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モーターショーのオワコン化が止まらない!? 華やかだった演出はいずこに…昔はどうして取材が大変だった?【クルマ昔噺】

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)

  • 1980年代後半のホッケンハイムの試乗会で調子に乗ったジャーナリストがクラッシュさせたBMW M3
  • 1996年のジュネーブショー会場。華やいだ雰囲気が伝わる
  • 2008年のデトロイト。プレスを表に連れ出してクルマのお披露目。奥に小さく写っているダッジ ラムが、発表されたニューモデル
  • 2008年のデトロイト。写真の右手にショー会場となるコボホールがある
  • 2014年のニューヨークショー。フォード マスタングがこの年50周年を迎え、盛大なイベントが行われた
  • 2023年のジャパンモビリティショー。いくらプレスデイでも会場がこんなに空いてちゃまずい
  • こちらは2015年のデトロイトショーで貰ったプレス資料。全部工夫を凝らしたUSBだ
  • 各国特徴あり。1996年のジュネーブショー。スイスらしく地元のリンスピードが出展
  • 昔の東京モーターショー。フェアレディではなく、ダットサン2000。左ハンドルに注目
  • 1989年のデトロイトショーで貰ったプレスキット。こんなのが山ほど来る
  • フランクフルトとともに昔のデトロイトショーは試乗会もやっていた。これは1995年。マスタングはフルチェンジした時のもの
  • 昔は必ずクルマの横に女性が立っていたものです

オワコン化の理由は各メーカーが自国優先の戦略を取り始めたから?

モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。欧米先進国では「モーターショー」のオワコン(終わったコンテンツ)が目立っています。かつてモーターショーといえばネタの宝庫と言われるほどの情報がありました。今回は「昔のモーターショー」について振り返ってもらいました。

昔のモーターショー取材は大変だった

最近、モーターショーがオワコンじゃないか? なんてよく言われる。たしかに往時の華やいだ雰囲気は影を潜め、存在意義そのものも失われつつある気がする。

私が初めてモーターショーの取材をしたのは1977年のフランクフルトショー。それ以後頻繁に海外のモーターショーを取材したが、2015年にすっぱりと辞めた。その時すでに存在意義を感じなくなっていたからにほかならない。

1977年はともかくとして、とくに1990年代は多くのモーターショーを取材した。全部ひとりでやるわけだから、その仕事量は半端じゃない。それに会場内の移動量も。当時はデジタルカメラなんていう便利なものはなく、すべてフィルムカメラだから、終わってみないと果たして写っているかどうかも判断がつかない。

もちろんプロならばその心配は不要かもしれないが、私はプロのカメラマンじゃない。だから、持ち込むフィルムの数もやはり半端じゃない。さらにショー会場は暗いので、私には三脚が必須だった。カメラだって2機。これをカメラバックに詰めて、さらにキャリーバッグも必要だった。というのも、当時プレスキットはすべて紙もので、とくにアメリカのモーターショーは巨大なバインダーで配られる。それを詰め込んだキャリーバッグが必要だったのだ。

この格好、すなわちカメラバッグに三脚、キャリーバッグを抱え、プレスコンファレンスに出てプレスキットを貰い、めぼしいクルマの写真を撮る。これが当時のモーターショー取材の姿であった。

時代とともにプレスキットの質量が減っていった

場所にもよるが、大抵は2日間のプレスデイがあり、そこですべてをこなす。デトロイトは3日間プレスデイがあったからだいぶ楽だったが、それでも貰うプレスキットの量が普通じゃなかったから、まぁ、大変だった。しかも、プレスキットはとてもじゃないが、持って行った大型のスーツケースには収まるはずもなく、かといってすべてを送ると帰国して原稿を書くのに間に合わない。

だから、毎日プレスデイが終わるとホテルに帰り、最低限必要かつ重要なものを抜き出して、それだけをスーツケースに詰め、残りは捨てる場合もあれば、それを段ボールに詰めて送ったりもした。どこのモーターショーでも大抵の場合、クーリエ・サービスがあり、デトロイトなどは無料で送ることができた。

いま考えると、よくそんな作業をこなしていたものだと思う。紙もののプレスキットはやがて、CDに変わり、劇的に質量が減った。そのCDはすぐにUSBメモリーに取って代わり、さらに質量は減った。最近はQRコードを読み込むか、名刺サイズのURLが書かれたものをくれ、そこから資料と写真をダウンロードする方式のはずだから、さらに量は少ない。そして2000年代に入ると、カメラも銀塩フィルムカメラからデジタルに取って代わり、フィルムも三脚も必要なくなった。昔を考えれば楽になったものである。

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