メルセデス・ベンツSRSエアバッグ開発の58年史
現在では多くの乗用車に標準装備されている「SRSエアバッグ」ですが、今日のスタイルになるまでには長い年月を要しました。今回は、メルセデス・ベンツがこのSRSエアバッグの開発を1967年にスタートしてから2025年現在まで、58年にも及ぶ挑戦の歴史にスポットを当て紹介していきましょう。
前人未到のSRSエアバッグという分野に1967年から着手
SRSエアバッグはステアリングの中央に鎮座する。ドライバーとしてできれば顔を合わせたくないこの沈黙のSRSエアバッグ安全装置は、メルセデス・ベンツが開発に13年の歳月をかけた。SRSとは「Supplemental Restraint System(乗員保護補助装置)」の略で、その名のとおり、シートベルト装着を条件にその効果を発揮する。つまり、まずシートベルト装着ありきで、SRSエアバッグはあくまで乗員を保護する補助装置である。
シートベルトの進化、とくにシートベルトテンショナーの開発によって、万一の衝突時に乗員が受けるダメージを大幅に軽減することが可能になった。しかし、メルセデス・ベンツはこれだけでは満足できなかった。なぜなら、実際の事故調査を重ねていくうちに、シートベルトの乗員保護性能を助けるためのさらなる安全装置の開発が必要だと考えたからだ。1967年、メルセデス・ベンツはエアバッグの開発という、まるで手がかりのない前人未踏の分野に踏み出した。
1971年10月23日に当時のダイムラー・ベンツ社はこのSRSエアバッグを「車両乗員用保護装置」として、特許を取得した(特許番号:DE 2152902 C2)。1967年の開発から13年の歳月をかけ、ついに1980年12月、世界で初めて量産車「Sクラス/W126」に搭載した。そして、2025年現在で58年の年月が経過する。
アメリカでは諦められたエアバッグ開発をメルセデスは推進
このSRSエアバッグを開発・誕生させたメルセデス・ベンツの技術者たちの挑戦は、言葉では「凄い」のひと言であるが、並大抵のことでは実現できなかったといえる。
衝突すると膨らむ風船をハンドルの中に埋め込み、それで乗員を保護するという考え自体は、1951年10月にドイツ人の発明家ヴァルター・リンデラー(Walter Linderer)が特許申請したものに起因する。当時の人には非常に突飛に映り、とても受け入れられないもであった。しかし、メルセデス・ベンツは早くからその可能性に着目し、1967年に開発責任者のグントラム・フーバー(Guntram Huber)教授を中心とした小人数の精鋭技術者によるエアバッグ専門の開発チームを結成し、研究をスタートした。
シートベルトの装着率が著しく低かったアメリカでは、1969年の安全法令で自動抑制装置の装着義務化が決定され、関係者はエアバッグの採用に傾注した。しかし、一方で「でかい枕が時速60km/hで顔にぶつかれば、助かる数よりもエアバッグで命を落とす数の方が多い」という批判もおこり、法令の実施は2度にわたって延期。そして1981年、安全性への疑問から廃止案となった。
それでも、メルセデス・ベンツのエアバッグに対する信念は揺るぎなく、さらに研究を加速させた。当時、エアバッグの開発には作動速度、有害ガスの発生、バッグの耐久性、爆発音による人体の影響、誤作動など、まだまだ深刻な問題が山積しており、開発責任者のグントラム・フーバー教授は「問題の全てはこれまで経験したことのないもので、開発はゼロからの出発だった」と振り返っている。
開発のモットーは「ネバー・セイ・ネバー」! あらゆる可能性を諦めずに探る
エアバッグの開発でまず壁となったのは「バッグをどのような方法で膨らませるか」という点だった。
メルセデス・ベンツは1969年には、正面衝突テストで最初のエアバッグテストを実施した。厳格な衝突テストの結果、前方からの衝撃を感知してから0.03秒以内に展開しなければ効果がないことが明らかになった。つまり、衝撃の最初から0.03秒以内に完全に膨らみ、そして乗員を受け止める時、衝撃を与えないように速やかに、しぼます必要があった。
