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プアマンズポルシェの「914」が1億円以上の価値!? 理由は14台のみ生産された「914/6 GT」だったと聞けば納得です

90万ドル~120万ドル(邦貨換算約1億3800万円〜約1億8400万円)で現在も販売中のポルシェ「914/6 GT」(C)Bonhams

生粋のレーシングカーとして製作されたポルシェ914とは?

オークション業界における世界最大手の座を「RMサザビーズ」社と争っている英国「ボナムズ」社が、米国カリフォルニア州カーメル近郊の大型ゴルフ場にて開催した「The Quail 2024」オークションでは、通常のマーケットで売りに出される機会が極めて少ないポルシェAG製作のレーシングマシン「914/6 GT」が出品され、世界中のポルシェ愛好家の注目を浴びることになりました。

サーキットでは911よりもポテンシャルが高かった?

1969年から1972年にかけて、ポルシェは3350台の「914/6」を生産した。「911」を下支えする手頃なモデルとして、「914」シリーズはその目的を十分に果たしていた。たしかに性能不足を指摘する批判もあったが、そのほとんどは4気筒車に向けられたもので、6気筒モデルは「知る人ぞ知る」ポルシェのコンパクトなシャシーに潜むポテンシャルを、レースカーとしても発揮することになった。

1970年シーズンに向けて、ポルシェは914/6をラリーや2000ccクラスのサーキットレース用の主力車種とし、911はトップクラスのGTクラス用とすることを決定。そこでポルシェは、911S用ブレーキの装着、シャシー補強の追加、より太いタイヤに対応するためのスチール製フレアフェンダー、オイルクーラーの追加、軽量化対策などを施した「914/6GT」を開発する。

パワーユニットとして選ばれた「906カレラ6」タイプの2Lボクサー6エンジンは210psを発揮し、フェザー級の914/6 GTに十分な推進力を与えた。

1970年のル・マン24時間レースは、ポルシェが「917K」とともに初の総合優勝を果たしたことで永遠に記憶されている。そのかたわらコース上には914/6 GTも存在し、2000cc以下のGTクラスで総合6位という素晴らしい成績を収め、45番グリッドからスタートした911を打ち負かしてしまう。

しかし皮肉なことに、914/6 GTはプロジェクト開始とほぼ同時に事実上消滅してしまうことになる。ポルシェの上層部が、このような重要な世界的舞台で「ジュニア」モデルがフラッグシップの911を上回ることを望まなかったから……、ともいわれている。

結局、ポルシェ本社ファクトリーで生産されたフルスペックの914/6 GTはわずか14台のみで、さらにレース用GTのホモロゲーションとして23台分の「M-471」ロードカー用オプション装着車両が追加されたとのことである。

モンツァ1000キロ耐久でクラス優勝の輝かしいヒストリー

この夏、ボナムズ社の「The Quail 2024」オークションに出品されたポルシェ914/6 GTは、シャシーナンバー「914.043.0181」であり、自ら「スクーデリア・タルタルーガ」というレーシングチームを主宰し、多くのポルシェレーサーを輩出した裕福なスイス人プライベーター、エルンスト・ザイラーが新車で購入したファクトリー製レーシングカーとのこと。イタリア語で「亀」を意味する、ちょっと自虐的なチーム名とは裏腹に、ザイラーはなかなかの腕利きのレーサーだったそうで、長いスポーツカーのキャリアを通じて何度も優勝や上位入賞を果たしている。

1960年代半ばに「356」から「911T/R」に乗り換えた後、ザイラーは新型914/6 GTを手に入れた最初のプライベーターのひとりとなった。シャシーナンバーは「0181」で、強力な906型エンジンを搭載し、レモンイエローに白と赤のストライプが入った特徴的なカラーリングに仕上げられていた。

1970年春、ザイラーは「ハート・スキー・レーシングチーム」としてホッケンハイムで開催された「DARMマインツ・フィンテン」に参戦し、デビュー戦でクラス4位という素晴らしい成績を収めた。

その後も、主にペーター・エットミューラーとペアを組むことが多かったザイラーは1970年から1971年にかけて複数のクラス優勝や表彰台を獲得。最高の戦果となったのは1971年の「モンツァ1000km」耐久レースにおいて、2000cc以下GTクラスで優勝、総合13位という素晴らしい成績を収めたことだった。

さらに翌1971年の「ニュルブルクリンク1000km」では、「シェル石油」のスポンサーシップが得られたものの、シャシーナンバー0181はそのキャリアを通じてつねに特徴的なイエローのカラーリングをまとっていた。

