クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB

クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

  • TOP
  • CLASSIC
  • ホンダ製50ccエンジン搭載の「エス50」とは? 200台限定の原付カー「AD-S50」は遊園地のゴーカートとは似て非なる別物でした【マイクロカー図鑑】
CLASSIC
share:

ホンダ製50ccエンジン搭載の「エス50」とは? 200台限定の原付カー「AD-S50」は遊園地のゴーカートとは似て非なる別物でした【マイクロカー図鑑】

投稿日:

TEXT: 長尾 循(NAGAO Jun)  PHOTO: 近藤浩之(KONDO Hiroyuki)

  • AD-S50:アド・アートというメーカーが「200台限定」を謳ってリリースした原付カー
  • AD-S50:エンジンは当時のホンダ製スクーター用2ストローク49ccを流用
  • AD-S50:ボディサイズは全長2495mm×全幅1290mm
  • AD-S50:ノーズには「AD SPORTS」と書かれたエンブレム
  • AD-S50:クラシカルな表情のヘッドライト
  • AD-S50:グリルの造形もホンダ・スポーツの系譜を彷彿させる
  • AD-S50:タイヤは軽自動車と同等の10インチ
  • AD-S50:エンジンは当時のホンダ製スクーター用2ストローク49ccを流用
  • AD-S50:1人乗りの原付カーとなる
  • AD-S50:ウッド風ダッシュパネルとクラシカルなステアリング
  • AD-S50:スズキ製のメーターが装着されている
  • AD-S50:バック機構付きのデフやサイドブレーキも備えている
  • AD-S50:いたってシンプルな2ペダル操作
  • AD-S50:1人乗りの原付カーとなる
  • AD-S50:アド・アートというメーカーが「200台限定」を謳ってリリースした原付カー

ゴーカートのような1人乗り原付カー「AD-S50」

もともと「普通免許不要・原付免許で乗れる簡便なクルマ」という手軽さから、1980年代半ばに急速に普及した「原付カー」でしたが、1985年の道路交通法の改定により原付カーの運転には普通免許が必要となると、本来の「交通弱者のアシ」としての意味合いはいささか薄れることとなりました。そんな原付カーを取り巻く時代の変化の狭間に生まれた1台が、今回ご紹介する「AD-S50」です。

200台限定で販売された「公道を走れる大きな玩具」

かつては車検もなく大規模な生産設備も必要としないことから、一時期は大手メーカーから町工場レベルのものまで、大小さまざまな規模のメーカーが数多くの原付カーをリリースしていた。その多くは原付カーの本分とも言える「ミニマム・トランスポーター」として作られたものであったが、1980年代半ばにもなると法規の改定を見据え、それまでとは異なるアプローチの原付カーも生まれるようになった。

たとえば光岡自動車がリリースした「BUBU 505-C」がその一例。その見た目は1930年代のジャガー「SS100」を模したと思しきデザイン。原付カーがそれまでの「ミニマム・トランスポーター」という立ち位置から「公道を走れる大きな玩具」へと宗旨替えをして、新たな市場の可能性を探っていた時期にも思える。

その伝で言えば、この「AD-S50」もまさにそんな時代に生まれた「公道を走れる大きな玩具」と言えるだろう。アド・アートというメーカーが「200台限定」を謳ってリリースした原付カーだ。

おそらく車名のADはアド・アート、S50はホンダの「エスロク」や「エスハチ」にならって50ccであることを表していると思われる。ホンダ・スポーツの縮小レプリカとはひと言も謳われていないが、当時のカタログには「ぼくのノスタルジーを積んで、アイツが帰って来た」というキャッチコピー。このことからも、元ネタがアイツ(=エス)だということを匂わせている。

オプションで幌やハードトップもラインアップされていた

エンジンは当時のホンダ製スクーター用2ストローク49ccを流用し、バック機構付きのデフやサイドブレーキも備えている。ボディサイズは全長2495mm×全幅1290mmと、原付ミニカー規格ほぼ上限の数値となっており、またタイヤも軽自動車と同等の10インチ。さらに望めば幌やハードトップなどもオプションで用意されていた。

このあたりからも、このAD-S50が狙っていたユーザー像はミニマム・トランスポーターを必要としている交通弱者ではなく、「公道上で楽しめる乗用玩具」に興味を持つようなクルマ好きの粋人だったことが推察できる。取材車は赤いボディカラーだったが、カタログカラーには他に黄色と白も用意されていた。

懐かしの遊園地ゴーカートとは全くの別物

ちなみに、エンジンで走るホンダ・スポーツの縮小レプリカといえば、ホンダ系列の遊園地「多摩テック」などで走っていたゴーカートを思い起こす年配のファンもいらっしゃるかもしれない。ネット上などでも「AD-S50は多摩テックや鈴鹿で走っていたゴーカートと関係があるのでは?」といった記述も散見されるが、両車をあらためて見比べてみると全くの別物である。

はたして、実在するクラシックカーを原付カーのサイズでコミカルにミニチュア化する、というムーブメントは広がりを見せることなく、やがて潰えた。ミツオカはその流れを普通車の世界で継承することに成功したが、こちらのアド・アート製の「エス」は歴史の波間に静かに消えていった。

今回の取材に協力していただいたAD-S50のオーナーは、他にも数多くの原付カーを所有するマニアとしてこの世界では有名な水口 雪さん。AMWでも度々取材でお世話になっているエンスージアストだ。

■「マイクロカー図鑑」過去の紹介モデルはこちら

すべて表示
  • 長尾 循(NAGAO Jun)
  • 長尾 循(NAGAO Jun)
  • 1962年生まれ。デザイン専門学校を卒業後、エディトリアル・デザイナーとしてバブル景気前夜の雑誌業界に潜り込む。その後クルマの模型専門誌、自動車趣味誌の編集長を経て2022年に定年退職。現在はフリーランスの編集者&ライター、さらには趣味が高じて模型誌の作例制作なども手掛ける。かつて所有していたクラシック・ミニや二輪は全て手放したが、1985年に個人売買で手に入れた中古のケーターハム・スーパーセブンだけは、40年近く経った今でも乗り続けている。
著者一覧 >

 

 

 

RECOMMEND

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

 

 

 

人気記事ランキング

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

AMW SPECIAL CONTENTS