『サーキットの狼』にも登場した謎のリジェ「JS2」とは
2025年2月6日、ボナムズ・オークション社がパリ「レトロモビル」に付随して開催した大規模オークション「LES GRANDES MARQUES DU MONDE À PARIS(パリに集う世界の偉大なブランドたち)」では、フランス以外ではなかなか見る機会のないスーパースポーツ「リジェ(Liger) JS2」が出品されていました。正直にいえば、筆者自身もあまり予備知識は多いとはいえないリジェ JS2について、AMWをご覧の皆さんと一緒にひも解いていきます。
今や知る人ぞ知る? リジェJS2ってどんなクルマ?
今日リジェといえば、F1グランプリのフランス代表として参戦した20年間(1976年〜1996年)の興亡が記憶に新しい。しかしそれ以前には、ラグビー選手からスポーツカーメーカーに転身したギィ・リジェが設立した小規模コンストラクターとして、「JS2」に代表されるロードゴーイングスポーツカーを製造していた。
「JS」とはフランスのレーシングドライバーで、ギィ・リジェの盟友だったジョー・シュレッサーのイニシャル。1968年のフランスGPにホンダの空冷F1マシン「RA302」で出走したものの、そのレースで発生した悲劇的な事故によって逝去した人物である。
彼はエンジニアのミッシェル・テツとともに、新たにレーシングカーのコンストラクターとして名乗りを上げようとしていたリジェの創設メンバーとして参画することが決まっており、残されたリジェとテツ技師は、亡き友シュレッサーのイニシャルを自社初のスポーツカーに掲げることにしたのだ。
その第1作として1969年に登場した「JS1」は、鋼板の間にポリウレタンフォームを挟みこんだバックボーンフレームに、イタリアのピエトロ・フルアが架装したFRPボディを組み合わせて「FIA-GT」カテゴリーのホモロゲートを目指した、ミッドシップの軽量クーペ。「コスワース FVA」直列4気筒DOHCと独フォード「ケルン」V6 OHVエンジンの搭載を想定していたものの、製作は3台のみに終わった。
マセラティのエンジンを搭載!
しかし、直後にシトロエンとのエンジン供給契約を取りつけたリジェは、新たなマシンを開発。その結果として誕生したのが、1971年のパリ・サロンにて同社初の市販モデルとして公開されたJS2だった。JS1のホイールベースを50mm伸ばしたシャシーに、マセラティが開発したシトロエン「SM」用の4カムシャフトV型6気筒2.7Lエンジンを搭載し、JS1と似たFRP製ボディを載せた、正真正銘のスーパースポーツである。
ただ、当時のFIAグループ4・GTクラスのホモロゲートを獲得するには、最低500台を製造する必要があったことから、リジェでは積極的なセールスを展開したものの、残念ながら商業的成功には至らず。そののち、エンジンを3Lに拡大するなどの改良も施されたが、1975年の生産終了時までにラインオフしたのは、わずか250台程度に過ぎなかった。
しかし、ロードカーとしては成功作とはなり得なかったリジェ JS2ながら、1970~1980年代の少年ジャンプ『サーキットの狼』にも登場したというレーシングモデルは素晴らしい戦果を挙げ、のちのリジェF1進出への布石の役割を果たすことになる。
エンジンを、マセラティV6から「コスワースDFV」にコンバートしたJS2を仕立てたリジェは、1975年のル・マン24時間レースに出場。もともと市販GTをベースとする改造マシンながら、この年のル・マンで1位と3位を獲得した純然たるレーシングプロトタイプ「ガルフ ミラージュGR8」に割って入るポジション。まさに値千金ともいうべき、総合2位入賞を果たしたのだ。