1965年式 ポルシェ912クーペ
「クラシックカーって実際に運転してみると、どうなの……?」という疑問にお答えするべくスタートした、クラシック/ヤングタイマーのクルマを対象とするテストドライブ企画「旧車ソムリエ」。今回は、空冷ポルシェの中でも隠れた名作として語られることが多くなった「ポルシェ912」をピックアップし、そのモデル概要とドライブインプレッションをお届けします。
ポルシェ911の歴史の初期に存在した魅力的な弟分
今年2024年で正式デリバリー開始から60周年を迎え、自動車史上に冠たる名車として知られるポルシェ「911」。その歴史のごく初期に、魅力的な弟分が生産されたことをご存じでない方も、あるいはいらっしゃるかもしれない。
その名はポルシェ「912」。1964年から1969年にかけて生産されたモデルである。
1963年に「901」としてショーデビューし、翌1964年から発売された新型車911は、前任モデルにあたる「356」時代の最高性能モデル「356カレラ2」をも上回る高性能を獲得したいっぽうで、高度なメカニズムの集大成であることから、生産コストは大幅に高騰。
当然ながら発売当初の販売プライスも、356の最終型「SC」のクーペが1万6450独マルクだったのに対して、約40%アップに相当する2万2900マルクにまで高騰してしまった。
この販売価格は、同時代のジャガー「Eタイプ」にも匹敵するもの。つまり、従来の356シリーズから大幅に上方移行したことになる。しかしポルシェ社の首脳陣は、356のマーケットをダイレクトに継承するモデルの必要性も充分に理解していた。そこで登場したのが、911の廉価版たる912である。
ナロー時代の911に、356エンジンをコンバート?
ポルシェ912というモデルの基本的な成り立ちは、911の車体に356SC用の空冷フラット4 OHV 1582ccのエンジンを積んだものである。ただし、圧縮比を356SCの9.5:1から9.3:1に落としたことで、最高出力はSCの95psから90psまでドロップ。エンジン形式も、SCの616/16型から、新たに616/36型に変更された。また変速機も、911ではすでに5速MTを採用していたのに対して、912では356から継承された4速MTを標準装備。5速はオプションとされた。
外観は、後部ボンネットに取り付けられるエンブレムが「912」となる程度の違いで、同時代の911と事実上変わらないものとされたが、いっぽうインテリアではステアリングホイールが初期型911のウッドから樹脂製になるとともに、現代に至る911のアイコンである5連メーターではなく、356時代と同じ3連を共用のクラスターに配置。これらのデバイスにより、最大の目的である販売価格は1万6000独マルクまで下げられることになったのだ。
そして、この価格の安さに加えて扱いやすさやバランスの良さが高く評価され、今なおナローポルシェ愛好家からは敬愛されるモデルとなっているのである。
かくして、最初期型911たる「Oシリーズ」時代に登場した912は、最初の改良型「Aシリーズ」を経て、ホイールベースが延長された「Bシリーズ」時代まで存続した。
マイナーチェンジは基本的に同時期の911に準じたものとされ、1967年モデルからは脱着式トップを持つ「タルガ」も設定。また、ほぼ同時期にメーターは911と同じ5連スタイルとされ、トランスミッションも5速が標準となる。
しかし、911のエントリー版として6気筒エンジンを搭載した「911T」が1968年に登場したこと、さらに翌1969年には、さらにリーズナブルなVWポルシェ「914」がデビューしたことから、所期の目的を終えた912は1969年7月をもって生産中止となった。その間の総生産台数は約3万台。日本への正規輸入はちょうど100台だったといわれている。
また、1968年に東名高速道路が開通したのにともない、当時のポルシェ日本正規代理店である三和自動車が912のパトカーを製作。京都府警、愛知県警、神奈川県警、静岡県警に納入され、当時の子どもたちの人気を博したのも有名な逸話であろう。
4気筒OHVエンジンは予想を大きく上回る力強い加速感
