心に残っているフィアットとの思い出
自動車メディアに長く携わっている業界関係者に、心に残っているクルマの思い出を語ってもらいました。今回は、自動車ライターおよび翻訳者として活動中の武田公実さんです。イタリアと関係の深い武田さんが最初に買ったクルマはフィアット「X1/9 1500」。そのストーリーをみていきましょう。
エンスー的自動車趣味創成期にあった1980年代
今回「これまでもっとも印象に残るフィアットないしはアバルト」というテーマを頂戴したが、筆者にとってのイチバンはなんといってもフィアットX1/9。大学時代に自動車運転免許を取得して、アルバイトで得たなけなしの給料をつぎ込んで手に入れた、人生初の愛車である。
最初は、とにかく2シーターのライトウェイトスポーツカーが欲しいと思っていた。日本におけるエンスー的自動車趣味創成期にあった当時の日本で、生意気盛りの筆者はまだ自分のクルマも持ってないのに、いっぱしのエンスージアスト気取りだった。
とはいえ、しょせん学生がバイト代を貯めて買えるスポーツカーなど選択肢は限られていたものの、そこはやはり「にわかエンスー」である。やれ「フェアレディZはGTカー的」だの「トヨタMR2は走り屋御用達っぼい」だの、さまざまな御託を並べたあげく、イギリス製のMG-BかMGミジェット、そしてフィアットX1/9が候補に挙がったのだが、筆者は小学生時代にスーパーカープームの洗礼を受けた世代でもあったことから、X1/9に照準を絞ることにした。
こうして1年生、19歳の夏に目標を定め、それから約1年半はひたすらアルバイトに明け暮れる日々。ようやく所定の購入資金が貯まったのは、3年となっていた1988年の春、21歳の時である。忘れもしない、今ではフォルクスワーゲンの正規販売店となっている千歳船橋の某エンスー向けカーショップで出会ったのが、朱色に近いレッドの9年落ち、1979年型のフィアットX1/9 1500だった。
リニア感のあるブレーキフィール
そして車両代金109万円、諸経費込みでたしか140万円くらいを支払ってから数週間後、ついにわがものとなったX1/9の地を這うようなコックピットに収まり、ショップから渋滞気味の環八に走り出す日が訪れた。ところが、晴れて納車となった次の瞬間から「とんでもないものを買ってしまった……?」、という、後悔にも近い感情にさいなまれてしまうことになる。自分名義となったX1/9に乗ることで、夢から醒めたかのごとく現実に立ち返ったのだろう。
実際、購入して間もなく後輪のハブベアリングから異音が発生し、交換が必要となった。そのほか、常にオーバーヒート気味で、発電量も不足気味。パーコレーションを起こして停まってしまうことも頻繁にあった。つまりは、二十歳そこそこのバイト学生が初めての愛車として乗るには、いささか荷の重いシロモノだったのかもしれない。
しかし、それが若気の至りというものなのか、ちょっと壊れることさえ「エンスーの勲章」とばかりに自慢の対象とするような、ちょっと面倒くさいタイプのカーマニアヘと成長(?)していったのだ。
もちろん、走り屋を自認する当時のクルマ仲問たちがお節介にも指摘してきたように、X1/9は速いクルマなどではなかった。ミッドシップに横置きされた直列4気筒SOHCエンジンは、前期型では1290cc。著者の乗っていたX1/9 1500でも1498ccに過ぎない。そして、排ガス規制がすべてのクルマのパワーを削いでいた時代ゆえに、往年のフィアット正規代理店「東邦モータース」によって正規輸人された日本仕様では、66psという心もとないものだった。そこに、ライトウェイトスポーツカーと呼ぶには重めの車重も相まって、動力性能はまるっきり大したことなかったのだ。だから、国産スポーツモデルに乗る友人たちとのドライブは、先行車を見失わないよう常に気張って走る必要があった。
でも、ミッドシップゆえのシャープな回頭性とハンドリング。ノンサーボの4輪デイスクブレーキがもたらす、リニア感のあるブレーキフィール。それらのすべてが、ホンモノのスポーツカーであることを主張してきた。
このクルマが原点
そして、なぜか納車時からトランク内にオマケとして収められていた、東京・高島平のフィアット&アバルト・スペシャリスト「QUICK」社製の4本出しマフラーを、同社に持ち込みで装着してもらえば、少なくともカッコとサウンドだけは小さなイタリアンスーパーカー。デタッチャプル式のハードトップを外して走る爽快感は、ほかのクルマも知らないクセして「最高!」と思わせてくれた。
でも今になって振り返れば、その時の思いこみはあながち問違ってはいなかったのではないかとも実感している。卒業後、かつてのフェラーリ日本総代狸店「コーンズ&カンパニー・リミテッド」に就職し、初めてフェラーリのステアリングを握る機会を与えられたときにも、X1/9での経験があったから、特に戸惑うことなく運転することができた。
アバルトなどイタリア車ばかりを乗り継いだのも、このX1/9の苦く甘い記憶があってのこと。そして35年後となった現在でも、生産国やカテゴリーを問わず、あらゆる種類のクラシックカーを操縦するためのスキルを得ることができた原点は、このクルマにあったとも言えるだろう。
人生初の愛車であるフィアットX1/9で得られた感覚は、これからも生涯にわたって箪者の中に残り続けるに違いない。そう碓信しているのである。