第18回コッパ・ディ東京に「ブリストル研究所」として参加
2024年11月23日に東京「汐留イタリア街」をスタート&ゴール地点とし、東京都内の景勝地を巡ったラリー形式のクラシックカーイベント「第18回コッパ・ディ東京」では、AMW執筆陣のひとりである武田公実氏が、日本国内にはわずか2台しか確認されていない超レアな英国車「ブリストル 406」のステアリングを握って正式エントリー。そこで今回はドライバー視点、および「ブリストル研究所」主任研究員としての視点から、このクラシックカーラリーのレポートをお届けします。
コースは東京都心と下町! コッパ・ディ東京とはどんなイベント?
今世紀初頭に初めて開催され、いまや首都圏在住のクラシックカー愛好の間では11月下旬の恒例となっている「コッパ・ディ東京」は、クラシックカーによるタイムラリーのシリーズ選手権である「コッパ・ジャッポーネ」に属するイベント。「コッパ(Coppa)」は、英語の「カップ(Cup)」と同義のイタリア語。日本語では「○○杯」を意味するのとのことである。
もともと「コッパ・ジャッポーネ」シリーズは、1991年にスタートした「コッパ・ディ小海」に端を発するもので、現在では姉妹イベントとして「コッパ・ディ京都」や「コッパ・ディ姫路」(隔年)なども開催され、それぞれクラシックカー愛好家の間では高い評価を受けている。
そんななか、コッパ・ディ東京は2008年に台東区からの依頼で上野の国立博物館で初開催され、翌2009年の第2回からはサン・マリノ共和国全権大使の支援により、スタート/ゴール会場を汐留イタリア街に移して行われている。もともとコッパ・ディ小海のスピンオフ・イベント的な印象も感じられたのだが、やはりこの種のイベントに参加するエントラントの多くが在住する東京、ないしは首都圏を起点とするラリーイベントということで、あっという間に人気が拡大することになった。
そのコース設定は「江戸」を感じさせる、古き良き下町を中心としたもの。主催者側では通常のクラシックカーラリーよりも競技性を少し緩めて、東京の名所を回遊するツーリング志向としているとのことである。
また、走行するルートも毎回少しずつ変更しているそうだが、筆者が約15年ぶりにエントリーして出走した今回は、午前9:30から汐留イタリア街をゼッケン順にスタートした直後から、まずは最初のPC競技が待ち受けていた。
そののち、最初のチェックポイントである「神田明神」でお祓いを受けたのち、浅草・雷門前から柳橋へと進行したエントラントは、ここで2度目となるPC競技に臨んだのち、老舗のつくだ煮屋「小松屋」特選のお土産が、すべてのエントリー車両に配布された。
そして、このゴージャスきわまりない車列は、国会議事堂や増上寺の前を通過したのち汐留に帰還。観衆に見守られつつ、無事ゴールゲートをくぐることができたのだ。
名機ブリストル6気筒を搭載する最終モデル
現在、筆者は自動車ライター業のかたわら「ブリストル研究所」なるクラシックカー・ディーラーにおいて「主任研究員」を拝命している。
同研究所は、ブリストルのオーナーとなった顧客とともに「研究」しながら、ブリストルの創った素晴らしいクルマたちを日本の自動車通人たちに少しずつ知らしめていこうと目指したもので、創業者兼所長はもともとロールス・ロイスおよびベントレーの世界的ディーラー兼コレクターとして知られ、かつて埼玉県加須市に「ワクイミュージアム」を開設した涌井清春氏である。
そして今回の「第18回コッパ・ディ東京」では、イベントの数カ月前にブリストルのV8モデル「410」を購入していただいたばかりのお客様と隊列を組むかたちで、当研究所のシンボルともいうべき1台、1961年式のブリストル「406」を出走させることになった。
1958年に発表されたブリストル 406は、名機ブリストル6気筒を搭載する最終モデルにして、ブリストルがより高級志向にシフトするターニングポイントとなったモデルでもある。重厚なスタイリングや豪華さを増した装備にもかかわらず、エンジンをそれまでのブリストル各モデルの2.0Lから2.2Lに拡大することでドライバビリティを向上させたうえに、世界で最も早い時期に4輪ディスクブレーキを備えた乗用サルーンのひとつとなるなど、依然として「ファン・トゥ・ドライブ」を追求していたことは、当時の識者からも大いに称賛されたという。
故・川上 完さんの愛車として有名な個体
いっぽう、今回筆者が乗ったブリストル 406は、今をさること10年前、2014年に67歳の若さで逝去された自動車評論家、故・川上 完さんの愛車として、これまで国内の自動車メディアにも数多く登場してきたことから、一部のファンの間では有名な個体。クルマだけではなく航空機のマニアでもあった川上さんはスバル「360」や三菱「ジープ」、サーブ「96」など出自を航空機にさかのぼることのできる自動車メーカーの創ったクルマたちにこだわり、その集大成となる1台として406を入手されたという。
そんな逸話を持つこの個体は、かつて熱心なファンたちに愛されてきた「完さん」とともに、国内各地のイベントにも参加されていたことをご記憶の方も多いことだろう。
現在この406は、亡き完さんのご遺族から託されるかたちでブリストル研究所が保有しているが、この日は同研究所の涌井代表がベントレー「4 1/2 Litre」、通称「オールド・マザー・ガン」で出場することになっていたため、筆者にドライバーのお鉢が回ってきた。
個性的なブリストルに、沿道のギャラリーも興味津々
2024年11月23日のイベント当日、ゼッケン26番をつけた我々のブリストル 406は、まだ20歳代前半の若さながら、スーパーカー/クラシックカーのディーラーとして世界を股にかけて活躍している友人、近藤裕大君にコ・ドライバーとなってもらい、満場の観衆の声援を受けながらスタートすることになった。
東京の街に繰り出した筆者たちの406のブリストル自社製ストレートシックスと、即席「ブリストル・チーム」のもう1台、ゼッケン27番の410が発するクライスラーV8による「二重奏」を東京の街に響かせながらのドライブは、時おりの渋滞に巻き込まれつつも快調至極なもの。
また、いささか特異なスタイルのブリストルは、この日エントリーした109台のなかでも目立つ存在だったようで、たとえば行く先々の信号待ちでは沿道のギャラリーから「これ、なんてクルマですか?」、あるいは汐留イタリア街のスタート/ゴール会場では「完さんのブリストルですね」などと声を掛けられることもひんぱんにあり、ちょっと照れくさくも楽しい休日を過ごすことができたのである。