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世界中で270万台の大ヒット! メルセデス・ベンツ「W123」シリーズは「Sクラス」のコンポーネントを受け継いで多様性に応えた傑作でした

W123のEクラス

ボディはもちろん前後衝撃吸収式構造と客室は頑丈なセーフティセル構造を持ち、ロングホイールベースとワイドトレッドが特徴である

W123の魅力を振り返る

メルセデス・ベンツ史上、初代「コンパクトシリーズ」としてモダンでファミリー層に人気を博したのが「W114/115」でした。このコンパクトシリーズの2代目である「W123」シリーズは、「最善か無か」というクルマづくりの哲学に基づき合計約270万台が生産され、メルセデス・ベンツ「Eクラス」史上のヒット作となったのです。その魅力を紹介します。

セダンやワゴン、クーペなどバリエーションも豊かだった

1976年1月、スリムで軽快なスタイルが与えられた「コンパクトシリーズ」の2代目として「W123」が登場した。1972年の「Sクラス/W116」のコンポーネンツを受け継いで設計されたこのモデルの、がらりと変わったスタイリングは、比較的若い層を狙った装いと筆者は感じた。このW123モデルシリーズの需要は非常に大きく、最初の生産年は発売後すぐに完売し、一部の顧客は納車まで1年も待たなければならなった。しかも当初から非常に人気があり、その再販価格は生産期間中、高いままであった。

1976年9月に『mot auto-journal』誌は「200D」に関する予測を発表し、「これほど低い減価償却費を誇るクルマはほかにない」と報じた。耐久性のあるディーゼルエンジンを搭載したW123はタクシーで活躍した。

多様性はこの世代の重要な特徴であった。1976年1月に発表されたセダンに続き、1年後の1977年3月にはスポーティでエレガントな4人乗りクーペ(C123)が、1977年9月には7人乗りステーションワゴン(S123)、そしてホイールベースを630mm延長したロングホイールベースリムジン(7/8人乗り)を次々と発表。加えて、ロングホイールベースを架装した救急車も発表している。

とくに、1976年1月にセダンが専門メディアに発表された際、メルセデス・ベンツは55psから177psまで9種類のエンジンを用意。ガソリンエンジンは4気筒の200/230、6気筒の250/280/280E、ディーゼルエンジンは4気筒の200D/220D/240D、そして画期的な5気筒の300Dであった。

南フランスでのメディア試乗会では、異なるエンジンとトリムラインを備えた33台のテスト車両すべてをコートダジュールに輸送するため、メルセデス・ベンツは当時のドイツ連邦鉄道から特別列車をチャーターするという熱の入れようであった。

日本にも導入され人気を博す

日本に輸入された当初の1977年モデルは、昭和51年(1976年)排出ガス規制適合車となった230、280E、240D、300Dであった。全長4725mm×全幅1785mm×全高1440mm、ホイールベースは2795mmで、先代のW114/115より全長で+45mm、全幅は+15mm、ホイールベースが+45mmとわずかに大きくなった。

ラジエターグリルを一層横広にしてスマートになったフロントスタイルは、のちに数々のデザイン賞を一手にさらった。ヘッドライトは4気筒モデルが丸型4灯式、6気筒モデルは横広の角型だった。当時は、丸型の4気筒モデルを角型ライトに変えるのが流行した。

しかし、1977年9月28日に開催されたロンドン~シドニー・マラソンラリーで280Eが優勝。この280Eが標準の角形から変更し4灯式ヘッドライト+ドライビングライトを装着していたため、それがかなりカッコいいと、角形へ交換していた4気筒の顧客はみな慌てて丸型へ戻したというエピソードが世界中で聞かれたものだった。アンドリュー・コーワンとアンソニー・フォークスのチームが優勝し、2位、6位、8位の4台がトップ10にランクインした。ちなみに優勝したゼッケン33の280Eは、メルセデス・ベンツミュージアムに展示されている。

メルセデス・ベンツの伝統と最先端技術を注ぎ込み開発された

W123の開発に際しては、最大限の安全性、優れた快適性、メンテナンスの容易さを求めた仕様書が1968年にメルセデス・ベンツの設計エンジニアに提出されていた。ボディはメルセデス・ベンツ独自の安全理論に基づいて設計され、前後衝撃吸収式構造で客室は頑丈なセーフティセル構造である。

当時のダイムラー・ベンツ社得意のコンピュータ設計システム「ESEM」により、とくに客室の剛性が高く設計された。この設計システムにより各ルーフピラーの特殊な組み合わせ方や傾斜角度を算出。デザインされたコンセプトカーは角張ったライン、巨大なリアルーフオーバーハング、急傾斜のリアウインドウ、ボディまわりのラバーパネルといった未来的なビジョンも含まれており、1973年までにW123のクラシカルでエレガントなラインがほぼ確定された。

そして、衝突テスト(オフセットテスト含む)、スラロームテスト、90度バンク高速走行テスト、悪路区間テスト、貯水池テストなど、各モデルのテストを実施して開発された。後続の1977年3月に発表されたクーペは車高を40mm低く、ホイールベースを850mm短くし、スポーティかつエレガントであることをアピールし人気を得た。

とくにこの2ドアクーペはBピラーがない代わりにAピラーとCピラー、ルーフを強化している。また1977年9月に発表したステーションワゴンは、自動ハイドロリックニューマチックレベルコントロールを標準装備し、ビジネスシーンはもちろん、ファミリーライフスタイルとレジャーカーとしての基準を設定した。ドイツ語で「T-Modell」と呼ばれ、Tは、Touring(ツーリング)、Transport(トランスポート)を意味し汎用性の高い車両の役割を強調している。なお、自社のブレーメン工場で生産された。また、このワゴンはサービス店用車として各地の出張サービスでも活躍した。

ラゲッジスペースは通常のポジションで523L、後部座席を折り畳むと879Lであった。折り畳み式後部座席の3分の2は分割タイプなので長尺物の積載が可能。また最後部フロアに格納式の2人掛けのシートが設置され、後ろ向きに座ることができ計7人乗りにもなるのが特徴である。リアウインドウワイパー&ウォッシャーは標準装備となり、リアの視界も充分確保している。ルーフレールが標準装備されラゲッジラック、ラゲッジコンテナー、スキーボックスを取り付け可能だった。

そして、1980年にはドイツで初めてとなるディーゼルエンジンとターボチャージャーを搭載した「300TD」ターボディーゼルが発売に。北米と日本への輸出用のターボディーゼルエンジンはセダンにも採用された。1981年4月、アメリカの自動車雑誌『ロード&トラック』は、このステーションワゴンについて「メルセデス300TDターボディーゼルは間違いなく、今日のアメリカで販売されている最高のステーションワゴンであり、間違いなく最も高級である」と書いた。

整備性で特筆すべきは、ボンネットが最大90度まで開くことができ、エンジンの整備性を高めたことでエンジン脱着時の時間も大幅に短縮することが可能に。オイルチェンジもオイル・ディップスティック・チューブの形状を変更したことで、上からオイルを抜き取れるようになったのだ。

生産台数はなんと約270万台!

W123シリーズの総生産台数は1975年から1986年にかけて約270万台(269万6914台)である。その内訳はセダンが最多の237万5440台、ステーションワゴンが19万9517台、クーペが9万9884台、リムジンが1万3700台、特別架装車が8373台。このうち約108万台がドイツ国外に輸出されている。

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