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【最強のハコ車】メルセデス・ベンツ「190E 2.5 16 Evo.II DTM」のホンモノが富士を走った! DTM時代のアイドルとは?

フロントスポイラーはバンパースポイラーにフラットに突き出したチンスポイラーを追加。大幅なダウンフォースを生むものとして、テンションロッドも追加されている

ボディの空力パーツには大きな力が注がれていた

2023年10月最後の週末に富士スピードウェイで行われた「箱車の祭典2023」では、多くのツーリングレースカーが集まり国際コースを元気に走り回っていました。その1台1台を紹介するコラム。第1回目の今回は、1990~1991年にDTMのチャンピオンとなったメルセデスベンツ「190E 2.5 16 Evo.II DTM」を紹介します。

「最強のハコ車レース」を目指したDTMの第1期に大活躍

メルセデス・ベンツ190E 2.5 16 Evo.II DTMが活躍する舞台となったのは「DTM」と呼ばれるドイツのツーリングカーレースで、日本国内でもレースファンやツーリングカー・マニアに人気のレースシリーズとなっています。

しかしその実態には大きな紆余曲折があり、1984年から1996年までの第1期と、2000年からの第2期に大きく分かれています。そして第1期の1993年からFIAのクラス1規定を導入し、日本で開催されているSUPER GTとコラボしていた第2期の一時期には「最強のハコ車レース」として世界中から大きく注目を浴びていました。

その後現在では少し沈静化し、FIA-GT3とFIA-GT4によるレースシリーズとなっています。なお、第1期のDTMは「Deutsche Tourenwagen Meisterschaft」の略称で第2期のDTMは「Deutsche Tourenwagen Masters」の略称ですが、いずれもドイツ・ツーリングカー選手権と訳されています。

クラス1規定が導入される前、1984年から1992年までのDTMは1980年代から世界中でツーリングカーレースの主流となっていたグループA規定で行われていました。当初は1600cc以下、1601cc~2500cc、そして2501cc以上の3クラスが混走して戦うもので、普通に考えれば排気量の大きな2501cc以上のクラス、例えばBMW「635CSi」やローバー「ビテス」、あるいはボルボ「240ターボ」やアウディ「V8クワトロ」といったクルマが優勝を飾るのですが、時には1601cc~2500ccクラスのBMW「M3」が勝つこともありました。

こうしたグループA時代のDTMにデビューした「190E」は、当初は190E 2.3 16で戦っていましたが、190E 2.5 16 Evo、そして1990年シーズンの中盤から190E 2.5 16 Evo.IIを投入すると一気にポテンシャルをアップしてトップコンテンダーの仲間入りを果たします。そして1991年にはクラウス・ルドヴィクがドライバーランキングで2位に入ると同時にこのシーズンから制定されたマニュファクチャラータイトルを手に入れました。

さらに翌1992年にはマニュファクチャラータイトルで連覇を果たすとともに、ルドヴィクがチャンピオンに輝き、見事ダブルタイトルを獲得。ドライバーランキングトップ3(ルドヴィク、クッルト・シーム、ベルント・シュナイダー)を独占。グループAのラストシーズンに有終の美を飾っています。

メルセデス・ベンツの歴史的傑作なコンパクトと評価の高いW201

190E 2.5 16 Evo.II DTMは、メルセデス・ベンツのコンパクトレンジを受け持っていた「W123」(Eクラスの前身)の弟分として1982年に登場した「W201」(車名としては190E)がベースとなっていました。W201には当初、直列4気筒2Lシングルカムのみがラインアップされていました。やがて1.8Lや2.3L、2.6Lとエンジンのバリエーションが増えていきます。

そして翌1983年には新たに直列4気筒2.3Lのツインカム・ユニットが追加設定されています。これは既存の2.3Lユニットのブロックに、レーシングエンジンの開発で知られた英国コスワース社で開発したツインカム16バルブヘッドを組み付けたもので、車名も190E 2.3-16と名付けられていましたが、やがて1988年には2.5Lに排気量が引き上げられた190E 2.5-16へと進化しています。

グループAレースに参戦するためにはグループAとしてのホモロゲーション(車両公認)を受けることが必要ですが、1989年に190E 2.5-16をベースに190E 2.5-16エボリューション、通称「190E 2.5-16 Evo. I」が登場し500台を生産してホモロゲーションを獲得しました。

エンジンがチューニングアップされていましたが外観的には、装着した太いタイヤを収めるためにオーバーフェンダーが装着された程度でベースモデルとの差は大きくありませんでした。レースでも苦戦が続いたため、1990年にはさらに進化させた190E 2.5-16 Evo. IIを開発し、やはり500台生産の規定をクリアして登場しています。

富士スピードウェイの「箱車の祭典2023」に登場した190Eは、そんな190E 2.5-16 Evo. IIの1台で、AMG Motorenbau GmbH、つまりはメルセデス・ベンツのワークスチームから参戦したクラウス・ルドヴィクが1990年の第13戦、ニュルブルクリンクに持ち込んだ車両そのもの。黒地にシルバーのストライプとKonig Pilsener(ケーニッヒ・ピルスナー。ドイツのビール会社)のロゴが精悍さを際立たせるカラーリングが大きな特徴となっている1台です。

このカラーリングで目立たなくなっていますがボディの空力パーツには大きな力が注がれています。まずはオーバーフェンダー。Evo. Iでは通常の、ホイールアーチに沿った形状でしたが、このEvo. IIではフロントフェンダーはバンパーからフロントドア直前までを覆うエアロキットとなり、リアフェンダーもリアドアからリアバンパーと一体になってボディ後端までを覆うエアロキットとなっています。

また前後のスポイラーも、フロントは通常のバンパースポイラーにフラットに突き出したチンスポイラーが追加され、リアもトランクに載せられたアーチ状の大型リアウイングに加えてトランクリッド後端に整流版を追加するなど、空力効果を狙ったものとなっています。エンジンパワーに関してはEvo. I の230psからEvo. IIのレース仕様では最終的に370ps以上を絞り出したと伝えられています。

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