2006年に発見され改修をスタート

ところが、1974年になるとエンジンに致命的な損傷が発生、無念の引退となったのち、1976年ごろにザイラーが同郷のエンツォ・カルデラーリに売却した。カルデラーリはホッケンハイムで1度だけながらレースで走らせたことが判明しているが、そののち2人のスイス人オーナーを経て、静かに保管されていたという。
しかし、約30年の時を経た2006年、イギリスのポルシェ愛好家、サイモン・バウリーがスイスのガレージでシャシーナンバー0181を発見した。この段階で、小さな914のオドメーターには約1万2000kmのマイレージが刻まれていたとのことである。

新たなオーナーとなったバウリー氏は、入手の直後から「レストア」とはあえて呼ばないながらも親身な改修をスタートさせる。まずはイギリス国内の「スポーツヴァーゲン」社でボディを剥離し、オリジナルの色合いの「ツィトロンゲルブ(レモンイエロー)」でリペイント。エンジンとギアボックスはドイツのスペシャリスト「カール・フロッホ」社に送って入念なリビルドを施した。

リペイントののち、ハートフォードシャーにあるポルシェ・スペシャリスト「ジャズ・ポルシェ」は、シャシーコンポーネントの分解、クラックテスト、改修を必要に応じて行った。最後にレストアされたローリングシェルは、リビルドされたエンジンの取り付けのためにカール・フロッホ社のワークショップに搬送された。

現代版ツール・ド・フランスやル・マン・クラシック出走歴も

こうして修復を終えた、この914/6 GTはシルヴァーストーン・サーキットでシェイクダウンされ、英本国の『Octane』誌がこのクルマを取材して特集記事を組んだほか、2010年の『Porsche Classics』誌にも掲載された。またそれ以来、2010年の「ツール・ド・フランス・オート」や2012年の「ル・マン・クラシック」に参加するなど、登場の頻度こそ減ったものの、今なお継続的に走行しているという。

今回のオークション出品にあたって添付されたファイルに含まれる請求書によると、英国の有名なスペシャリスト「マクステッド=ペイジ」社によって追加作業が行われたことがわかる。また2014年から2022年まで、シャシーナンバー0181はフランスの重要なポルシェ・プライベートコレクションの一部となり、オリジナル性を際立たせる見事な改装が施されたうえで、素晴らしい状態で保管された。

シャシーナンバー0181は2022年に現オーナーが入手し、北米ニュージャージー州の「ガス・ヴェルクス・ガレージ」に送られ、その性能と信頼性を最高水準に高めるための包括的な整備を受ける。ウェーバー社製キャブレターの整備、バルブ調整、オイルとフィルターの交換を含むフル・エンジンサービスが完了したほか、燃料システムも徹底的に点検・整備された。

また、ブレーキキャリパーはリビルトされ、ローターとブレーキホースを交換。制動力を最適化するためにブレーキシステム全体が洗浄され、フロントとリアにレース用ブレーキパッドが装着された。

タイヤは現役当時と同じスペックの「ミシュランTB15」が装着され、パフォーマンス・アライメントも入念に行われた。エキゾーストシステム全体にはセラミックコーティングが施され、耐熱性と耐久性が向上している。

この車両は近年レースにこそ出場していないながらも、北米コネチカット州の「トンプソン・レースウェイ」で大規模なテストを行い、その準備と能力を証明した。

オークションには少数のスペアパーツも付属

このオークションにおけるザイラー914/6 GTは、FIAホモロゲーション書類、ザイラーとエットミューラーの活躍を収めた多数の個人写真やレース結果、計時表、「ポルシェクラブGB」発行の真正証明書(保険用)などを含むドキュメント一式も引き渡されることになっており、さらに、1970年から1971年にかけてザイラーが獲得したトロフィーや、少数のスペアパーツも販売に含まれるとのことであった。

ボナムズ社は「シャシーナンバー0181は、おそらくこの希少で強力なポルシェの現存するなかでも最もオリジナルな1台であり、ヨーロッパのプライベーターGTレースの栄光の時代に活躍した魅力的な人物の手になる、魅惑的な実績があります」というPRフレーズとともに、90万ドル(邦貨換算約1億3800万円)~120万ドル(邦貨換算約1億8400万円)という、確たるレースヒストリーのあるポルシェ「レン・シュポルト」に相応しいエスティメート(推定落札価格)を設定していた。

ポルシェ本社スポーツ部門からコンプリート状態のレーシングカーとしてデリバリーされた914/6 GTが一般マーケットに出回る事例はきわめて少なく、また設定価格も昨今のポルシェ「レン・シュポルト」人気の市場では妥当かと思われたのだが、実際の競売では出品サイドの規定した「リザーヴ(最低落札価格)」には到達せず、残念ながら「流札」に終わってしまったようである。

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