ヨットから着想を得たスタイリング
1955年に発売されたシルバークラウドは、ヨットからインスピレーションを得たスタイリングを採用。高いラジエーターが船首を形作り、フロントウイングは船の引き波のように流れ、曲線を描くリアウイングは航跡を表し、低く傾斜したテールが特徴的であった。デザインチームの負担を増やすことになったが、SXBにも同様の美的感覚を取り入れるよう指示された。
当初、SXBはロールス・ロイスとベントレーがそれぞれ同じ基本構造を使用し、異なるボディで製造する計画であった。しかし、デザインが発展するにつれ、両社の独特なラジエターグリルという最大の美的相違をシングルボディのデザインで実現できることが明らかになった。
2つのボディというアプローチを断念する決定は、コスト削減の緊急の必要性も背景にあった。しかしこの大幅なコスト削減にもかかわらず、1992年には資金的な理由でプロジェクトは一旦中止となった。
1994年1月にようやくSXBプロジェクトが復活した際、デザイナーたちはシルバークラウドへのオマージュを継続し、特徴的なリアフェンダーを備えたデザインを制作した。SXBは、シルバークラウドの象徴的なヨットの影響を一部残しつつ、より現代的な落ち窪んだウエストラインが与えられた。
伝統を守りつつ洗練されたスタイルに
1994年10月、SXB(この時点ではプロジェクトP600として知られていた)は、1998年の発売に向けて正式にゴーサインが出された。この新型モデルで、ロールス・ロイスには5.4L V12、ベントレーには4.4L V8のBMW製エンジンが搭載されることになった。
それから6カ月後の1995年5月、P600はP3000と名称が変更され、デザインの詳細が最終決定された。何度も変更が加えられた結果、ラジエターシェルは当初のデザインよりも角が取れ、丸みを帯びたものとなった。また、スピリット・オブ・エクスタシーもシルバースピリットのものよりも若干小型化された。側面から見ると、シルバーシャドウの控えめながらも明確なスタイリングのヒントがそのまま残されており、フラットパネルは必要最小限に抑えられ、最も重要なカリスマ性が復活した。
「シルバーセラフ」は、1998年1月にスコットランドのアッカーギル・タワー城で報道陣に公開された。その後、シルバーセラフは2002年まで生産され、2000年に発表されたロングホイールベースバージョンとともに、BMWグループがロールス・ロイスブランドを買収してから4年間だけ生産されたこととなる。実際、BMWのパワートレイン、専門知識、エンジニアリングの採用は、ロールス・ロイスの新しいオーナーにとって魅力的なものにするのに役立ったと考えられている。
旧ロールス・ロイスと新時代をつなぐ架け橋
構想から公道デビューまで驚異的な14年を要したシルバーセラフは、おそらく歴史上のどのロールス・ロイスよりも長い開発期間を経て誕生したモデルとなった。その全般的コンセプトは、それまでのモデルよりも小型で威圧感のないものという評価もあったが、それでもシルバーセラフは非常に重要なモデルであることに変わりはない。
優れたデザインはすべてそうであるように、時を経てもその魅力を失うことなく、時代を反映し、今日でも魅力的な自動車であることである。そしてBMW製のV12エンジンを搭載し、2002年まで生産が続いたことで、このモデルは“旧”ロールス・ロイスと“新”グッドウッド時代の間の技術的な架け橋であり、目に見えるつながりを生み出した。
AMWノミカタ
シルバーセラフはクルー工場で生産された最後のロールス・ロイスとなる。同じモデルのベントレーは「アルナージ」と呼ばれた。1998年に登場したモデルであるが、当時をしてもあまりにもクラシカルで独自なスタイルに驚いた。しかしその理由が発表の14年前にあたる1984年からスタートしたプロジェクトだったと知れば納得できる。
1990年代や2000年初頭はマーケットの縮小もさることながら、競合車となる大型サルーンがその性能を高め、ロールス・ロイスの優位性は失われていった時代である。
先代のシルバースピリット、先々代のシルバーシャドウのようなロングセラーモデルにはならず、4年間でわずか1570台しか生産されなかったことから、必ずしも商業的に成功したモデルとは言い難い。
しかしこのモデルのお陰でロールス・ロイスは改めて「飛び抜けた存在」になることを決意し、ファントムVIIの大成功につながる。シルバーセラフがまさに今日のブランド復活のきっかけを与えてくれたモデルであったと感じる。