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高校男児をズキュンと射抜いたフィアット「124スパイダー」! 青山学院前とアグネス・ラムの呪縛とは【忘れじの車】

僕らの淡い青春の小さな傷跡

自動車メディアに長く携わっている業界関係者に、心に残っているクルマの思い出を語ってもらいました。今回は、レーシングドライバーおよびライターとして活動中の木下隆之さんに高校生3年生の当時のお話を振り返ってもらいました。

どっぷりとクルマに浸った高校3年生

東京都下の多摩地区に住んでいた僕らにとって環状8号線は精神的な大きな壁となっていた。幸運にも誕生日が5月だった僕は、高校3年生に進学した春に自動車免許を取得していた。さらに幸運なことには、学校へのクルマ通学が許されていたこともあって、高校生の分際でどっぷりとクルマに浸った生活を送っていたのだ。

帰宅するや否や、宿題のための教科書や参考書を玄関先に放り投げ、エンジンをブンと響かせる。友人をピックアップするためにそれぞれの自宅を巡る。自宅は、新宿と奥多摩湖を結ぶバイパス沿いにあったから、放課後のドライブは決まって、山深い西多摩の林道だった。奥多摩湖で休憩、クルマを眺めたり磨いたり、特に生産性のない無駄話で時間をつぶすのが常だった。だがそれがとても楽しいかけがえのない時間になった。

時には都内を目指した。とはいうものの、東に向かって環状8号線を跨ぐや否や、緊張感が増した。立体交差があり、2車線が3車線に数を増やした。左折するつもりで左車線から潜ったら、地下で車線が交差しており、右側に顔を出した……ということがたびたびあり、混乱することが少なくなかったのだ。

「都内はわからん」
「地図は持ってないし」

それでも、右だ左だとやんややんややりながら迷ったあげく、青山や六本木などをおのぼりさん丸出しで巡ることに成功したものの、緊張感はさらに増幅して休憩。運転が楽しくてここまで巡ってきたのに、都内の雰囲気に気圧されて、がっくりと疲労してしまったのだ。

「カンパチを超えると疲れるわな」

そういって、公園の水道水をガブガブ。

心臓を射抜かれたような衝撃

青山学院大学の前に停まっていたフィアット「124スパイダー」には、心臓を射抜かれたような衝撃を受けた。当時の僕らとさして歳の離れていないで聡明な青年が、ルーフを開け放ったまま校門に横付けしており、そこにミス青山ではないかとおぼしき楚々とした超絶美人の女学生を助手席にエスコート、颯爽と走り去っていったのである。

「あんな金持ちの学生、いるんだなぁ」
「あれ、フィアットのスパイダーだろ?」
「映画の撮影じゃね〜の」

僕ら田舎の貧乏高校生にとって、信じがたい幻のような光景だったのだ。

景色に埋没することのない存在感

東京ではセレブ学生が、ゴルフやBMWを転がしているって噂は耳にしていた。ピットイン青山とかいうお洒落なパーツショップがあり、そこでエンブレムやステッカーを買ってモディファイするのが流行っているらしく、ゴルフGTIやBMW320iにオリジナリティを盛り込んでいく。赤いゴルフGTI、濃紺のBMW320i。憧れのキャンパスライフの象徴である。だが、そんな期待の中に僕らの目に颯爽と飛び込んできた124スパイダーは、ワンランク上の優雅さをたたえていたのだ。

前後にスーッと長く伸びたボディは、それでもまったく間伸びせずに均整のとれたシルエットだった。どうだと言わんばかりの押し出しはなく、どこか控えめであり、それでいて景色に埋没することのない存在感をたたえていた。

そのデザインはピニンファリーナの筆によるものだった。ベルトーネ、ミケロッティ、ジウジアーロ、その中でもピニンファリーナの持つ響きは突出していた。その名がまた、田舎者の貧乏高校生の感性をズキュンと射抜いたのである。

124スパイダーからの呪縛から逃られない

べースはあった。ハワイ在住のモデル「アグネス・ラム」は男子高校生のセックスシンボルとして一世を風靡していた。週刊プレイーボーイや平凡パンチの表紙を飾ることのない月はないほど彼女は男子高校生を刺激した。その彼女がワイキキで転がすマイカーがフォルクスワーゲン「カルマンギア」だった。今で言う「ラム推し」の僕は特に、あの手のコンパクトオープンカーに魅せられていたのだ。同様にアルファ ロメオ「スパイダー」にも興味が注がれていたのだ。

だが、そこに現れた124スパイダーは、そこはかとない遠慮があり、それが落ち着きの源であり、楚々とした雰囲気の源流だった。田舎者の僕らのいやらしい熱い視線をいなすような上品さにやられてしまったのである。

あの時の、刺激は今でも忘れられない。確か帰りの道で僕らはほとんど無言だったように記憶している。124スパイダーにやられてしまったあの瞬間は、僕らの淡い青春の小さな傷跡なのだ。

ようやく口を開くことができたのは、環状8号線を超えて多摩地区に足を踏み入れてからである。あの時の124スパイダーのオーラは、今でも環状8号線を超え、時空を超え、今でも僕に寄り添っているような気がするのだ。いつまでも124スパイダーからの呪縛から逃れられないような気がする。これが憧れというものなのだろう。

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