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ランボルギーニ「レヴェントン」の中身は「ムルシエラゴ」、外観は「アヴェンタドール」の習作!? 3億円前後の値がつく超レアモデルを紹介します

160万~200万スイスフラン(邦貨換算約2億8600万円~3億5760万円)で現在も販売中のランボルギーニ「レヴェントン ロードスター」(C)Bonhams

ムルシエラゴLP640をベースに進化した限定モデル

2024年6月30日、ボナムズ社がスイスで開催した「ボンモント」オークションにおいてランボルギーニ「レヴェントン」と「レヴェントン ロードスター」が出品されました。世界中のランボルギーニ・ファンから熱い視線が注がれる中で始まった2台のオークションの結果についてお伝えします。

レヴェントンとはどのようなモデルだった?

ランボルギーニのファンにとって、ボナムズがスイスのシェゼレックスで開催した「ザ・ボンモント・セール」は、見逃すことのできないオークションだった。なぜならこのオークションには、「チェンテナリオ」や「レヴェントン」といった、そのデビューがまだ記憶に新しい少量生産の限定車がともに出品されていたからだ。しかもレヴェントンはクーペとロードスターの両モデルが出揃うという、さらに大きな話題も加わった。まずはレヴェントンとはどのようなモデルだったのか。それを簡単に解説しておこう。

最初にランボルギーニがクーペ仕様のレヴェントンを発表したのは2007年のIAA=フランクフルト・ショーでのことだった。この時、同社のCEOであったステファン・ヴィンケルマン氏は、レヴェントンを評して次のようにコメントしている。

「それはランボルギーニにとって、これまでの成功を祝福するための1台であると同時に、新たなチャレンジでもある」

これまでの成功とはもちろん、レヴェントンのベースとなっているアウディ傘下で2001年に誕生した12気筒モデルの「ムルシエラゴ」、あるいは2003年に久々のスモール・ランボとしてデビューを飾ったV型10気筒エンジンを搭載する「ガヤルド」における成功を意味している。

レヴェントンという車名は、1940年にスペインのドン・ヘリベルト・ロドリゲス牧場に生まれ、1943年に有名な闘牛士フェリックス・グスマンと死闘を演じ、勝利を収めた勇敢な闘牛の名である。それは同時にレヴェントンのコンセプトをも表しており、当時最高のランボルギーニによる闘牛を開発するために、ヴァルター・デ・シルバによって率いられていたチェントロ・スティーレ(デザイン・センター)や、マウリツィオ・レッジアーニをチーフとするエンジニアリング部門は、ムルシエラゴLP640をベースにさらなる進化を模索していった。

0-100キロ加速はわずか3.4秒の俊足!

チェントロ・スティーレの手によるボディデザインは、基本的なシルエットこそムルシエラゴを継承しているものの、ラインはよりシャープなものになり、ダイナミックな面構成はムルシエラゴとはまったく異なる雰囲気を醸し出している。ボディパーツのメインマテリアルはCFC(複合カーボンファイバー)で、剛性確保の観点からルーフと左右のドアのみはスチール製となる。デザインのモチーフとなったのはF22ステルス戦闘機。そのイメージはメーターパネルにも受け継がれている。

ミッドに搭載されるエンジンは、ムルシエラゴLP640用の60度V型12気筒DOHCをベースに、吸排気システムやECUのリニューアルによって10psのエクストラを得た650ps仕様。このパワーを受け止めるサスペンションはレヴェントンのための専用セッティングとなる。クーペの乾燥重量で1665kgを達成したレヴェントンは、0-100km/h加速を3.4秒でこなす俊足ぶりを発揮するが、これはムルシエラゴLP640と比較して、じつに0.4秒も早いという驚異的な数字。最高速は340km/hを主張する。

クーペのデビューから2年後のIAAでは、「レヴェントン ロードスター」も発表された。生産台数はクーペの20台に対して15台とアナウンスされたが、その段階ですべてのモデルにはカスタマーが決定していたこともまた、クーペに等しい事情だったことは言うまでもない。

世界中のランボルギーニ・ファンから熱い視線が注がれる中で始まったレヴェントンと同ロードスターのオークション。ボナムズはクーペには140万~170万スイスフラン(邦貨換算約2億5000万円~3億400万円)、ロードスターには160万~200万スイスフラン(同2億8600万円~3億5760万円)のエスティメート(予想落札価格)を示して入札に応じたが、今回は残念ながらいずれのモデルにも落札者は現れなかった。いつの日か、新たなカスタマーのもとで再び安住の地を得ることを期待したい。

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