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森に放置されたミツオカ「BUBU501」がメルカリに出品…購入したのは19歳青年でした! 路上復帰させるまでの困難なレストア作業とは

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TEXT: 長尾 循(NAGAO Jun)  PHOTO: 長尾 循(NAGAO Jun)

  • ミツオカ BUBU501:オーナーは小林響さん、若干19歳(取材当時)の青年だった
  • ミツオカ BUBU501:時折プロの手も借りながらレストアに着手していった
  • ミツオカ BUBU501:積年の汚れ落としから始まりボディを磨いてクリアコートをした
  • ミツオカ BUBU501:ドアは片側のみに取り付けられる
  • ミツオカ BUBU501:インパネまわりは実にシンプルなデザイン
  • ミツオカ BUBU501:一番大変だったのは配線だったと話す
  • ミツオカ BUBU501:小さなクルマを森の中からレスキューし地元の旧車イベントにデビューした
  • ミツオカ BUBU501:現車は長い期間森の中に放置されており、かなり傷んでいた
  • ミツオカ BUBU501:BUBUシャトルを皮切りにBUBU501は、原付カー・ムーブメントの牽引役となっていた
  • ミツオカ BUBU501:2024年の3月ごろにメルカリでこの個体が売りに出ているのを見つけ、購入した

19歳の青年がメルカリで購入!

日本で10番目の自動車メーカー光岡自動車が80年代に発売した「BUBU501」を、メルカリで購入してレストアした青年がいました。森の中に放置されていたという個体を、どのようにして路上復帰させたのでしょうか。

原付きカー・ムーブメントの牽引役となっていた

2024年10月13日に開催された「20世紀ミーティング 2024秋季」。参加資格車両は2000年ごろまでの乗用車のみならず2輪4輪商用車問わずエントリー可能というおおらかなものだけに、原付バイクからバスやトラックといった商用車まで参加車両は多種多様であるが、その小さなボディでひときわ来場者の注目を集めていたのが光岡自動車のBUBU501だった。

いわゆる原付カーである。光岡自動車といえば今では大手自動車メーカーから供給されるコンポーネンツをベースに独自デザインのボディを架装したオリジナルの少量生産車を手掛ける「日本で10番目の自動車メーカー」として知られるが、もともとは1968年に創業した自動車販売ディーラーがルーツ。会社の規模を拡大し現在の光岡自動車となったのが1979年、そして同社が独自車両の開発に取り掛かったのは1981年のことである。

「人間に最も近いクルマ」というコンセプトから、光岡自動車が手始めに取り組んだのが原付カーの分野。「原付免許で乗れ、操作が簡単」「安全で経済的」という触れ込みで1982年にデビューしたのが同社初のオリジナルカー「ゼロハンカー・BUBUシャトル」だ。

簡便なミニマム・トランスポーターとして一定以上の市場を開拓した原付カーのジャンルには大小様々なメーカーが参入するなど、ちょっとしたムーブメントとなっていた。BUBUシャトルを皮切りに、光岡自動車はBUBU501(今回の取材車)、そしてBUBU502、503、504、505-C、LIME、BOYと矢継ぎ早にゼロハンカーシリーズを発表し、原付カー・ムーブメントの牽引役となっていた。

時折プロの手も借りながらレストアに着手

「いつでも」「どこでも」「だれにでも」「手軽に乗れる」ということから一定の市場を作っていた原付カーだったが、1985年の新道路交通法施行によって原付カーの運転免許証が原付から普通免許へと法改正される。このことをきっかけに原付カーの市場は徐々に縮小し、光岡自動車がレプリカ車やクラシック風普通乗用車メーカーへと軌道修正する契機ともなるのだが、それはまた別の物語。

ともあれ日本のモータリゼーション史において、1980年代半ばにささやかながらもひとつのムーブメントとなったミニマム・トランスポーターの時代は確かに存在したのである。

ということで改めて、新潟県は三条市のミズベリング三条という施設の駐車場で行われた20世紀ミーティング会場の、光岡自動車BUBU501。オーナーは小林響さん、若干19歳(取材当時)の青年である。

「年式は1982年です。もともと小さいクルマが好きでホンダ ビートやホンダ Z(2代目)にも乗っていたのですが、2024年の3月ごろにメルカリでこの個体が売りに出ているのを見つけました」(小林青年)

「どうしても手に入れようと決めて、4月に福島県まで現車を引き取りに行きました」

現車は長い期間森の中に放置されており、かなり傷んでいたという。しかしなんとか路上復帰させようと、時折プロの手も借りながらレストアに着手。積年の汚れ落としから始まりボディを磨いてクリアコートをし……。

「エンジンも苦労しましたが、一番大変だったのは配線でした」(小林青年)

しかし苦労の甲斐あってナンバー取得。

「今回のイベント参加を目指して作業してきたのでよかったです」(小林青年)

今回は前途洋々たる19歳の若者が、自分よりふたまわりも年上の小さなクルマを森の中からレスキューし地元の旧車イベントにデビューした、というちょっと素敵なお話でした。

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  • 長尾 循(NAGAO Jun)
  • 長尾 循(NAGAO Jun)
  • 1962年生まれ。デザイン専門学校を卒業後、エディトリアル・デザイナーとしてバブル景気前夜の雑誌業界に潜り込む。その後クルマの模型専門誌、自動車趣味誌の編集長を経て2022年に定年退職。現在はフリーランスの編集者&ライター、さらには趣味が高じて模型誌の作例制作なども手掛ける。かつて所有していたクラシック・ミニや二輪は全て手放したが、1985年に個人売買で手に入れた中古のケーターハム・スーパーセブンだけは、40年近く経った今でも乗り続けている。
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