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トヨタEP82「スターレット」で2度目のパイクスピークに挑戦! 目標の12分切りは達成されたのか、現地取材してきました

ところどころガードレールが設置されているところもあるが、基本的にコースにほとんどガードレールがない

目指すは12分切り!

初開催から108年目、開催数でいえば102回目を数えることとなったパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム2024(通称:パイクスピーク)が現地時間2024年6月23日(日)に開催されました。日本から参加の1990年式のトヨタEP82「スターレット」は、昨年に引き続いて2度目のチャレンジ。その戦いぶりをお伝えします。

日本から孤軍奮闘の1台に周囲も興味津々

パイクスピークは、山頂までの1本道(全長約20km)の舗装された山道をいかに速く駆け上がるかを競う単純明快なヒルクライムレースで1916年に始まっている。そのレースは未舗装のダートコースで長年行われてきたが、2012年からは全線が舗装されたレースとして開催されている。

また、4輪だけでなく、2輪や3輪の参戦もあったが、2輪選手の死亡事故などが続いたため、2020年からは4輪部門だけでレースが行われている。過去にはモンスター田嶋選手が6連勝を飾るなど、日本人も多く活躍してきた。

さらに、全面舗装されてからはその最速記録もどんどんと向上し、ロマン・デュマ選手が2018年にフォルクスワーゲンの電気自動車「I.D.Rパイクスピーク」で出した7分57秒148が現在の最速記録となっている。

近年も、日本からホンダや三菱自動車の参戦があったが、基本的にはプライベーターの参加が大半だ。そのひとりである八木敏史選手は、2023年に引き続いて1990年式のトヨタEP82「スターレット」を持ち込み、挑戦している。

ちなみに2023年は、エンジンブローなどもあり、12分33秒959で総合54位(クラス13位)だった。そして2年目となる今回は、新たにエンジンを組みなおしての参戦。ただ、このクラシックコンパクトのエンジンはノーマルパーツを集めて急造したものだった。

2年目のスターレットに密着 

パイクスピークへ2回目の挑戦となった今回、事前の準備は国内で済ませ、現地での基本的な作業は八木選手自らとLAに拠点を置く「ROAD RACE ENGINEERING」のスタッフがコロラドまで出向いて担当。このフォーマットは2023年と変わらずだ。

パイクスピークでは、決勝を前に練習走行日及び予選セッションが用意されている。といっても1台ずつがアタックするヒルクライムのため、通常のサーキット走行のように一斉に走ることはない。

セッションスタート前に走行待ちの列ができ、その列に並んだ全車がタイムアタックを開始し、スタート待ちの車両がいなくなった時点でアタックはいったん終了。頂上まで上がった車両がスタートラインまで戻ってきて、2セッション目の走行アタックが始まるという流れだ。予選&練習走行日は3日間用意されており、このセッションは、コースをロアセクション、ミドルセクション、アッパーセクションの3区画に分け、エントラントも3グループに分け、毎日各グループで走行区間を変えていき、最終的に3日間の走行を終えると全セクションを走行することになる。

つまり、コースを通しでアタック走行することは決勝日以外ではできない。予選はロアセクションを走行したそのベストタイムが適用されることになる。

練習走行3日目はまさかの降雪!

今回唯一の日本人参戦ドライバーとなった八木選手はパイクスピーク・オープンクラスに参戦している。そのパイクスピーク・オープンクラスのグループは、3日間の練習走行をロア、ミドル、アッパーと順に標高をあげていくグループに分けられ、徐々に高地に慣れていく点では比較的身体に優しいパターンではあったが、走り出しが予選日という点では、遠征組や事前練習なし組には厳しいものとなっていた。

その練習初日に八木選手がロアセクションで出した予選タイムは5分18秒854。出走順は55番手とずいぶんと後方で、近年レース当日は下り坂となる天候がよくあることから、天候の変化によっては厳しい走りとなりそうとも言える結果だった。

2日目のミドルセクションは走行できたが、練習走行日3日目の木曜日はパイクスピーク山に降雪があって、アッパーセクションとミドルセクションの走行はキャンセルとなった。

アッパーセクションを走行する予定であった3日目の走行がキャンセルされたことで、通常オプション日として設定されていた金曜日にパイクスピークオープンクラスはアッパーセクションを走行することになった。

そこで八木選手は、走行キャンセルとなった木曜日を使ってマシンを改良することに。日本から米国に持ち込む前に今回は熱対策を施してきたとのことだったが……。

「ラジエターの交換で対策を施したつもりなんですが……走行セッションの後半でもたつく症状が出ていました」(八木選手)

さらに熱対策と冷却性能を向上させるべく、直接ラジエターに水を噴霧する対策を講じることにした。そしてエンジンルーム内を通る空気の通り道も整えるためにフードとエンジンルームに遮蔽版を設けるなどの追加加工も行って決勝に臨んだ。

決勝の路面コンディションはドライ! 

そして、金曜日に行われた最後の練習走行ではアッパーセクションでの走行を終え、休息日となる土曜日を挟んで決勝レースがスタート。迎えたレース当日は近年まれにみる好天となり、幾度かの赤旗中断はあったものの、八木選手が走り出す午後3時34分の時点でも、若干雲が多くなってきた程度で天候は変わらず、もちろん路面はドライコンディションが保たれている。

順調に駆け上がってきた八木選手が出したタイムは、12分31秒200という結果となった。2023年のタイムを若干上回ったが12分切りは叶わなかった……。総合順位は60台中43位(クラス12位)となった。

走行後の八木選手は次のようにコメント。

「サスペンションのバネレートは、フロント10kg、リア8kgというスターレットとしては少し硬めの足まわりにしていたんですが、事前に筑波でテストした印象はよかったんでそのまま持ってきました。実際には、アッパーセクションでの練習で暴れちゃって暴れちゃって……。スプリングを変えようか迷ったんですが、今大きくセッティング変えるとロクなことないかなと思い、バネを変えずにショックの減衰をかなり下げて臨んだのは良かったですね。ただ、タイヤのほうは無理しているのか、コジっているみたいで、リアがバンバン流れちゃってて、おいしいグリップのところは終わっちゃってる感じだし、走りとしては昨年と同じ感じになってしまいましたね」

まだまだ奥が深いことを実感したコメントを残していた。

なお、今回出場予定だった日産「パルサーGTI-R」(ドライバーは神子 力選手)は税関を通過していなかったことで参戦断念となり、日本人対決もお預けのまま、となってしまった。2025年こそは、スターレットとパルサーとの1990年代初頭のバブル期の日本のコンパクトカーの対決をぜひ見たいものだ。

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