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新車当時価格1870万円!! オーテック・ザガート「ステルビオ」を前オーナーに手紙を送って懇願すること3年…情熱が伝わって晴れてオーナーに

「クルマのボディカラーはネロ(黒)に限ります」という酒井和司さんと1989年製オーテック・ザガート ステルビオ

日本のオーテックとイタリアのザガートがコラボした貴重なクーペ

イタリアの名門カロッツェリアであるザガートがオーテックジャパンと共同開発した「ステルビオ」は生産台数およそ100台という、知る人ぞ知るレア車です。「いま見ると良いよね、と最近は言われることも多いですが、最初からいいんです!」と語る酒井さんは、このクルマに1989年のデビュー時からひと目惚れだったそう。憧れのステルビオを愛車にするまでのストーリーを紹介します。

1989年の新車価格は1870万円で手が出せず……

埼玉県秩父郡皆野町が、アルファベットやカタカナの表記だと1文字違いで「ミラノ」になるという洒落から始まったイベントが、イタリア車とイタリア文化を楽しむ「ミナノはミラノ 勝手にイタリア祭」だ。会場となった新井武平商店の味噌工場にさまざまなイタリア車たちが並んでいるなかでも、とくに際立って目を引くクルマがあった。

オーテック・ザガート「ステルビオ」。日産自動車グループ内でモータースポーツ事業や特装車などを手がけるオーテックジャパンとザガートの共同開発により誕生した、わずか104台のみの限定生産となったスペシャリティカーである。そんな希少なクルマを持ち込んだのは横浜市に住む酒井和司さんだ。

20代後半でアルファ ロメオ「ジュリア GT1600ジュニア」に乗り始めてイタリア車の楽しさに目覚め、どんどんイタリアの自動車文化を吸収し、美しいショーモデルやプロトタイプ、スペシャルカーを作るカロッツエリアに興味を持っていった酒井さん。そうした数あるカロッツエリアのなかでも、アルファ ロメオ「SZ」、「TZ」、「ジュニアZ」などのモデルから、とくにザガートに惹かれ、いつかはザガートのクルマに乗りたいと思うようになったという。

そんな当時の日本はバブル時代。1989年のジュネーブショーで「ES-30」(SZのコンセプトカー)と一緒にステルビオがデビューし、その強烈なアピアランスに酒井さんは衝撃を受けたと同時に、所有意欲がムクムクと湧いてきたという。

「自身のキャラクターやライフスタイルを考えるとリアルスポーツのSZよりもGTが自分には合っているなと、黒ボディで内装色がタンのステルビオは頭の中でぐるぐる回ってましたね~。でもやっぱり新車価格1870万円は無理でした(笑)」

ガソリンスタンドで見かけたステルビオのオーナーに手紙で直談判

それから数年が経過した1995年も暮れようとする頃、酒井さんの生活圏内のガソリンスタンドで黒いステルビオを発見したのだった。

以降、給油するのは決まってそのスタンドとして通い詰めた酒井さん。そして店長と仲良くなり、その漆黒のステルビオのことを聞き出すのである。

ステルビオのオーナーは、とある会社の経営者。そのオーナーへ酒井さんは手紙で直談判するという手に出た。

「1997年に譲って欲しいという手紙を書いたのですが、丁重にお断りされました」

それでも、それから3年間、都度都度に譲っていただけたら大事にしますと懇願し続けたという。そして2000年に運命がやってくる。このステルビオのオーナーから、「何人かの方に譲って欲しいと言われていたが、あなたに一番情熱を感じた、次にステルビオを持ってもらうのに一番ふさわしい」と連絡を受けたのだ。

「なんでもオートマが不調になり、ミッションを載せ替えしたところで、このクルマへの情熱が冷めたようです」

とは言っても、前オーナーにとってそれまで大切にしてきた愛車である。何年も諦めずに熱心にラブコールを送り続けてくれた酒井さんに託してくれたのである。

以来、さらにザガート熱が高まった酒井さん、2006年にはアルファ ロメオ「155 ザガート」所有の友人の人脈から、やはり漆黒のアルファ ロメオ「155 TI-Z」も譲り受けた。2台のザガートとともに、同じくザガートを愛するクラブ ザガート ジャポネの仲間たちとの活動や、こうしたイタリア車のイベントを楽しんでいる。

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