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いすゞ「ビークロス」がなぜ今話題に!? カニエ・ウェスト改めYeも愛車として迎え入れたカルトカーの販売台数は?

いすゞ ビークロス:車名の由来は、Vehicle(乗り物)とVision(未来像)とCross(交差)を合わせた造語

カニエ・ウェスト改めYeがビークロスを選ぶ理由とは

世界を代表するラッパーとして国内外から支持を集め、生粋のクルマ好きとしても知られるカニエ・ウェスト改めYe(イェ)。数々のスーパーカーを乗り継いだ彼が、なんといすゞ「ビークロス」を乗っているとの噂が(2023年時点)。販売期間が短く2001年1月には生産を終了していることもあり、実物を見た経験どころか名前すら知らない人も多いかもしれません。Yeがビークロスを選ぶ理由は何なのか、スペックやコンセプトを検証しつつ、どんなクルマなのか振り返ります。

東京モーターショーに出品したコンセプトカーがはじまり

いすゞ「ビークロス」のはじまりは1993年の東京モーターショーに出品したコンセプトカーで、当時は名称がビークロスではなく「ヴィークロス」とされていた。近未来を思わせるフォルムや無塗装のボディ下部、そして3ドアという思い切りのよさに加え、コンセプトである「外の悪路を走破できる全天候型スポーツカー」を実現するため、足まわりは走りのよさで知られるいすゞJT191型「ジェミニ」のノウハウが存分に注ぎ込まれた。

来場者からの反響が大きく市販が決定し、1997年3月に発表され4月から販売がスタートした。心臓部には最高出力215psを発揮するV6 3Lエンジンを搭載し、いすゞ「ビッグホーン」で定評があった電子制御トルクスプリット4WDを組み合わせる。また、フロントのダンパーに市販車では異例といえる別タンク式ダンパー、レカロのシートにモモのエアバッグ付きステアリングを採用するなど、装備の面でもライバルたちに対し数多くのアドバンテージを有していた。

そんなビークロスは近年の世界的なトレンドであるSUVの先駆けというべき存在で、今もなお古さを感じさせないデザインで大きな話題を呼んだ。1997年11月になると、基本の5色に20色のボディ色を追加した「プレミアムカラープロデュース25」が設定され、1997~1998年の日本カー・オブ・ザ・イヤー特別賞およびグッドデザイン賞をダブルで獲得した。

販売台数は約1700台にとどまった

先進的なスペックとデザインで多くのファンを獲得したものの、3ドアの使い勝手やスポーツ性とトレードオフした硬い乗り心地、後方視界の悪さなどが影響し販売台数は約1700台にとどまった。もっとも当初から大量生産は考えていなかったようで、SUVのパイオニアとしての役割は十分に果たしたはずだ。

なおエンジンの開発に際してはスーパーチャージャー付き1.6Lも計画されたが、北米仕様も3.5Lへ排気量アップしたのみで過給器は見送られている。また先ほど挙げたイマイチな後方視界は、スペアタイヤ内蔵のバックドアが原因となる。解決策としてバックカメラ連動型のモニターを標準装備させたが、4半世紀も前だけに信頼しきれないユーザーも多かったのだろう。

乗用車メーカーとしてのいすゞでは、最後の輝きといってもいいクルマ

以前からメディアで「登場が早すぎた」と評されるビークロスだが、1997年といえばトヨタ「RAV4」やホンダ「CR-V」といったモデルはすでに存在しており、しかもRAV4は5ドアだけではなく3ドアもラインアップしていた。ビークロスは装備やスペックを考えれば、激安の295万円(消費税別)。ライバルに及ばなかった理由はディーラーの店舗数を含む販売力、そして時代を先取りし、尖りに尖った個性が理由かもしれない。

ただし今もなお新鮮なキャラの強さがなければ、時代の波に飲まれ話題に上がる機会も少なく、Yeを魅了することもなかっただろう。1993年に小型乗用車の生産を終了したいすゞは、2002年になると国内のSUV市場からも撤退する。乗用車メーカーとしてのいすゞでは、最後の輝きといっていいビークロス。販売的には決して成功と呼べないかもしれないけど、30年も前にビークロスのようなモデルを考案した開発陣、そしてゴーサインを出した経営陣には感服するばかりだ。

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