ロールス・ロイス史上もっとも長い開発期間を経て誕生
ロールス・ロイスは創業120周年を迎えた2024年から、定期的にブランドの歴史を彩った名車を振り返っています。今回は、1998年〜2002年にかけて製造された「シルバーセラフ」を紹介。構想から公道デビューまで14年もの歳月を要し、ロールス・ロイスの歴史上もっとも長い開発期間を経て誕生したモデルの歴史を辿ります。
シルバースピリットの成功とその後継車の誕生
1989年にロールス・ロイスは、「シルバースピリット」を過去最高の3333台販売した。すでに生産開始から10年が経過していたが、最終的には18年間販売する長寿モデルとなった。シルバースピリットは、その先代である「シルバーシャドウ」の後継車であり、そのシルバーシャドウもまた15年間にわたって生産されたモデルであった。
このような長寿命モデルは、自動車業界では極めて異例のことである。これらのモデルのビジネス的な成功は、大型の高級車には必ずしも従来の常識が当てはまるわけではないことを証明しているかのようであった。しかし、そのような好調な販売の裏ではシルバースピリットの後継車を開発する「SXB」というコードネームのプロジェクトが、5年前の1984年にすでに開始されていた。
SXBはまったく新しいモデルとなる予定であった。デザインチームが直面した課題は、米国と英国の相反する市場ニーズを同時に満たす自動車を創り出すことだった。米国では、富と成功を堂々と誇示する自動車が依然として求められていたが、英国では、景気後退の時期に目立つ消費をすることに不安を感じる顧客もいた。
シルバースピリットは、長年にわたって愛されてきた「SZ」シリーズをベースに開発されたモデルである。デザイナーたちは当初、SZよりも小型ながら、インテリアの寸法は同等にすること、また、デザインの美観を損なうことなく、可能な限り大きなトランクルームを確保することを指示された。
また、新型モデルでは、ドライバーと乗員が威厳がありながらも快適な「コマンド・ポジション」に座る必要があった。このコマンド・ポジションは、長年にわたりロールス・ロイスの特徴であり、現在の「ファントムVIII」にも引き継がれている。
新技術と伝統を融合したロールス・ロイスの挑戦
課題はどれも難題であったが、幸いにもデザイナーたちは、その助けとなる素晴らしい新技術を利用することができた。SXBは、グッドウッドで現代のロールス・ロイス・プロジェクトで今も使用されている伝統的な粘土、木、ファイバーグラスによるスタイリング・バックスを補うものとして、1989年にチームに導入されたコンピュータ支援設計(CAD)を使用して開発された最初のロールス・ロイスであった。
当時、デザイナーたちはウェッジシェイプに夢中になっていた。つまり、フロントが低く、リアが高いデザインである。ただし、それはロールス・ロイスのスタイリング部門を除いての話である。当時も現在も、ロールス・ロイスは流行を追うことは決してないが、その根本的なデザイン理念は正反対のものであり、フロントが高く、リアが低いという特徴がある。
グッドウッドのデザイナーたちにとって、もうひとつの重要な要素は顧客からのフィードバックであった。米国のオーナーはSZシリーズは良いクルマだと認めたが、初期のシルバークラウドや「コーニッシュ」モデルのようなカリスマ性に欠けると指摘した。
ヨットから着想を得たスタイリング
1955年に発売されたシルバークラウドは、ヨットからインスピレーションを得たスタイリングを採用。高いラジエーターが船首を形作り、フロントウイングは船の引き波のように流れ、曲線を描くリアウイングは航跡を表し、低く傾斜したテールが特徴的であった。デザインチームの負担を増やすことになったが、SXBにも同様の美的感覚を取り入れるよう指示された。
当初、SXBはロールス・ロイスとベントレーがそれぞれ同じ基本構造を使用し、異なるボディで製造する計画であった。しかし、デザインが発展するにつれ、両社の独特なラジエターグリルという最大の美的相違をシングルボディのデザインで実現できることが明らかになった。
2つのボディというアプローチを断念する決定は、コスト削減の緊急の必要性も背景にあった。しかしこの大幅なコスト削減にもかかわらず、1992年には資金的な理由でプロジェクトは一旦中止となった。
1994年1月にようやくSXBプロジェクトが復活した際、デザイナーたちはシルバークラウドへのオマージュを継続し、特徴的なリアフェンダーを備えたデザインを制作した。SXBは、シルバークラウドの象徴的なヨットの影響を一部残しつつ、より現代的な落ち窪んだウエストラインが与えられた。
伝統を守りつつ洗練されたスタイルに
1994年10月、SXB(この時点ではプロジェクトP600として知られていた)は、1998年の発売に向けて正式にゴーサインが出された。この新型モデルで、ロールス・ロイスには5.4L V12、ベントレーには4.4L V8のBMW製エンジンが搭載されることになった。
それから6カ月後の1995年5月、P600はP3000と名称が変更され、デザインの詳細が最終決定された。何度も変更が加えられた結果、ラジエターシェルは当初のデザインよりも角が取れ、丸みを帯びたものとなった。また、スピリット・オブ・エクスタシーもシルバースピリットのものよりも若干小型化された。側面から見ると、シルバーシャドウの控えめながらも明確なスタイリングのヒントがそのまま残されており、フラットパネルは必要最小限に抑えられ、最も重要なカリスマ性が復活した。
「シルバーセラフ」は、1998年1月にスコットランドのアッカーギル・タワー城で報道陣に公開された。その後、シルバーセラフは2002年まで生産され、2000年に発表されたロングホイールベースバージョンとともに、BMWグループがロールス・ロイスブランドを買収してから4年間だけ生産されたこととなる。実際、BMWのパワートレイン、専門知識、エンジニアリングの採用は、ロールス・ロイスの新しいオーナーにとって魅力的なものにするのに役立ったと考えられている。
旧ロールス・ロイスと新時代をつなぐ架け橋
構想から公道デビューまで驚異的な14年を要したシルバーセラフは、おそらく歴史上のどのロールス・ロイスよりも長い開発期間を経て誕生したモデルとなった。その全般的コンセプトは、それまでのモデルよりも小型で威圧感のないものという評価もあったが、それでもシルバーセラフは非常に重要なモデルであることに変わりはない。
優れたデザインはすべてそうであるように、時を経てもその魅力を失うことなく、時代を反映し、今日でも魅力的な自動車であることである。そしてBMW製のV12エンジンを搭載し、2002年まで生産が続いたことで、このモデルは“旧”ロールス・ロイスと“新”グッドウッド時代の間の技術的な架け橋であり、目に見えるつながりを生み出した。
AMWノミカタ
シルバーセラフはクルー工場で生産された最後のロールス・ロイスとなる。同じモデルのベントレーは「アルナージ」と呼ばれた。1998年に登場したモデルであるが、当時をしてもあまりにもクラシカルで独自なスタイルに驚いた。しかしその理由が発表の14年前にあたる1984年からスタートしたプロジェクトだったと知れば納得できる。
1990年代や2000年初頭はマーケットの縮小もさることながら、競合車となる大型サルーンがその性能を高め、ロールス・ロイスの優位性は失われていった時代である。
先代のシルバースピリット、先々代のシルバーシャドウのようなロングセラーモデルにはならず、4年間でわずか1570台しか生産されなかったことから、必ずしも商業的に成功したモデルとは言い難い。
しかしこのモデルのお陰でロールス・ロイスは改めて「飛び抜けた存在」になることを決意し、ファントムVIIの大成功につながる。シルバーセラフがまさに今日のブランド復活のきっかけを与えてくれたモデルであったと感じる。