市場では、あの「ナナサン」カレラ超え? カレラRS 3.0
自動車エンスー界において毎年8月の恒例行事となっている「モントレー・カーウィーク」では、中核イベントである「ペブルビーチ・コンクール・デレガンス」や「ラグナセカ・モータースポーツ・リユニオン」にくわえて、欧米を代表する複数のオークションハウスが、カルフォルニア州モントレー半島の各地でクラシックカー/コレクターズカーの大規模オークションを開催しています。そんななか、RMサザビーズ北米本社が2024年8月15日~17日にモントレー市内で開いた「Monterey 2024」オークションでは、ポルシェ「911 カレラ」の第2世代「RS 3.0」が出品され、ここ数年の高騰相場を裏づけるようなハンマープライスを叩き出すことになりました。
70~80年代レースを席巻したカレラRSR 3.0のホモロゲート車両として誕生
過去60年にわたって生産されてきたポルシェ「911」の中でも、限定モデルはとくにエクスクルーシブ。さらに、伝説的なモータースポーツプログラムに直結するモデルは、この上なく魅力的な存在といえるだろう。
そもそも生産台数が少なく、時にはコンペティションモデルのホモロゲーションに必要な最少台数しか生産されないのが当然とされてきたこれらのレース用マシンは、しばしばプライベーター(または熱狂的なアマチュア)によって、勝利を求める闘志と、時には怒りに任せてドライブされた。そのため、現在に至るまで無傷で残っている個体はほとんどなく、この1974年型ポルシェ「911 カレラRS 3.0」は、真のポルシェ・エンスージアストにとってはさらに貴重な存在となっている。
いわゆる「ナナサンカレラRS」こと「911 カレラRS 2.7」の実質的後継車となった1974年型911 カレラRS 3.0は、当時のFIAグループ4 GTカテゴリーに投入される「カレラRSR 3.0」のホモロゲーションとして設計されたモデル。公道走行が可能でありながら、市販911ベースのレーシングカーに限りなく近い内容を持つ。
「ライトウェイト」と呼ばれる初期のカレラRS 2.7と多くの基本設計を共有しながらも、より幅広のフックス製ホイール、強化されたシャシーとサスペンションコンポーネンツ、「917」から拝借したベンチレーテッドディスクブレーキでアップグレードされた。
くわえてボクサー6気筒3.0Lエンジンは、新設計のシリンダーヘッドに、さらなる排気量アップを期して新設計されたアルミ製クランクケースによって強化され、ストリートチューンでも230psをマークするとされた。
1974年モデルとして生産された911 カレラRS 3.0の台数はわずか55台で、先代モデルにあたるカレラRS2.7が、結果として1300台以上も作られたのに比べると、はるかに希少であった。
ポルシェ界の著名コレクターたちに、大切に保持されてきたことを物語るヒストリー
このほどRMサザビーズ「Monterey 2024」オークションに出品された「グランプリ・ホワイト」のボディに「ミッドナイト」のレザレット(ビニールレザー)内装を組み合わせたカレラRS 3.0は、モータースポーツの荒波に揉まれることなく、穏当で魅力的な生涯を送った1台。ジョン・スターキーの著書『レーシング・ポルシェ』にも記されているように、また当時のポルシェのテストドライバーであったユルゲン・バルトによって証言されているように、当初はポルシェAG所属の「フォアフュールヴァーゲン(Vorführwagen:デモンストレーション用車両)」に指定されていた。
デモカーとしての役目を終えたカレラRS 3.0は、ポルシェ傘下のフランス向け輸入代理店である「ソナート」社に引き渡されたのち、1974年7月14日に最初のオーナーであるシドニー・バトラーによってアメリカに持ち込まれる。
バトラーはこのクルマをボーイング747貨物機に載せてJFK国際空港まで空輸したのち、テネシー州メンフィスの自宅まで運んだ。3年間RSを楽しんだのち、バトラーは1977年12月にこのクルマを手放す。
しかし、ここで運命は面白い展開を見せる。このときカレラRS 3.0を手に入れたのは、バトラーの友人で「ストッダード・インポート・カーズ」の経営者であるチャールズ・ストッダードその人だったのだ。オハイオ州を拠点とするこの会社は、アメリカにおける初期のポルシェ・ディーラーとして重要な存在であり、のちにヴィンテージ・ポルシェのパーツを供給する基礎的なサプライヤーへと発展し、現在も存続している。
1996年から2004年まで日本にあった!
