地味だけど滋味深いフィアットのベルリーナ
歴史的なレーシングカーやスーパーカー、第二次大戦前の超高級プレステージカーなど、煌びやかなクルマたちが取り引きされている国際オークション。そのかたわらでちょっと目には地味ながら、個性的なクルマたちも出品されている。2023年9月、RMサザビーズ欧州本社がサン・モリッツの5つ星ホテル「ケンピンスキー・グランドホテル・デ・バン」で開催した「St. Moritz 2023」オークションでは、1台の小さなフィアット製ベルリーナ(セダン)が姿を見せていた。
じつは歴史的ベストセラー!
今回の「St. Moritz 2023」オークションは、スイス・シュヴィーツ州フライエンバッハに本拠を置くプライベートミュージアム「イセリ・コレクション」から出品されたクラシック・フィアットが複数出品されたが、なかでもこの「124」は、地味さゆえにかえって注目に値する1台であった。
1966年に発表された124は、1960年代初頭からフィアットのミドルレンジを担ってきた「1300/1500」の後継モデル。フィアット・グループの創業者、ジョヴァンニ・アニェッリの孫で、この時期グループ総帥の座に就いた「アヴォカート」ことジャンニ・アニェッリが、初めて会長としてデビューさせた新型車だった。
フィアット124は、今や絶滅危惧種となりつつある「3BOXスタイル」のお手本のような、シンプル極まるノッチバックの4ドアベルリーナである。フロントに搭載され、後輪を駆動する1198ccの水冷直列4気筒OHVエンジンは、元フェラーリの主任技術者アウレリオ・ランプレーディ博士によって新設計されたもので、のちに「ランプレーディ・ユニット」と呼ばれる。ちなみにこのエンジンは、排気量アップやDOHC化、ターボ過給などを追加し、「フィアット131アバルト・ラリー」や「ランチア・デルタHFインテグラーレ」とともに、後世の世界ラリー選手権でも大活躍を果たすことになる。
また、このクラスの実用車としては「ルノー8」などとともに、早い時期から4輪ディスクブレーキが採用されたうえに、リアサスペンションもリジッドながらコイルスプリングが採用されるなど、当時のトレンドを先んじたテクノロジーも採用。軽量設計を特徴とするなど、地味ながらトータルバランスに優れた軽快な小型ファミリーカーとして大ヒットを博し、デビューイヤーとなる1967年には「ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。
さらに124の躍進はイタリアに留まることなく、スペインや旧ソビエト連邦、インド、トルコに大韓民国などの世界各国で大規模にライセンス生産ないしはノックダウン生産された。とくに、旧ソ連およびその後のロシアにおいて「ラーダ/VAZ-2101」の車名のもと生産された台数は膨大なものとなるなど、オリジナルの発売から46年後に相当する2012年まで生きながらえたフィアット124ファミリーの累計生産台数は、じつに1500万台を超えたとされている。
これは2100万台以上が生産されたフォルクスワーゲン「タイプ1」(ビートル)にこそ及ばなかったものの、フォード・モデルTに匹敵する生産台数だったのだ。
買い手にとってはお買い得な、約120万円で落札
イタリア本国版フィアット124では、1968年になると排気量を1438ccに拡大して70psとした「スペチアル(Special)」が追加された。この上級バージョンには丸型4灯ヘッドライトが与えられ、エクステリアでもスタンダードと印象を変えた。同時にトップモデルとして、スポルト系(クーペ/スパイダー)にはすでに搭載されていたDOHCエンジンをコンバートした「スペチアルT」も登場している。
今回「St. Moritz 2023」オークションに出品された124スペチアルは、1438ccの4気筒OHVエンジンに4速マニュアルギアボックスを組み合わせたモデル。この種の実用車の常として、古くなったのちにはあまり大切に取り扱われず、サビで朽ちてしまった車両も少なくない124ベルリーナの中にあって、オークションの公式カタログ写真を見る限りでは例外的に美しいコンディションを保っているようだ。
ただしこのカタログでは、車両状態および来歴に関する記述は皆無に等しい状況なのだが、新車時のオリジナル、ないしは純正色でレストアしたと思われるダークブルーのボディ、そしてブラウンのビニールレザー内装はともに素晴らしい色合わせとコンディション。フィアット社オフィシャルのサービスステーション登録簿、純正のスペアホイールなども添付されての出品になったとのことである。
RMサザビーズ欧州本社は、出品者であるイセリ・コレクションとの協議の結果、1万2000~1万4000スイスフランという、かなり控えめなエスティメート(推定落札価格)を設定。さらにこの出品については、比較的安価なクルマでは定石となる「Offered Without Reserve(最低落札価格なし)」で行うことを決定した。
この「リザーヴなし」という出品スタイルは、金額を問わず確実に落札されることから会場の雰囲気が盛り上がり、ビッド(入札)が進むこともあるのがメリット。しかしそのいっぽうで、たとえビッドが出品者の希望に達するまで伸びなくても、落札されてしまうという落とし穴もある。
そして実際の競売では、リザーヴなしが裏目に出た7425スイスフラン、日本円に換算すれば約120万円という、出品サイドの期待を大幅に下回るプライスで小槌が落とされることになってしまった。
同じフィアット124でも、21世紀にマツダND「ロードスターをベース」とするリバイバル版がフィアット/アバルト両ブランド登場した「スポルトスパイダー」や、せめて「スポルト(クーペ)」版であればもう少し高くなったのかもしれないが、クラシックカー/コレクターズカー市場における4ドアセダンは、どうしても安価となってしまうのが実情。しかも丸目2灯のメタル製メッキグリルを持つ初期型ではなく、丸型4灯ヘッドライトにちょっと不愛想な黒い樹脂製ラジエーターグリルを装備した後期型であること。さらにいうなら、クーペやスパイダーと共通となるランプレーディ・ツインカムを搭載した「スペチアルT」でもなく、もっとも大人しいOHV搭載モデルであることも相まって、このような厳しい結果となってしまったといわざるを得ない。
とはいえ、この種の一見冴えない実用車こそが熱愛の対象であるエンスージアストが確実に存在するのは間違いのないところで、そんな方々にとっては現況の「買い手市場」は、決して悪いものでもないのだろう。