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歳の差21才! 平成ボーイが本気で惚れた旧車は日産「セドリックバン」でした。当時のエンケイマグホイールをセット!

縦型が強調されるグリルやヘッドライト周辺の意匠など、旧車の魅力がふんだんに詰め込まれている

21歳も年上の相棒

1973年生まれの日産「セドリックバン」に乗っているオーナーの畠中さんは、1994年生まれだという。このクルマよりも21歳も若いオーナーに詳しくお話を伺ってみたので紹介しよう。

生産終了から何十年後かに注目される旧車ライトバン

4ドアセダン、2ドアクーペ、そしてライトバン。ひとつの車種で、これだけの幅広いボディバリエーションが用意されるのは、昭和の時代では当たり前のことだった。しかも、ライトバンは働くクルマの代名詞。つまり、酷使された車両が多かったため、現存する個体が極端に少ないというのが実情。それでも、この日産「セドリックバン」のオーナー畠中進之介さんのように、平成男子が憧れるカッコイイクルマのひとつのジャンルとして、旧車バンは大人気なのだ。

バンならではのボディデザインが魅力的

この日産「セドリックバン」は1973年生まれ。一方のオーナー畠中さんは、1994年生まれ。セドリックバンにしてみたら、この世に誕生し元気に働きまわっていた時代を振り返ると、21歳も若いオーナーと出会ったことで、2023年でもまだ現役で愛されるクルマとして生き永らえるなんて、思いもしなかったことだろう。

「知り合いの鈑金屋さんが載っていた310型サニーバンを見たときに、かっこいい! って思ったのがきっかけでした。それから、自分も同じサニーに乗りたいと思い始めたのです」

その出会いは、現在29歳の畠中さんが、まだ専門学校の1年生の頃だったそう。そのサニー(310型)のオーナーは、福岡県鞍手郡にお店を構える「b.p.gunji(ビー・ピー・グンジ)」を営んでおり、

「見た目はちょっと車高が落ちていてホイールが変わっているだけでしたが、レース用のエンジンが積んであって、足まわりも変更してあって。すごくカッコよかった!」

というファーストインパクトが、その後の畠中さんのカーライフの道標となったのだった。

気になるサニーを差し置いて「本気で欲しい!」と思えた愛車との出会い

「もともとはサニーを探していたんです。b.p.gunjiさんのクルマがカッコよかったので。個人的にはGX5のクーペなども気になっていたのですが、その当時はすでに車両価格が高くなっていましたね。しかも、鉄板が薄いから下まわりから腐ってくるよ、なんていう噂も聞かされて。それで、若い時分にはさすがに所有するのは厳しいなと諦めていたのです」

ところが、新しい出会いは身近な所でやって来た。旧車探しで知り合った福岡県糟屋郡にあるお店「ハーフィーズ」で、このセドリックバンとご対面。そこで一気に火が点き、ローン用紙を記入。問題なく審査も通ったことで、晴れてこの車両のオーナーに。それが今から約5年前。畠中さんが24歳の頃だった。

「人生のファーストカーは、知り合いから譲ってもらったクリッパーのバンでした。その後の足グルマとして、モコを手に入れたのですが、それとほぼ同じタイミングでこのセドリックバンも買ったんです(笑)」

壊れても楽しいと思えるのが旧車生活

入手した当初の愛車は、車高は今と同じでGXグレードの純正ホイールにホワイトリボンタイヤが装着されている状態だった。その後、ハーフィーズの社長さんのご厚意で、この当時物のエンケイ製マグホイールを入手。10mmのスペーサーを使用しつつ、ロングハブボルトへと打ち変えたことで、フェンダーとの絶妙なバランス感を獲得している。

「古いクルマなのでブレーキのマスターバックの中のダイヤフラムが劣化して、ブレーキが固着しちゃったり。オルタネーターのパンクもあり、今は交流発電に変えたりとか。古いクルマなのでトラブルはいろいろと経験しました。でも、それも含めて楽しんでいます!」

畠中さんの言葉を借りると、「窓から見える景色が違う」のだそうだ。運転席に座る自分から見て流れる景色はもちろんだが、見られているという感覚。一般的なクルマではないため、いろいろな人がこのセドリックバンに興味を示してくれる。それ以外にも、この時代の車両ならではの排気ガスや様々な匂い。そういった要素ひとつひとつが、畠中さんのカーライフをより満足させてくれているのだと言う。

「クルマ好きという接点をきっかけにして、年齢も職種も関係なく、多くの人と出会えたことが、一番の違いですね。このクルマに乗らなかったら、そういう経験はできなかったと思います!」

昭和の旧車は、平成男子の心を豊かにしてくれる。そこには、お値段以上の価値が間違いなく存在しているのだ。

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