最初、ボンベに入った圧縮空気が試され、次いで液体フロンを個体推進剤の発生する熱で膨張させる試みが実施された。作動スピードには問題なかったが、装置が重すぎた。その後、試行錯誤の末にロケットで使用するガス発生器にたどり着くが、火薬を使うことで関係省庁にその安全性を認めさせるため、開発者全員が爆発物取り扱いコースを受講しなければならなかった。バッグ自体も同様で途方もない数のテストの結果、ようやく理想の素材、形状にたどり着いた。一方、作動時の安全性には、乗員保護の効果はもちろん、発生するガスやバッグ展開時の音が人体に及ぼす影響についても、徹底的な調査を実施した。
この果てしない、そして孤独な開発を続ける開発チームのモットーは「ネバー・セイ・ネバー」だった。開発チームは決して諦めることなく、長期間にわたる過酷なテストを通じて、忍耐強く問題をひとつひとつ解決していった。センサーなどの電子部品は、じつにラリーやレースでもテストされた。実車による衝突テストは250回、台車での実験は2500回、エアバッグ単体の実験は1000回、テスト走行の総距離はじつに3000万km以上に達し、開発者達は文字通り、ひたすら実験とそのデータ検証に明け暮れる日々を過ごした。特筆すべきは、開発エンジニアたちがエアバッグの安全機能を自分たちでテストすることで確信したことであった。
そして、1980年12月、世界最初の運転席SRSエアバッグと助手席ベルトテンショナーを搭載した量産モデルのSクラス/W126が生産ラインオフした時、彼らの長年にわたる努力が報われた(ベルトテンショナーは1984年に前席標準装備)。現在、メルセデス・ベンツのエンジニアはSRSエアバッグ自体の開発にも、コンピュータシュミレーションによるクラシュ計算プログラムを活用している。
EV時代にもSRSエアバッグの進化は続いている
さらなる安全性を獲得するため、ステアリングだけでなく、室内のあらゆる場所にSRSエアバッグを設置し、その形状は多様化した。1987年9月に量産車Sクラス/W126の助手席SRSエアバッグを世界で最初に搭載(当初はグローブボックス内)。とくに、1992年に運転席SRSエアバッグがメルセデス・ベンツの全乗用車に標準装備され、1994年には助手席SRSエアバッグも標準装備された。
1995年にSRSサイドエアバッグが「Eクラス/W210」で装備され、1998年のSRSウインドウエアバッグが広範な保護システムとして追加装備。2001年、側面衝突の対策として、頭部・胸部を保護するSRSヘッドソラックス・サイドバッグが「SLクラス」に装備された。
2002年のEクラス/W211に腰椎や骨盤を保護するSRSペルビスバッグを装備、2009年にSRSニーエアバッグ、2013年に胸部/骨盤SRSサイドバッグ、SRSクッションバッグ、非常にコンパクトなインフレーターブルベルトSRSエアバッグが続いて装備。
2005年のSクラス/W221に装備された「アダプティブエアバッグ」のガス発生器は、事故の程度に応じて2段階で展開され、オールラウンドで乗員を保護する安全哲学の「プロセーフ(PRO-SAFE)」の一部を形成(計8つのエアバッグ)。2010年の実験安全車「ESF2009」にはエアバッグの新システムとしてブレーキバッグが装備され、車両のアンダーボディに収容され衝突の直前に作動し路面との摩擦コーティングで減速させた。
2020年のSクラス/W223には、後部座席の乗員保護の革新的なSRSリアエアバッグが装備された。とくに、この新しいSRSリアエアバッグは、チューブラ構造を採用した全く新しいインフレーションコンセプトを採用し、初めてアウターリアシートのフロントエアバッグを展開するように設計された。深刻な正面衝突が発生した場合、これらのシートベルトで拘束されている乗員の頭と首への負荷を大幅に軽減する。
最新のラグジュアリークラス初の電気自動車「EQS」にも、全方位の幅広いSRSエアバッグの安全システムを装備している。このようにSRSエアバッグの進化にも「安全性」に対するメルセデス・ベンツの冷めることのない情熱と、たゆまぬ努力をみることができる。
* * *
メルセデス・ベンツはSRSエアバッグに限らず、自動車の安全性に関する特許を全自動車メーカーに無償で公開している。この事実は全自動車の安全性の向上を願ってのことであるが、メルセデス・ベンツの安全性に対する深い思いが伝わってくる。
メルセデス・ベンツは自動車を発明したメーカーとして、その責任と誇りにおいて、絶えず「技術革新による安全性」を追求し、しかも決して満足することなく、絶えず挑戦し続けている。