名作の舞台、蒲田ロケ地散歩
映画批評家・永田よしのりがガイドする、気になる映画のロケ地探訪。今回訪れたのは、温泉や餃子で知られ、どこかノスタルジックを醸す昭和の雰囲気も残す東京・大田区蒲田。名作『砂の器』や、近年の大ヒット作『シン・ゴジラ』、インディペンデント作品など、バラエティに富んだ作品が撮影されている蒲田を巡ってきました。
蒲田駅で「蒲田行進曲」が聴けるのはあと数年
蒲田と聞くと、映画ファンならばその名前を冠にした『蒲田行進曲』を思い出すのかもしれない。蒲田の駅では電車の発着時に、かつて当地に存在した松竹蒲田撮影所の所歌でもある「蒲田行進曲」が流れている。JR線は今後4〜5年で各駅で流されている発着曲(その土地を象徴する有名曲「鉄腕アトム」や「ドラえもん」など)を停止し、全駅で統一する予定だ。「蒲田行進曲」が蒲田駅で聴けるのもあと数年らしいので、今のうちに聴いておきたい。
実際に松竹蒲田撮影所がこの地にあったのは1920〜1936年と意外と短い期間。その後は松竹大船撮影所に移転するわけだが(大船撮影所も現在はない)、戦前に松竹映画の中心地として稼働していたことは間違いなかろう。映画は1982年に製作されたので、当然蒲田撮影所はなく、実際の撮影の大半は東映京都撮影所で行われている。松竹蒲田撮影所跡地には現在の太田区民ホール・アプリコが建設され、地下には撮影所の模型、エントランスには撮影所に架かっていた松竹橋の親柱が展示、親柱と欄干の複製品が同館の前に設置されている。ここで歴史の一端を感じてみてはいかがだろうか。
『砂の器』の昭和の面影をたどる
蒲田でロケされた映画で特に有名なのは、やはり『砂の器』だろう。1974年当時の日本公開作品配給収入第6位と大ヒット。原作は当時の国電蒲田操車場内で男性の殺害死体が発見される場面からはじまる、松本清張原作のヒューマンミステリー小説『砂の器』。その書き出しは、「国電蒲田駅の近くの横丁だった〜」と、当時の蒲田の街の様子が描写され、蒲田操車場で男の殺害死体が発見されることで物語が展開していくわけだが、小説が発表されたのは1960年〜1961年。映画が公開されたのは1974年のこと。
時の流れは移ろい、当時ロケされた場所は現在ではすっかり様変わりしてしまっている。現在の操車場は蒲田駅から歩いて10分ほどの場所。住宅が建ち並ぶ中、突然広大な電車の待機場が現れ、近隣道から内部の様子を確認することができる。現在でも撮り鉄の鉄道ファンが撮影に訪れているようだ。
20年経っても変わらぬ『やわらかい生活』のロケ地
蒲田操車場から歩いて5〜6分の場所には、映画『やわらかい生活』で、心の病に陥いり蒲田に引っ越して来た主人公の橘 優子(寺島しのぶ)が鬱病の若い気の弱いヤクザ(妻夫木聡)と訪れていた西六合公園(通称タイヤ公園)がある。なかなかにインパクトのある古タイヤで構築された怪獣やロボットが、現在でも子供たちの遊び相手として存在している。
映画のほぼ全編を蒲田でロケ撮影した『やわらかい生活』には、ほかにも東急プラザ蒲田の屋上「かまたえん」にある小さな観覧車、駅前から始まるサンライズ商店街、銭湯・蒲田温泉など、映画公開から20年近くを経た現在でも、その当時とあまり変わらない場所を見ることができる。
駅前開発(2025年3月現在も開発中)で区画整理が進んではいるが、駅からちょっと歩くだけで、どこか昭和の懐かしさを感じる街がそこにはあるのだ。昼間から呑める店、とんかつや餃子の美味しい店、温泉銭湯、老舗の甘味屋、地元御用達「鳥九」の弁当などなど、地元民に愛される店が軒を並べる繁華街。そして高校や大学、病院なども充実した街。まさ映画ロケする場所がてんこもりの街。それが蒲田なのではないだろうか。
『モテキ』に登場したスナックは今も存在
モテキ到来後、ニュースサイトの社員となった藤本幸世(森山未來)。劇中で愛(仲里依沙)と街を歩く前に出てくる店(店を出てから歩くシーンは新宿で撮影)が、愛の母親(りりィ)の店・スナック「シーズー」。撮影当時は、「パブスナック ニュースエヒロ」。そこから「カラオケスナックハッピー」と名前を変え、「スナックトパーズ」として現存している。
蒲田駅西口の喫煙所から徒歩3分、住宅地と個人商店が混在する路地の角地にあり、地元住民の生活と密着するかのように存在している。一見するだけでもなかなかに味わいある店構え。このどこか不思議な風景も蒲田ならではだと思ってしまう。