これまでクラシック・ポルシェに造詣の深い方々から、しばしばポルシェ912というクルマへの賛辞を聞かされる機会があったのだが、じつを言えば、筆者はそのたびに少々懐疑的な印象を抱いていた。
今回の取材にあたって、久方ぶりにまじまじと観察してみると、912はビックリするほどにコンパクト。ショートホイールベース時代のボディはプロポーションも完璧で、清楚で可憐な美しさには陶酔させられてしまう。とはいえ、それはたとえ911であっても、最初期のナローモデルならば同じことである。
現在に至るまで車名をつなぎ、名作中の名作として誰もが認めている「911」に対して、4気筒で排気量も小さく、OHVヘッドの「912」をあえて選ぶ意義は、価格以外にはないのでは……? などと思っていたのだ。
でも、そんな机上のスペックに囚われた筆者の浅はかな先入観は、走り出してわずか5mほどで打ち砕かれることになった。
今回、国内クラシックカー業界を代表する名店「ヴィンテージ湘南」にお借りした1965年式ポルシェ912は、新車当時にオプション設定されていた5速MT仕様。そのシフトパターンは、リバースが左上でその下に1速がくる、いわゆる「レーシングパターン」である。
ちょっと曖昧なシフトフィールで知られる「ポルシェシンクロ」のシフトレバーを、手前に引き寄せるようにして1速に入れる。そして私有地内から街道に出て、まずは1速のままアクセルを踏み込むと、予想を大きく上回る力強い加速感を披露する。
2L時代のナロー911、とくにキャブレター時代はあるていど高回転まで引っ張らないとトルクが乗ってこないのに対して、こちらは2000rpmにも届かないうちからモリモリと加速し、2速、3速とシフトアップしてもトルクフルにスピードを上げてゆく。
また「シュルルルルッ!」という、少々神経質なフラット6サウンドが記憶に残るナロー911に対して、今回テストドライブの機会を得た912は、各バンクに1基ずつのウェーバー社製ツインキャブの吸気音が混ざった「ヴァルルルッ!」という、かなり豪快な咆哮を聴かせてくれるし、シフトダウン時のブリッピングなどもきれいにまとめるレスポンスも有している。
ポルシェの高精度・高品質と、ライトウェイトスポーツの爽快感を両立
そして、912の魅力をいっそう高めていると感じたのが、予想外に優れたハンドリングである。
ショートホイールベース時代のナロー911は、トリッキーな操縦性で知られるランチア「HFストラトス」よりもホイールベースが3cmほど長いにすぎないこと(2211mm)、あるいは、マグネシウムやアルミニウムなどの軽合金を多用しているとはいえ、やはりそれなりの重さがあるフラット6ユニットをリアエンドにぶら下げていることも相まって、コーナーワークには常にスピンを想定した緊張感を強いられる。
つまりは、筆者のごとくドライビングスキルが大したことないドライバーにとってすれば、コーナーの出口で完全に車体が真っすぐ前方を向いたことを確認しないと、怖くてなかなかスロットルを開けられないのだ。
いっぽうこちらの912は、パワー/トルクともに御しやすい範囲内にあるとともに、4気筒エンジン+補器類の絶対的重量が軽く、しかも前方に寄せて搭載されているせいか、コーナリングの最中でも、より安心してアクセルペダルを踏むことができる。
操作が正確で軽く、ピュアな手ごたえのステアリングも相まって、ライトウェイトスポーツカーのごとき爽快なアジリティを、しかも定評のある同時代のポルシェ911とまったく変わらない剛性感や精密感とともに味わえるのだ。
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ポルシェ912のあらましについて、本稿序盤では「911の廉価版」と安易に記してしまったものの、それは従来の文献をうのみにしてしまっていた筆者の誤り……。今回、極上の1台を存分に走らせる機会を得て、そう気づかされた。
ポルシェ912は、911と356の折衷型ではなく、もちろん911の廉価版などでもない。ほかの空冷ポルシェたちとはまったく異なる個性と魅力を携えた、1台の素晴らしい小型スポーツカーなのである。