大らかさがキャラのごく普通の小型乗用車だった
クライスラー ネオン。記事としてこういう書き方はどうかと思うし、筆者自身の記憶力の問題もおおいに関係したことでもあるのだが、正直なところ非常に印象の薄いクルマだ。もちろんクルマそのものの登場時のインパクトは決して小さくなかった。
当時のカローラ、サニーの1.5L車並みの価格
前後してGMから登場したサターンと同じく、アメリカ国内をはじめ各国市場で日本車キラーの責務を背負って投入されたモデルである。全長4370mm×全幅1720mm×全高1370mmのコンパクトなボディサイズは、それがアメリカ車だとは俄には信じられないような、まさしく当時の日本のミドルクラスセダンに匹敵するほどの小振りさで、そのこと自体は注目に値した。だが、セールス的には芳しい成績を残すことはできず、日本市場では初代が1996〜1999年、2代目も2000〜2001年で販売を終了。儚くも姿を消したのだった。
1979年12月1日に発売されたYUMINGの9作目のアルバムのタイトルに「悲しいほどお天気」というのがあ
ただしアメリカ市場では9000ドルを切る(当時の換算で80万円程度)価格設定で人気を博し、レンタカーなどでもおなじみの車種にもなっていた。ちなみに1996年6月に導入された最初のネオンのラインアップのうちのベースモデルは、5速MTながら2Lエンジンを積み、何と129.9万円の価格設定で、これは当時のカローラ、サニーの1.5L車並み、あるいはグレードによっては安いくらいだった。
ところでアメリカ生産(メキシコでも生産された)のネオンというクルマ、当時のクライスラーとしてはまさに新しいコンセプトのもとに生まれたクルマだった。型破りといっていいコンパクトなボディサイズだったのもそのひとつ。そのうえで、“エッグデザイン”と呼んだ丸型ヘッドライトを配置したスラントノーズを採用したフロントまわりをはじめ、驚くほどシンプルな造形だった点も印象的だった。
ただし実はそれは、同世代のクライスラーのセダンの流儀にも則ったものでもあった。日本のホンダは今でもMM思想を謳うが、当時のクライスラーもカタログでMM論理(Maximum space for man/Minimum space for machine)と謳い、フロントガラスを思いきり前進させたキャブフォワードのデザインをとっており、当時、アメリカの街中でもよく見かけた同じクライスラー・ディビジョンの上級モデル、ストラトス、ビジョンといった4ドアセダンと相通じるフォルムに仕上げられていた。その意味では立派なクライスラー製4ドアセダンの一員であることのアピールも忘れなかったのである。
電動格納式リモコンドアミラーはグレードを問わず標準装備だった
一方で装備面は、標準装備されるのは必要にして十分といったレベル。たとえばパワーウインドウはカタログの装備表にも(前席)とあるように、後席は省かれていたくらい。反対に電動格納式リモコンドアミラーはグレードを問わず標準装備だったりと、このあたりはいかにも日本車キラーらしい、泣ける配慮だったともいえる。ほかにイルミネーテッド・バニティミラー、チルトステアリング、カップホルダー、パワードアロック、トランクオープナーといった機能は、アメリカ市場でもユーザーが欲するものだっただろうから、このネオンでも標準装備とされていた。
マニュアルエアコンディショナー、CDチェンジャー対応型カーオーディオ、6:4分割可倒式リアシートなどもグレードを問わず全車に与えられていた。
肝心の走りだが、冒頭でも記したとおり試乗はしたはずだが、あろうことかその記憶が薄く、記録もないので、残念ながらここで胸を張ってお伝えできないことをどうかご勘弁いただきたい。けれど朧(おぼろ)げながらの印象でいうと、2Lエンジン(134ps/17.8kgm)+3速ATによる動力性能は決して線が細くはない……というよりむしろ骨太なほどで、アクセルを踏み込めばザーッと力強く加速してくれた……ような気がする。乗り心地もサイズの大きなアメリカ車とは明らかに違う、軽快さと大らかさを併せ持ったような普通の乗用車……そんなところだったと思う。
ちなみに前述のとおり、一瞬で市場から姿を消したものの2代目も登場。手元にカタログが残っていることからも、日本市場にも導入された。この2代目はダイムラー・クライスラー時代、メルセデス・ベンツとの協業が背景にあった頃のクルマで、モノとして、クルマそのもののクオリティが大きく向上したと当時は評価された。話は前後するが、ネオン(初代)と共通のプラットフォームから生まれたのが、あのPTクルーザーだった。