ラリーマシン上がりのA110
クラシック・アルピーヌの履歴を管理する「アルピーヌ・レジスター」によると、このほどボナムズ「LES GRANDES MARQUES DU MONDE À PARIS 2025」オークションに出品されたアルピーヌ・ルノー A110 1600S、シャシーナンバー「17808」は1972年にディエップ本社工場から出荷され、その時からもっともアイコニックなカラーである「ブルー・アルピーヌ・メタリゼ(Bleu Alpine Métallisé)」で仕上げられていた。
最初の仕向け地であるイタリアに輸出される以前の段階から「FIAグループ3」仕様に仕上げられ、さまざまなナンバープレート(当時は県が変わるたびに登録が変更された)を付けて、さまざまなコンペティションに参戦したことが記されている。
「エストラッティ・クロノロジチ(Estratti Cronologici:オーナー履歴書)」によると、最初のオーナーはフィレンツェのアリージ・ペルッチで、その後、パルマのブルーノ・ボッコニ、ミラノのジャンカルロ・モレッティ、ペルージャ近郊フォリーノのクラウディオ・アントニーニ、ペルージャ近郊カンナーラのロモロ・ファルチネッリ、コモとモデナの双方に本拠を置くガエターノ・アフェッティが続いたと記録されている。そして1979年9月以降、このA110は同じナンバープレートのまま、モデナに登録されている。
特筆すべきは、前述のオーナーのほとんどが、このクルマでモータースポーツに参戦していることである。その戦歴はここでは紹介しきれないほどおびただしいものながら、競技歴のハイライトは、1972年にファーストオーナーが獲得した9回以上のクラス1位。これには「ボルミオ・ステルヴィオ」、「コッパ・アルペ・ネヴェガル」、「コッパ・デル・キャンティ」など、当時の人気国内イベントが含まれる。
さらにこのアルピーヌは、1978年まで毎シーズンのようにラリーに参戦。デビューから5年を経ていた旧式マシンにもかかわらず、マジオーネ・サーキットではグループ3カテゴリーで2位入賞している。これらの戦歴の大部分は、イタリアのモータースポーツ雑誌「Autosprint」に記録されているほか、1989年発行の「ACI/CSAIレポート」にも証明されている。また、イタリアの雑誌に長い特集記事が掲載されたこともあるという。
2回のレストアが施された1台
くわえてこの個体は、少なくとも2回のレストアが施されている。ひとつは2000年以前にエンジンのオーバーホールから、ギアボックス、インテリア、キャブレター、ボディ、ブレーキ、ステアリングなどの修復。その作業工賃は現在のユーロではなく、当時のイタリア・リラで支払われたことが、インボイスで明らかになっている。
さらに2011年末には、イタリア・マルケ州アスコリ・ピチェーノにあるファビオ・タルクィーニの工房にて、外装をラリーカー時代のイエローからオリジナルの「ブルー・アルピーヌ・メタリゼ」に戻している。このときロールバーは残されたものの、約40年ぶりにほぼロードバージョンのスペックに戻すレストアを受けている。
このアルピーヌ・ルノー A110 1600Sについて、歴代オーナーがすべて判明している確かなキャリア、1970年代の華々しいコンペティション歴、美しいレストアが施されていることなどのストロングポイントを鑑みたボナムズ社は、現オーナーとの協議の結果として10万ユーロ~13万ユーロ(邦貨換算約1600万円〜2080万円)というエスティメート(推定落札価格)を設定した。
そして迎えた競売ではビッド(入札)が順調に進み、終わってみればエスティメートのほぼ中央値である11万2125ユーロ、日本円に換算すれば約1800万円で競売人の掌中のハンマーが鳴らされることになった。
今回の落札価格は円安のため、日本円に換算してしまうとなかなかの高額に映るかたわらで、現役時代のラリーヒストリーに富んだA110 1600Sであることを思えば、比較的リーズナブルだったのでは……? とも感じられるハンマープライスだったのである。