの結果、ようやく理想の素材、形状にたどり着いた。一方、作動時の安全性には、乗員保護の効果はもちろん、発生するガスやバッグ展開時の音が人体に及ぼす影響についても、徹底的な調査を実施した。

この果てしない、そして孤独な開発を続ける開発チームのモットーは「ネバー・セイ・ネバー」だった。開発チームは決して諦めることなく、長期間にわたる過酷なテストを通じて、忍耐強く問題をひとつひとつ解決していった。センサーなどの電子部品は、じつにラリーやレースでもテストされた。実車による衝突テストは250回、台車での実験は2500回、エアバッグ単体の実験は1000回、テスト走行の総距離はじつに3000万km以上に達し、開発者達は文字通り、ひたすら実験とそのデータ検証に明け暮れる日々を過ごした。特筆すべきは、開発エンジニアたちがエアバッグの安全機能を自分たちでテストすることで確信したことであった。

そして、1980年12月、世界最初の運転席SRSエアバッグと助手席ベルトテンショナーを搭載した量産モデルのSクラス/W126が生産ラインオフした時、彼らの長年にわたる努力が報われた(ベルトテンショナーは1984年に前席標準装備)。現在、メルセデス・ベンツのエンジニアはSRSエアバッグ自体の開発にも、コンピュータシュミレーションによるクラシュ計算プログラムを活用している。

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