多彩な原付カーで一世を風靡した光岡自動車
「普通免許不要・原付免許で乗れる簡便なクルマ」という手軽さから、1980年代初頭から半ばにかけてちょっとしたムーブメントとなった原付カー。車検もなく大規模な生産施設も必要としないことから、一時期は大手自動車メーカーから小規模な町工場レベルまで、数多くのメーカーがこのジャンルに参入しました。それらの中でもとくに知られているのが、富山県を本拠地とする光岡自動車(以下、ミツオカ)がリリースした一連の原付カーたちです。今回は1985年にデビューした「BUBUライム」を紹介します。
「原付カー」ブームの最高潮だった1985年に誕生
もともと自動車整備・販売を行っていたミツオカが、同じ富山のタケオカ自動車工芸と共同で自社オリジナルの原付カーの開発に着手したのは1981年のこと。翌1982年には初のオリジナル・モデルとなる1人乗り原付カー、「BUBUシャトル50」の販売を開始している。その後ミツオカは「BUBU 501」「BUBU 502」「BUBU 503」……と、毎年のように新型モデルを発表。
とくに1985年は新車ラッシュともいえる精力的な展開を見せ、「BUBU 504」「BUBU 505-C」「BUBU LIME(ライム)」「BUBU BOY(ボーイ)」と、矢継ぎ早に4車種もの新型モデルを投入している。
しかし、この1985年というのは原付カー・メーカーにとっては思わぬ逆風が吹き始めた年。混合交通下で急激にその数を増やした原付カーに対し、この年から施行された新道路交通法によって、原付カーの運転に必要な免許証が原付免許から普通免許へと改正されたのだ。このことをきっかけに原付カーの市場は徐々に縮小。多くのメーカーはこの市場から撤退し、ミツオカも徐々に原付カー・メーカーからレプリカ車やクラシックカー風普通乗用車メーカーへと軌道修正することとなった。
今回ご紹介する原付カーは、まさにそんな時代の節目に生まれた1台である。
40年前に原宿のミツオカショールームで購入
取材当日、撮影現場に現れたのは真っ赤な原付カー。1985年にミツオカがリリースした「BUBUライム」である。オーナーの本山 隆(もとやまたかし)さんは、当時新車でこのライムを購入し、以来40年にわたって所有しているという。
「当時の雑誌で見かけたのがこのクルマとの最初の出会いでした。もともとは“これに会社のロゴを入れて営業車にすれば会社の宣伝になるかな”と思って、原宿にあったミツオカのショールームに出向いて手に入れたんです」
と語る本山さんは、婦人小物雑貨を取り扱う会社の社長さん。ボディには「BUBU LIME」の車名以外に会社のロゴも貼られている。その鮮やかなボディカラーとも相まって、導入当初から街中でかなりの注目を浴びたことだろう。
文字どおり「未来感覚のキャビンスクーター」だった
当時のカタログには「未来感覚のキャビンスクーター」と謳われているライム。自動車と同じ丸ハンドルで、ウェッジシェイプのボディをまとった3ホイーラー。カタログの謳い文句にたがわず他の原付カーとは一線を画すデザインは、英国の3ホイーラー、「ボンド・バグ」を連想させる。
ちなみに本山さんのライムに装着されているリアのオーバーフェンダーは当時の純正オプションだが、これを装着した個体はごく少数とのこと。ワイド化されたボディに合わせ、ホイールはホンダ「ジャイロ」用の太い6インチが履かされている。また、ライムはノーマルの状態ではドアを持たず、オプションパーツが用意されていたが、本山さんのライムにはアクリル板を加工した自作のドアが装着されている。
このようにプラモデル感覚で自由にカスタマイズが楽しめるのも、車検不要の原付カーだからこそ。
「今でもちょくちょくツーリングなどに出かけます」
という本山さんとBUBUライムとの二人三脚は、これからも末長く続くことだろう。
■「マイクロカー図鑑」過去の紹介モデルはこちら