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「ミニ クーパー」にイタリア製があるって知ってた?「チンクエチェント」の国がどうして? 500万円で落札された「イノチェンティ」を紹介します

2万5300英ポンド(邦貨換算約500万円)で落札されたイノチェンティ「ミニクーパー 1000 Mk II」(C)Courtesy of RM Sotheby's

ミニは英国の象徴!? でも、これはイタリア製です

いわゆる「クラシック・ミニ」は、クラシックカー界の世界的アイドル。英国とそのポップカルチャーの象徴的存在でもありますが、じつはイタリアでも独自のブランドで生産・販売されていたことをご記憶の方も多いと思います。2024年6月12日、RMサザビーズ欧州本社は、その本拠のあるロンドンからほど近いバークシャーの田園地帯に建てられた、17世紀のマナーハウスを改装した壮麗なホテル「クリブデンハウス」を会場として、「Cliveden 2024」オークションを開催。その175点におよぶ出品ロットのなかには、イタリア製のミニ、イノチェンティ「ミニ クーパー」も含まれていました。今回は、かつて日本でも一定の人気を得ていたイノチェンティ ミニというクルマのあらましと、注目のオークション結果についてお伝えします。

イタリア製のイノチェンティ ミニってどんなクルマ?

1931年、フェルディナンド・イノチェンティによって設立された鋼管メーカー、イノチェンティは、特許を取得した足場システムで大成功を収めた。ところが、第二次世界大戦中に生産設備の多くが破壊されてしまったため、イノチェンティ社はイタリア政府から多額の補助金を受け、ミラノのランブラーテ地区に新工場を建設した。

終戦後の1946年、イノチェンティは同社の命運を一気に好転させるヒット作「ランブレッタ」スクーターを発表。同時代にピアッジオ社が登場させた「ヴェスパ」とともに、戦後のイタリア大衆にとって貴重な交通手段をもたらしたのだが、イノチェンティ社の首脳陣はその成功にも飽き足らなかったのか、次なる目標として4輪乗用車の生産・販売へと乗りだそうと目論んでいた。

いっぽう、1959年に「オースティン ミニ セブン」および「モーリス ミニ マイナー」を発売したことによって大成功を収めた英国最大級の自動車メーカー「ブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)」は、自国内の自動車専業を保護する目的で当局による制限の多かったイタリア市場での足がかりを得るために、イタリア国内で自動車生産・販売を請け負うメーカーとのアライアンスを決定した。

こうして両社の意向が一致し、ミニ誕生と同じ1959年に、自動車メーカーとしてのイノチェンティが誕生。当初はピニンファリーナのデザインによる「A40ファリーナ」からライセンス生産をスタートしたのち、1965年にはミニがイタリア生産の中核となることが決定される。

外観こそ英国版ミニと大差ないが、内装はイタリア車らしさ全開!

こうして誕生したイノチェンティ ミニでは、スタンダードな「850」にくわえて、エステートワゴンの「トラベラー」や1000ccの高性能版「クーパー」など、英BMC版ミニに準拠するさまざまなモデルが用意された。

これらのイノチェンティ ミニは、外観こそ英国版ミニと大差ないものの、とくに高級グレードとしての役割も期待されていたミニ クーパー(1000からのちに1300に発展)は、英国版には設定のないスポーティで豪華なダッシュパネルに、こちらもイタリア版のみの装備となるタコメーターを含む「ヴェリア」社製メーターを連装。シートも同時代のイタリア製グラントゥリズモを思わせる、ゴージャスな意匠とされていた。

くわえて、英本国版ミニ クーパーS Mk IIIが1971年をもって生産を終えたのちも、イノチェンティ版では黒地に「Innocenti」ロゴの入ったラジエータグリルを持つ「ミニ クーパー1300」が1975年まで継続生産され、本家の抜けた穴を埋める存在となった。

ボディカバーは奥さまのお手製! ひとりのオーナーが半世紀愛したミニとは?

1966年に登場したイノチェンティ ミニ クーパーは、1968年秋にMk IIへと発展する。1Lユニットは、本国版クーパーSと共通のカムシャフトや2連装のSUキャブレターなどでチューンを高められ、前輪のディスクブレーキもクーパーS用からコンバート。1968年9月から1970年2月まで、8992台が生産されたといわれる。

そして、このほどRMサザビーズ「Cliveden 2024」オークションに出品されたのも、そんなイノチェンティ製ミニ クーパー 1000 Mk IIのうちの1台だった。

1969年初頭、ジュゼッペ・スゲッリなる人物が新車でオーダーしたこのイノチェンティ ミニは、4月4日にマルケ州ペーザロにて「P83501」のナンバーとともに初めて登録されたことがわかっている。

そののち50年間にもわたってスゲッリ氏の手もとに置かれたこのクルマは、雨に濡れるのを避け、つねにガレージに保管されていたとのこと。また特筆すべきは、付属されていたパッチワークのカーカバーで、初代オーナーの妻が手縫いしたものだという。

じつに半世紀にも長きにわたってスゲッリ家で特別な寵愛を受けてきた結果、このイノチェンティ ミニはノンレストアのまま、エクステリアもインテリアも非常にきれいに保たれているうえに、オリジナル性の非常に高い個体となっている。新車として工場から出荷されたときと同じ、正規オプションの「ハイドロラスティック」サスペンションが残されているのは、その最たる例といえよう。

2019年8月に、今回のオークション出品者でもある現オーナーのもとに譲渡され、英国に輸入されたこの個体には、「イノチェンティ ミニ」としてのファクトリーデータこそ存在しないものの、1969年当時物の、イタリアのディーラーが用意したリブレット(書類ケース)には、クラシックカーとしての正統性が管轄団体から承認されたことを示す「ACI(Automobile Club d’Italia)」および「ASI(Automotoclub Storico Italiano)」のパスポートが添付。またフロントグリル中央には、ASI承認の証である真鍮プレート「タルガ・ドーロ」が装着されている。

くわえて、イタリア国内での登録状況や車両履歴を証明する「エストラット・クロノロジコ(Estratto Cronologico)」も添付されているのだが、それによるとエンジンナンバーはイノチェンティ クーパー Mk IIとしての生産時に使用されたシャシー配列の正しい番号のもの。つまり、マッチングナンバーである。
RMサザビーズ欧州本社が公式ウェブカタログを作製した際のオドメーターは5万3185kmを記していたそうだが、来歴から推測する限りでは、このマイレージは正確なものとみて間違いあるまい。

わずか2オーナーしか所有していない

今回の出品に際して、RMサザビーズでは「ミニ愛好家やコレクターにとって、新車からわずか2オーナーしか所有していない、保存状態の良い個体を手に入れる素晴らしい機会」というアピールを添えて、2万ポンド~3万ポンド(約408万円〜612万円)と、このモデルとしてはきわめて順当ともいえるエスティメート(推定落札価格)を設定した。

そして迎えた競売では、エスティメートのほぼ中央値である2万5300英ポンド、現在の為替レートで日本円換算すると約500万円で落札されるに至った。

このハンマープライスは、英国版ミニ クーパー 1000の相場価格と比較すると、いささか安価。もちろん純英国車としての純血性は薄れるものの、たとえばインテリアなどにイタリア独自の魅力があるイノチェンティも、近ごろでは再評価の傾向にあることを思えば、なかなかリーズナブルな買い物だったかにも思われてしまうのである。

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