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カリフォルニア「最初の街」かつ「最後の街」のニードルスは、警官のノリの軽さも西海岸スタイルでした【ルート66旅_51】

愛想よく撮影に応じてくれるどころか、パトカーにまで乗せてくれた若い警官。こういったいい意味でのユルさは日本じゃあり得ない

コロラド川を渡りカリフォルニア州に突入

広大なアメリカを東西2347マイル(3755km)にわたって結ぶ旧国道「ルート66」をこれまで5回往復した経験をもつ筆者が、ルート66の魅力を紹介しながらバーチャル・トリップへご案内。イリノイ州シカゴから西に向かい、ついに最西端のカリフォルニア州に突入しました。旅人を最初に出迎えてくれるニードルスの街を紹介します。

最初の街ニードルスで疲れた身体を癒す

アメリカ西部の発展に大きく寄与し「マザー・ロード」と呼ばれ愛されるいっぽう、一部の人々にとっては故郷を捨て見知らぬ土地を目指す逃亡の道でもあったルート66。彼らが楽園と信じて疑わなかったのが、太平洋に面したカリフォルニア州だ。ブラック・マウンテンをやっとの思いで越え、コロラド川を渡り州境のサインが目に入る。昔の旅人にとって「カリフォルニアに着いた」という事実は、この上ない安堵感があったであろうことは想像に難くない。

そして彼らの多くはカリフォルニア州で最初の街、ニードルスに宿を取り身体を休めたのだろう。由来は街から一望できるアリゾナ州の尖塔群、ザ・ニードルにちなんで命名されたと聞いた。

ニードルスの発足は鉄道が建設されていた最中の1883年、当初は作業員に向けた簡素な集落だったとか。しかし鉄道が完成すると交通の要衝となり、またルート66が通ったことで著しく発展する。近年の人口は約5000人と決して多くないけれど、今もアリゾナから州境を越えて最初の街、そしてカリフォルニア州の最後の街として、旅人たちに重宝されているのは変わらない。

さらに前回で紹介したネバダ州ラフリンと同様、コロラド川に面するリゾート地としての顔を持つ。私の旅にも欠かすことができない中継地で、トータルで何泊したか数え切れないほどだ。

栄えているのはフリーウェイ出入口の周辺

歴史の授業で習ったニューディール政策の一環、フーバー・ダムを覚えている人も多いと思う。かつてニードルスはコロラド川の氾濫に悩まされており、橋が破壊されるなどの被害を何度も被っていたという。1936年に完成のフーバー・ダムもルート66と同じかそれ以上に、ニードルスの繁栄や旅の安全に貢献したことは間違いない。

アリゾナとの州境をインターステートでしか越えられないのは前々回に書いたとおりで、さらに10分ほど走り148番の出口で下りればお馴染みルート66のサインが見えてくる。余談だがニードルスを含むカリフォルニア州のモハヴェ砂漠は、全州でもっともルート66のロードサインが大きく分かりやすい。

砂漠を貫くルート66をさらに進むと、ニードルスの中心部にたどり着く。ただしガスステーションや全米チェーン系のモーテルはフリーウェイ出入口に集中しており、かつて栄えていたダウンタウンは廃墟や空き店舗が目立ち交通量もまばらといった状況だ。もっともインターステートに迂回されゴーストタウン化した街も少なくないと考えれば、中心部が移っただけで今も多くの旅人が訪れるニードルスはまだ恵まれているのだろう。

ハーレー乗りたちにも親切なノリのいい警察官

ここで個人的な思い出をいくつか。ひとつ目は西から東へルート66を全線走破するべく走り出して4日後、手前のモハヴェ砂漠でレンタカーにタイヤ空気圧の警告灯が点灯した。ランフラットタイヤなので今すぐ走れなくなるわけじゃないが、次の街ニードルスで修理もしくは交換をしなきゃいけない。

すぐレンタカー会社に電話したところオペレーターがランフラットタイヤを分かっておらず、説明しても「いま空気が抜けていないならセンサーの故障だから気にするな」と繰り返す。らちが明かないので相手の名前を確認したうえ「明日は絶対に走れなくなるのでこちらで交換する。費用を立て替えて後で請求するけど大丈夫か」と聞けば、まったく信用していない様子で「OK!」と。

翌朝には案の定、フロント右のタイヤがペチャンコになっており、モーテルで近くのタイヤショップを紹介してもらいレッカー移動。ほら見ろと証拠の写真と領収書をレンタカー会社に送ったら、返却のとき丁重なお詫びと一緒に結構な割引までしてもらえた。

もうひとつはハーレーのオーナーたちに帯同して撮影したとき。宿をチェックアウトし駐車場で準備をしていると、若い警官が乗った定期巡回のパトカーがやって来た。フランクに「どこから来たの?」と話しかけられてテンションが上がり、パトカーに乗ってみたいとか一緒に写真を撮りたいなんてハーレーのオーナーたちが言い始める。ダメ元で聞いたらふたつ返事でOK。警官もノリノリでボディチェックまでやってもらい、皆さん大満足だった。日本じゃこうはいかないだろう。

思い出は尽きないがそろそろ進もう。次は3万5000平方キロメートルを超える広大なモハヴェ砂漠、地平線まで続くルート66をのんびり走りたい。

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