オワコン化の理由は各メーカーが自国優先の戦略を取り始めたから?
モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。欧米先進国では「モーターショー」のオワコン(終わったコンテンツ)化が目立っています。かつてモーターショーといえばネタの宝庫と言われるほどの情報がありました。今回は「昔のモーターショー」について振り返ってもらいました。
昔のモーターショー取材は大変だった
最近、モーターショーがオワコンじゃないか? なんてよく言われる。たしかに往時の華やいだ雰囲気は影を潜め、存在意義そのものも失われつつある気がする。
私が初めてモーターショーの取材をしたのは1977年のフランクフルトショー。それ以後頻繁に海外のモーターショーを取材したが、2015年にすっぱりと辞めた。その時すでに存在意義を感じなくなっていたからにほかならない。
1977年はともかくとして、とくに1990年代は多くのモーターショーを取材した。全部ひとりでやるわけだから、その仕事量は半端じゃない。それに会場内の移動量も。当時はデジタルカメラなんていう便利なものはなく、すべてフィルムカメラだから、終わってみないと果たして写っているかどうかも判断がつかない。
もちろんプロならばその心配は不要かもしれないが、私はプロのカメラマンじゃない。だから、持ち込むフィルムの数もやはり半端じゃない。さらにショー会場は暗いので、私には三脚が必須だった。カメラだって2機。これをカメラバックに詰めて、さらにキャリーバッグも必要だった。というのも、当時プレスキットはすべて紙もので、とくにアメリカのモーターショーは巨大なバインダーで配られる。それを詰め込んだキャリーバッグが必要だったのだ。
この格好、すなわちカメラバッグに三脚、キャリーバッグを抱え、プレスコンファレンスに出てプレスキットを貰い、めぼしいクルマの写真を撮る。これが当時のモーターショー取材の姿であった。
時代とともにプレスキットの質量が減っていった
場所にもよるが、大抵は2日間のプレスデイがあり、そこですべてをこなす。デトロイトは3日間プレスデイがあったからだいぶ楽だったが、それでも貰うプレスキットの量が普通じゃなかったから、まぁ、大変だった。しかも、プレスキットはとてもじゃないが、持って行った大型のスーツケースには収まるはずもなく、かといってすべてを送ると帰国して原稿を書くのに間に合わない。
だから、毎日プレスデイが終わるとホテルに帰り、最低限必要かつ重要なものを抜き出して、それだけをスーツケースに詰め、残りは捨てる場合もあれば、それを段ボールに詰めて送ったりもした。どこのモーターショーでも大抵の場合、クーリエ・サービスがあり、デトロイトなどは無料で送ることができた。
いま考えると、よくそんな作業をこなしていたものだと思う。紙もののプレスキットはやがて、CDに変わり、劇的に質量が減った。そのCDはすぐにUSBメモリーに取って代わり、さらに質量は減った。最近はQRコードを読み込むか、名刺サイズのURLが書かれたものをくれ、そこから資料と写真をダウンロードする方式のはずだから、さらに量は少ない。そして2000年代に入ると、カメラも銀塩フィルムカメラからデジタルに取って代わり、フィルムも三脚も必要なくなった。昔を考えれば楽になったものである。