「チンクじゃない方」のフィアットも、人気が拡大中
日本を含む全世界で大人気を博しているフィアットの2代目「ヌォーヴァ500」系が、近年クラシックカー市場においても高値安定状態となっているのにしたがって、その「姉」にあたる「600」の市場価格もじりじりと上昇。20世紀末ごろのごとく、イタリアの片田舎のジャンクヤードに放置されるような扱いは皆無に等しい状況となっているという。そんな状況にある今、RMサザビーズ欧州本社がサン・モリッツの5つ星ホテル「ケンピンスキー・グランドホテル・デ・バン」にて2023年9月中旬に開催した「St. Moritz 2023」オークションでは、きわめてオリジナル性の高いフィアット600が出品されることになった。
イタリアの国民車的存在だったセイチェントとは?
1955年のジュネーヴ・ショーにてデビューしたフィアット600、イタリア人がいうところの「セイチェント」は、第二次大戦前からイタリアのミニマムトランスポーターの役割を一身で担ってきた「トポリーノ」こと500シリーズの後継車。トポリーノの成功を受けて、戦後間もなくフィアット技術陣のトップの地位に就き、のちに自動車史上屈指の巨匠と称されることになるダンテ・ジアコーザ博士と彼の設計チームが「ティーポ100」のコードナンバーとともに開発した、フィアットの新ベーシックカーである。
ジアコーザ博士は、開発当初からFWDを真剣に検討していたといわれるが、当時の等速ジョイントが未だ熟成不足だったこと、あるいはコストが嵩むことなどの理由でこの時には見送られ、RRが採用されることになる。搭載されるエンジンは、このクルマのために新たに設計された水冷直列4気筒OHV 3ベアリング。633ccから24.5psを発生した。
いっぽうフィアットの量産乗用車では初となったモノコックボディは、「カロッツェリア・ギア」の共同オーナーである名スタイリスト、マリオ・フェリーチェ・ボアーノの監修のもと、ジアコーザ博士を含むフィアット社内デザインチームが完成させたもの。大衆車ながら美しいラインで構成され、昨今ではイタリア工業デザイン史上の一大傑作ともいわれているようだ。
ただし、発売当初は商業的に苦戦したのも事実である。それでも、それまで戦後復興を支える足として活躍していた「キャビンスクーター」を高値で下取るなどの販売政策によって、次第にイタリアから欧州のマーケットへと浸透。さらに「ムルティプラ」のような魅力的なバリエーション追加の効果もあって、ようやく人気が爆発することになる。
またスペインの「セアト」、西ドイツ(当時)の「NSUネッカー」など、ボディ形状やエンジンを替えて世界各国でライセンス生産されたばかりでなく、アバルトやジャンニーニなどのレーシングベースとしても大いに活躍したことも特筆すべきトピックだろう。
初期モデルのセイチェントは、767cc/28.5psまでスープアップした「600D」に発展する1960年まで生産が継続される。そして600Dも1970年代まで生きながらえるとともに、最盛期にはイタリア国内で登録される新車の約4割がセイチェントとその派出モデルで占められるなど、イタリア人にとっての国民車的な存在だったのだ。
だから、現在の国際クラシックカーマーケットにおいても、セイチェントの売り物なんて履いて捨てるくらいにある……、なんて時代もたしかにあったのだが、どうやら冒頭でも述べたように、今世紀に入って市況はかなり変容しているようなのだ。
潮目が変わった……? アバルト並みの高価格で落札!
2023年の「St. Moritz」オークションでは、スイス・シュヴィーツ州フライエンバッハに本拠を置く「イセリ・コレクション」から出品された多くのクラシック・フィアットたちが、華やかな高級クラシックカーたちの中にあって異彩を放っていた。
ここでご紹介する「セイチェント」ことフィアット600について、RMサザビーズ欧州本社が公開している公式WEBオークションカタログには、これまでの来歴については記されていないながらも、1959年12月31日にフィアットの故郷トリノにて初登録された個体であることだけは判明しているようだ。
すなわち「D」のつかない初期モデルの600で、直4 OHVエンジンの総排気量は633ccの時代。4速マニュアルのトランスミッションとともに、リアエンドに配置される。
またドアが前開きであるのはもちろん、最初期型と同じくヘッドライトは小径ながら、そのベゼルはメッキされた立派な作りとなっていること、あるいはライトグリーンのボディカラーや、インテリアが2トーン仕立てとなっていることも、600Dに移行する直前の生産モデルであることを示すディテールとして正確に保持されている。
もちろん60年を超える車齢を思えば、レストアが施された経歴があるのは当たり前のことではあるものの、いずれの時期のオーナーが行った修復であるかは明らかになっていないようだ。
くわえて今回のオークション出品に際しては、日本のJAFに相当する「アウトモービレ・クラブ・ディタリア(ACI)」発行の「エストラット・クロノロジコ(車両年譜)」と、オリジナルの「カルタ・ディ・チルコラツィオーネ(車両登録証明書)」が添付されていたとのことである。
この日の競売に向けて、RMサザビーズ欧州本社は出品者であるイセリ・コレクションと協議した結果、1万2000スイスフラン~1万4000スイスフランという、アバルトでもないセイチェントとしてはきわめて順当なエスティメート(推定落札価格)を設定。さらに今回の出品を「Offered Without Reserve(最低落札価格なし)」で行うことを決定した。
そして迎えたオークションでは、「最低落札価格なし」の賭けがみごとにビンゴ。競りにさえ勝てば確実にゲットできることから会場の空気が盛り上がり、終わってみればエスティメート上限を2倍以上も上回る3万4500スイスフラン、日本円に換算すれば約570万円という、ひと頃であればアバルト版セイチェントにも手の届くような高価格で落札されるに至ったのだ。
こうしてみると、前世紀末ごろまでのクラシックカー市場ではチンクエチェントの陰に隠れていた感もあったセイチェントながら、ようやくその歴史的な価値と魅力にスポットライトが当てられるようになったようにも感じられる。
いずれにせよ、チンクエチェントと同じく、イタリアをはじめとする欧州のスペシャリストではパーツのストックも豊富なので、これからも保有しやすいイタリアンクラシックの代表格といえるだろう。