白熱のバトルに湧いたホッケンハイムリンク
欧州のモータースポーツを取材する池ノ内みどりさん。欧州では高い人気を誇る、DTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)最終戦を取材するためホッケンハイムリンクに行きました。そこでは、欧州のモータースポーツ人気が高いことを、あらためて感じることに。決勝日の模様をお届けします。
アウディとランボルギーニが王者争いすることに
チャンピオン争いが最後の最後まで持ち越されたことで、チーム関係者はもちろんのこと、ファンも応援に力が入ったことでしょう。日本のスーパーGTや世界の多くの箱車レースでは2名以上のドライバーが組んで参戦しますが、DTMのレースフォーマットは少し変わっているのが特徴。土日で各1回の予選と決勝レースが行われ、ドライバー交代なしのスプリントレースなのですが、それゆえタイヤマネジメントやピットストップのタイミング、レースマネジメントはドライバーひとりに委ねられます。
最終戦まで持ち越したチャンピオン争い。アウディのケルビン・ファン・デル・リンデ、ランボルギーニのミルコ・ボルトロッティ、メルセデスのマロ・エンゲルの3人がシリーズ王者を賭けた戦いに挑んだのでした。前日の土曜日のレースにて、アウディのファン・デル・リンデが見事にポール・トゥ・ウィンを決めて、よりチャンピオンに近づき、ランボのボルトロッティとはわずか2ポイント差で日曜日の朝を迎えました。メルセデスのエンゲルは、土曜日のレース結果(4位)によりトップのアウディのファン・デル・リンデと20ポイント差となり、実質的にチャンピオン争いからは脱落です。
日曜日の予選ではランボのボルトロッティがポールポジションを獲得し、予選トップ3に加算されるポイントのうち、ポールポジションに与えられる3ポイント(2位は2ポイント、3位は1ポイント)を獲得し、より余裕を持って決勝に挑みます。DTMでは予選時のサクセスウエイトは全員なし。前日のレースで優勝をしたアウディのファン・デル・リンデは、決勝レースでバラスト+25kgを積載するのでかなり不利なうえ、ランボのボルトロッティとはわずか0.255秒差の5位スタートとなり、かなりの苦戦を強いられることが予想できました。
この日はスターティンググリッドに出たあと、スタートは急いでコースサイドへ走り、ピットストップが始まる前にピットロードやピットウォールでの撮影をこなし、レース観察をしていました。最終戦とあり、どこのピットも応援に駆け付けたドライバーやチーム関係者の家族や友人、ゲストの方々がたくさんいます。
イタリアブランド&ドライバーによるチャンピオンという快挙達成
手に汗握るチャンピオンを決める最後のレース。ランボルギーニのボルトロッティは2023年も同様に最後まで過酷なチャンピオン争いを繰り広げ、僅差で敗れています。そのため、2024年はなんとしてでもその王者の座を手に入れたいという気迫がシーズン開幕前のテストから全身にあふれていました。
鬼気迫るボルトロッティの走りに観客席が沸き、見事念願のシリーズチャンピオンに輝きました。DTMの40周年の歴史の中で、ランボルギーニのチャンピオン獲得は初めてのこと、さらに1983年のBMW M3 E30を駆ったロベルト・ラヴァーリアと1993年にアルファ・ロメオ 155 V6 TIのニコラ・ラニーニに次いで史上3番目のイタリア人のDTMチャンピオンが誕生しました。
ボルトロッティが所属しているSSRパフォーマンスというチームは、私の住むミュンヘンにステキなファクトリーがあります。ショールームの部分に優勝マシンが飾られていますので、近々自転車に乗って観に行こうかな、と思っています。レース後にはチームの方から優勝Tシャツを1枚記念にいただきました。
この日はレース終了後、21時半からパドックで毎年恒例のシーズン閉幕のパーティが開催されるのですが、私はこの日のうちにミュンヘンの自宅へ急ぎ帰宅することに。しかし、アウトバーンの普段から混雑するエリアで事故が起きたようで、その手前から大大大渋滞でした。
後に新聞で読んだところ、幸いにも重傷者や死亡した方はいなかったようですが、通りかかったときに見た車両はかなり破損。渋滞中に故障して止まってしまったクルマも数台あったようで、それも原因で渋滞はさらに悪化していたようですが、なんとか日付が変わる前に自宅へ到着することができたのでした。