漫画『サーキットの狼』連載開始から50年! スーパーカーブームを振り返る
1970年代後半に日本を席巻した「スーパーカーブーム」のきっかけは、池沢さとし(現・池沢早人師)さんによる漫画『サーキット狼』の大ヒットでした。その連載開始が週刊少年ジャンプ1975年1月6日号(発売は前年12月10日)ということで、AMWでは2025年を「スーパーカーブーム50周年」と見立て、当時の熱狂を知る皆さんに思い出を振り返ってもらうことにしました。トップバッターは、1965年生まれでブーム世代ど真ん中のモータージャーナリスト、西川 淳さんです。
「302キロvs300キロ」で決まった人生、やがて2台とも購入!
かのブームは結果的に私の人生を決めてしまいました。小学5年生の頃に始まり、少年に「将来絶対フェラーリに乗るんだ」と決意させ、その最も近道として自動車メディア業界に潜り込むことを決断させたのですから。
というわけなので、私にとってのスーパーカーブームとは、もう「302km/h vs 300km/h」、フェラーリ「ベルリネッタボクサー(BB)」対ランボルギーニ「カウンタック」にトドメを刺すんです。はっきり言ってブームを牽引したのはカウンタックだったけれど、西川少年はそのあまりの“強さ”とキテレツさにアンチとなってしまい、フェラーリBBを夢に据えたわけです。アマノジャクですね。26歳で『カーセンサー』に入り、29歳で「365GT4BB」を買って、34歳のとき独立。フリーランスライターとして最初の連載がBBレストア記でした。
ところが。36歳のとき突然カウンタックに目覚めてしまった。否、それまで頑なに遠ざけてきたランボルギーニというブランドだったけれど、じつは大好きだったことに気づいたのです。好きなのに嫌いというのは子ども心によくある話で。なんだろ、にわかファンも含めてあまりに人気者すぎたから、避けてきたのかも知れません。
でもやっぱり好きだった。いてもたってもいられずカウンタックLP400を買うわけです。そしてこれまたレストア。2台のレストアプロジェクト、楽しかったなぁ。どこかで再公開できると面白いと思うのですが。
それはともかく、私のスーパーカーブームはだからずっと続いていた。でもって今でもスーパーカーに関する仕事が8割以上を占めているので、継続中なんでしょう。
ね、ブームが決めた人生って言えるでしょう?
今もスーパーカーブームは継続中!
ブームの頃の思い出ってじつはあんまり鮮明じゃない。写真も残ってない。ミニカーが少し。それって自分の中ではブームが終わっていなかったという証なんじゃないか、とも思っています。大切な記憶、というよりも、毎日が大事、というか。
もっというと「実車を見たい!」という欲求が昔はさほどなかった。奈良の田舎に住んでいると国道に行ったってボルボくらいしか走ってないわけです(本当は奈良にも「ミウラ」やカウンタックがいたということを後で知りました)。漫画のヒーローや怪獣の本物に直接会いたいとはなかなか思わないですよね。でもそれがかえってよかった。妄想は膨らみ、夢は頭の中で純粋培養された。だから大人になって買うという気持ちにもなれた。それが今もなお続いている。だから毎日スーパーカーのことを考え、表現し、乗って楽しむことができているんだと思います。
ボクにとってスーパーカーとは何か。形而下では“マルチシリンダーエンジン(6発、できれば8発以上)をリアミドに積む2シーターのGTスポーツカ””です。でも、そんなことはもうどうでも良くて、還暦も近くなってくると「もう一度、ギャフンと言わせてよ」という気分が強く、形而上でスーパーであることをアピールするクルマにもっと出会いたいなぁ、と思う毎日だったりするのです。