しかも驚くべきことに、ストッダードにとってこのカレラRS 3.0との出会いは、これが初めてではなかった。ストッダードがこの個体に初めて出会ったのは、その数年前、1974 年にドイツでデビューしたこのモデルの助手席に乗り、かのユルゲン・バルトのドライビングによりホッケンハイムリンクをデモ走行した時だったのだ。
1977年の12月19日、ストッダードは自身のディーラーを通じて正式にこのRS 3.0を購入した。この時点で、オドメーターはわずか1万6423kmしか表示していなかった。
ストッダード氏はこの希少なカレラRSをこよなく大切にし、決して悪天候に晒すことなく、几帳面にガレージに保管し、必要に応じてメンテナンスを施した。20年近く所有したのち、1996年11月に日本のコレクターであるA氏にポルシェを売却し、2004年1月にシカゴを拠点とする著名なコレクターに売却されるまで日本国内に保管されていた。
そして、2004年3月に再び米国の地を踏むことになったRS 3.0は、オリジナルのファクトリー仕様の純白のペイントと、ゴールドで強調された「Carrera RS」のスクリプトが美しく映え、ナンバーズマッチの3Lエンジンとトランスミッションもそのまま。極めて高いオリジナル性をキープしていたとのことである。
もっともオリジナル度の高い個体のひとつ
新車から数えて4代目となったアメリカの新オーナーは、クラッチやリアショックアブソーバーを交換するなど、ドライビングイベントをより楽しむための対策を施した。またこのクルマに関する資料を補強するため、彼はストッダード氏と連絡を取り、ポルシェ本社における興味深いデモ走行履歴の数々を発見し、歴代オーナーの連鎖を確認した。
そして2012年1月には、有名どころのクラシックカーイベント参加に必要とされることの多い「FIVAパスポート」を申請したのち、フランス縦断2500kmを旅する有名な「トゥール・オート・ラリー」にエントリー。ぶじ走行を終えた911は、イギリスのポルシェ・スペシャリストに引き渡され、メカニカル部のリフレッシュが施された。
そしてこのカレラRS 3.0は、新車から5人目のオーナーとなる有名なポルシェ蒐集家の「ホワイトコレクション」に、2017年から組み入れられることになる。ホワイトコレクションに収蔵されている間には、ボディペイントやリムを純正使用のまま修正するなど、保存に重点を置いた入念なメンテナンスが施された。また、付属のポルシェ鑑定書に初回納車時から装着されていたことが記載されている、純正のピレリ社製タイヤも残されているというが、これはコンクール出品時に履き替えるたぐいのものだろう。
ともあれ、コンディションはすべてにわたって素晴らしいもので、カタログ掲載時の走行距離はわずか2万9453km。この限られたロードユーズの歴史と、サーキットにおける本気のレースには出走していないこと。そしてナンバーズマッチのエンジンとギアボックスの存在により、現存するカレラRS 3.0の中でも、もっとも保存状態の良い1台であることは間違いないとのことであった。
3億4000万円オーバーで落札!
1974年式911 カレラRS 3.0は、その希少性から市場に出回ることはあまりなく、これほどまでにオリジナルなコンディションで、これほどまでに魅力的なヒストリーを持つ個体はさらに稀と思われる。
この稀有な911 カレラRS 3.0のオークション出品に際して、RMサザビーズは140万ドル~170万ドル(邦貨換算約2億720万円〜2億5160万円)という、ナナサンカレラRSでももっとも評価の高い「ライトウェイト」の相場価格にも匹敵するエスティメート(推定落札価格)を設定した。
しかし実際の競売では予想以上にビッド(入札)が進み、最終的には239万ドル。すなわち、日本円に換算すれば邦貨換算約3億4700万円という驚くべき価格で、競売人のハンマーが鳴らされることになったのだ。
蛇足ながら、日本国内に生息歴のあるポルシェ 911 カレラRS 3.0といえば、前世紀後半に「クラシックの帝王」と呼ばれた世界的指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤンの愛車だったという、赤いボディにゴールドのグラフィックの入った個体を思い浮かべるポルシェ愛好家も多いかもしれない。
2017年にフランスのコンクール・デレガンスに出展されたことが確認されているが、もしもあの個体が2024年のオークションに出品されたならば、果たしていかなる評価を受けるのだろうか……? いちカーマニアとして、あるいはクラシック音楽ファンとしても好奇心の尽きない筆者なのである。